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客観的に見た印象と結果が異なった場合

友達とMBTI(性格診断)に関する話が続いています。

その中で、客観的に見た印象と結果が異なった時に何を思ったかという話題が出ました。

今回は、周囲が思う人物像と本人が思う人物像の事についてお話ししたいと思います。

※またダラダラとした長い会話が続きます。


話の流れ

友「たまに会って話をする知り合いの女性3人組にメールでMBTI(性格診断)のリンクを送って診断をしてもらったのだけれど、3人中2人の予想は合っていたものの、一人だけ外してしまった」。
「なるほど。私の時はぴったり当てていたものね」。
友「しかもその外した人こそ、間違いなくこのタイプであろうといった性格なのだけれど」。
「どの性格型から外した?」
友「どう見てもISTJなのに、ISFJという結果が出た」。
「思考か感情かという部分だね」。
友「限りなく思考的に近い感情的であるという、中間であるならばまだ理解もできるけれど。でもおかしいな...どこをどう選んだらISFJになったのだろう」。

「周囲が思う人物像と本人が思う人物像にズレが生じると、モヤモヤするよね」。
友「そう。そこで最近私が恐れるようになったのは、さも自分が自分の中で魅力的に映っている人の場合」。
「あー...あの人ね」。
友「仮に、その知人女性の性格は私の予想から単純に外しただけだとしよう。私が恐れているのは、例えばサイ〇パスとかね。サイ〇パスなら、『苦しんでいる人がいたら自ら進んで人助けがしたい』とかいう、人柄が良さそうな項目は迷いもなくYesを選ぶだろうね」。
「確かに、きっと選ぶねあの人」。
友「だからサイ〇パスが魅力的な自分を思い浮かべて選択をして行くと、〇〇T〇ではなく、〇〇F〇という結果が出そうだなと。最近、思考か感情かという部分で本人と周囲の人が想像する人物像に差が出るということは、人によっては違和感を持つ、ということに気付いたよ」。

「そうか...診断上で理想の自分の姿を思い浮かべて選択していく人がいることを想像すると、もはや診断結果などあてにならない人もいそうだね」。
友「うん」。
「そう考えると、あなたが想像した人物像と私が想像する自分の姿はある程度一致しているということだね。目に見えない事が一致しているのって、案外すごい事かもしれないね」。

「その『苦しんでいる人がいたら自ら進んで人助けがしたい』とかいう項目、結構インパクトあるよね。私はいつも選んでいない」。
友「本当にそうなんだよ。私もいつも選ばないわ」。
「もうさ、人間界における悪魔の姿って何なのだろうね」。


この会話をした中で気づいた事

今回話をしていたのは性格診断のことについてでしたが、これが何らかの疾患を持っている人などを相手に、何らかの診断を受けてもらうことになったら、“どの部分を偽っているのか”ということについても考えなければならないですよね。
そのような部分が読める心理学者は、やはりすごいなと思いました。

私も友達もサイ〇パスを1ヵ月見抜くことができなかった身なので、今後様々な人物と出会う中で、あのような人物を見抜くことができるのかどうか疑問がのこります。(二人とも、現時点で出会う人全てを疑うところから入ってしまっているような状態なので、今後もそう簡単には見抜けないような気もします)。

また、理想の自分を想像して性格診断をすると、どの性格タイプの結果が出るのかということも考えましたね。

また理想の人物像を思い浮かべて診断をしてみようと思います。






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