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幸せな記憶の回想【ほんとうの自己分析】

就活をしていた時、自分が楽しいことってなんだろうと考えたことがある。結局就活用のことしか分析していなかったので、自分が本当に楽しかった幸せだった瞬間を振り返って本当の自己分析をしたいと思う。

英語キャンプ

小学生の時に参加した英語のキャンプ。
行きたくなかったのを先生に押されて参加した。
参加者の小学生と、指導する側である留学生との1週間ほどの完全英語生活。
私の家庭は海外旅行に行くことがなかったので、初めての異言語の経験だった。

英語を始めてしっかり話して、へったくそだったと思うけど、意外と伝わる!楽しい!と思った。たくさんのキラキラした留学生と出会い、海外への興味、憧れが膨らんだ。その後10年ほど海外に出ることが一度もなかったので、初めて行った海外旅行は感動の連続だった。(このことは後述します)

しかも、そのキャンプは全国規模のものだったので、知り合いはゼロ。知らない人の中に飛び込んで、友達を作ることの楽しさを知る。
私は受験を通して知り合いほぼゼロの環境に飛び込むことを繰り返すのだが(それ自体が目的ではない)、その障壁をなくした。

キャンプでは毎日、海外の文化について教えてもらったり、踊ったり歌ったり、遠慮の知らない自己表現をした。自分を解放することがとても楽しかった。
将来の夢も、馬鹿なことを言っていたけどみんな肯定してくれる。
そんな雰囲気が大好きだった。

筆まめではなかったのと、今ほど連絡手段がなかったのでそこで出会った人たちとはもう頑張っても連絡が取れないと思う。一期一会の出会いで、とても惜しいことをしたとは思うけど、あそこで出会って友達になってくれて、楽しい思い出を作った過去だけは一生忘れない。あのときはありがとう。またいつか会いたいなあ。

この思い出を思い出すたび、グローバルな仕事がしたいと思う。いつか世界のどこかでこのキャンプにいた人たちに会いたい。

部活

人に注目されること、上手いと思われることが好きだった。集団の中で、他の人よりもレベルが高いと自負した時に喜びを感じた。注目を感じた時に興奮した。人前で喋ったりすることはむしろ嫌いだけど、喋りではなくて部活において注目されるのは楽しい。練習はあまり好きではなかったけど、本番は大好きだった。細かいことは書かないけど、部活においての幸せはこんな形だった。

また、高一の時の高三の先輩たちが好きだった(女の先輩)。2歳しか違わないのに、高校三年生というのはすごく大人びて見えていた。その当時の私たちにとっては少し怖い先輩もいて、でもすごくうまくて美人で、憧れの対象だった。完璧な先輩像だった。今でもあの時の高三の先輩たちより大人になれている気がしない。

高校時代の恋

このネタ擦りすぎなのだが、好きだった(?)男の子と好きなのかそうじゃないのか迷いながらも互いに隠して関わっていた関係が切なくて楽しかった。
詳しくはこの記事を読んでもらいたい。

ムードメーカーの彼と、女子の中で結構友達が多くて、成績が良かった私。2人の世界だと思っていた。それぞれ部活に勤しんでいて、それもまた良かった。分かり合えていて、自分たちは特別だと感じられて、思い合っていると思えた。実際そうなんだと思う。高校生の彼に、今ぐらいの経験値でうまく誘導できていたら付き合うところまで持って行けただろう。そこまでの気持ちもテクニックも持ち合わせていなかった私と、タイミングが違った彼のすれ違い。

今でも思い出すことが楽しい。優秀だった自分、輝いて見えた彼、その集団の中で釣り合えていると思えた自分のことを認められるので、思い出すだけで自己肯定感が上がる。これもまた一種の自己満足なんだろうか?
ちなみにあの後彼に連絡した。普通に世間話をした。もしまた会えたらどうしようかな。

受験に受かった瞬間

ずっとこだわっていた大学に合格できた春休み。

浪人して、一年分のコンプレックスが溜まっていって、合格できたことでそれを吹き飛ばした。世間的には高学歴で、自分の高校の友達も大学を言ったらすごいと言われる。浪人してても、自分が馬鹿だからじゃないんだと実感できた。

特に、私は遊ばない方の浪人生で、一年全てを我慢して勉強していたから開放感が凄かった。もう勉強しなくていいんだ、適当に過ごしてたらちゃんと就職までできるんだって思ってた。(それはたぶん日本の構造的にあってる)

大学では新歓があって、ご飯代かからないよとかいろんなとこ回るんだよとか聞いていた。結局コロナで無くなったから、余計に、受かった瞬間の期間は短くて期待に満ち溢れていた時間だったなあと思う。

初めての海外旅行

英語キャンプから10年近い年月が経ち、初めて念願の海外旅行に友達と行った。
コロナ禍が終わった頃?だったから、解禁された海外旅行、初めての海外、何もかもが新鮮で、世界ってこんなに広いんだと思った。まず初めて国外に出るなんて緊張する。

どこでどんなトラブルがあるか分からないし、言葉も通じない。そんなドキドキも、私の楽しさにつながった。
すべての景色が綺麗で、日本じゃなかった。

私の国外への強い憧れはどこから来ているのだろうか?
留学に行っている友達のインスタ、海外旅行の写真を載せている人の景色、そんなものに20年近く憧れて、それでもずっと海外に行くことがなく、それがとてつもなく特別で非日常的なものだと思っていたからなのか。

私は自分に子供ができたら、記憶が残るくらいの年齢になったら海外に連れていってあげようと思う。
たぶんもっと海外というものをフラットに考えた方が良い。それぐらい初の海外旅行というものは刺激的で私をさらに海外へ連れ出すきっかけになりうるものだった。
まだ私には、留学経験がある人や帰国子女に憧れとコンプレックスがある。

話が逸れたが、旅行先で見た景色は今まで生きてきた中で最も綺麗だと断言できたし、夜景を見た時に涙が出そうなくらい感動した。
超イケててビッグでキラキラしてた(アホ丸出し)。
数日間の思い出だが、かなり長い間余韻に浸っていて、また絶対にあの国に行きたいと思うし、英語頑張ろうという気持ちになれた。
すべての瞬間が宝物になった。幸せな記憶の連続。
一緒に行ってくれた友達本当にありがとう!
間違いなく一生の思い出だ。

英語がちゃんと喋れなくても、未経験でも、日本から出ることができるのだ。ただし、お金はかかるけど…笑
英語ってすごい。世界で通じるのがすごい。旅行先では、日本語で喋っていたらどんな悪口でもばれないというのも新鮮で面白かった。
本当に地球は広いし、もっともっと世界を見たい。


終わりに

(生きていく上で必要なものが揃っている)人が幸福を感じるのは過去を懐かしむこと、コンプレックスの解消、自己肯定感の高まりの瞬間なのだろうか。
少なくとも私のこれまでを振り返るとそんな感じにまとまってしまった。

もちろん書いていない瞬間で大切なものもたくさんあるが
大体はそれにおさまるのかもしれない。
そこをおさえることを意識したら結構幸せな人生を作っていけるかもしれない。
結局は他人が作った幸せの形の追跡にはなるかもしれないけど。


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