見出し画像

#15. ウェールズ語

多分、イギリス人が一般的に頑固な性格をしているということもあるかもしれない。

日本語で「イギリス」という国がある。たまにイングランド以外から来たイギリス人に「イギリス人ですか」と聞くと、変則的な答えが返ってくることが多い。特に日本の経験が長く、日本語も達者なイギリス人であればあるほど、ストレートな返事は返ってこない経験がある。

私「イギリス人ですか?」
イ「うーん、まあ、イギリス人なんですけど、ウェールズ人ですね」

このようなやり取りをよくする。

ある時こんなこともあった。ドイツで暮らしていた時、語学学校に通っていた。そこでイギリス人のクラスメートがいた。授業の初回はメンバーが入れ替わるので、いつも自己紹介から始まる。先生がそのイギリス人に出身を聞くと、その人はドイツ語で「イギリス/英国から」とは絶対言わず、「ウェールズから」と言っていた。

でも、このようなやり取りが発生すると事情を知らない日本人はきょとんとなることが多い。

「なぜイギリスと言わないんだろう?」

イギリスという概念

「イギリス」という考えについて、少し書く。イギリスは英国だ。正式には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」という立憲君主制の国である。日本に認識として存在するのは、一般的にこのレベルだ。もっと知っている人は「イングランド」「スコットランド」「ウェールズ」そして「北アイルランド」と呼ばれる「地方」のようなものがあることを、ぼんやりと知っている。

しかしながら、多分、この制度はあまり私たちに馴染みがないからだと思うが、「地方」という認識は正しくない。まずイギリスは同君主型の連合国家だ。すなわち、四つのカントリーと呼ばれる「国家」から構成されている。そして、一人の代表者をその四つの国家すべての代表として認める、というのがイギリスのスタンスである。

しかし、日本人はウェールズ人やスコットランド人というような呼び方を普通しない。一括でイギリス人と呼ぶ。そのため「なぜ自分たちの国の名前を知っているのに、ウェールズやスコットランドではなく、イギリスと呼ぶのか?」と、こういったジレンマにスコットランド人、ウェールズ人は苛立ちを感じるのではないだろうか。このような形で、日本人と「イギリス」人の間にはこのような歴史認識・文化認識の溝があるような気がする。

英語と同等のウェールズ語

ウェールズ語は、その名前が示す通り、ウェールズの公用語だ。1993年に成立した「ウェールズ言語法」で裁判や公的な業務の遂行において、英語と同等の権利を有することが明言されている(1)。

一方で、ウェールズ国民議会のパンフレットの冒頭では、委員会の公用語機能と政策責任者のRhodri Glyn Thomasが英語とウェールズ語について、「我々の引き継いだ遺産であり、現在であり、未来である」と言葉を寄せている(2)。それほど、ウェールズ語は英語と肩を並べる言語として、そして象徴としてウェールズで相応の地位を与えられている。

この二〇一三年のウェールズ国民議会の公用語に関するパンフレットによると、バイリングガル教育に力を注ぎ、五人に一人がウェールズ語を話せる状態を維持することを掲げている(3)。

スクリーンショット 2020-02-16 17.56.46

ここでは同時にウェールズ語を用いた、次のようなサービス提供についても記している。英語とウェールズ語への同意通訳、公式文書の両言語への翻訳などウェールズ語に対する姿勢は議会レベルで決定されているのである(4)。また、この種のサービスを国民へ最高レベルの品質で提供することに議会は寄与することも記されている(5)。

このような記述から、ウェールズの国家レベルでウェールズ語を保護し、また、保護していこうというウェールズの姿勢が見えてくる。

Yes or No?

一方で、ウェールズの人々だけでなく、文法的な面から見ても、ウェールズ語はユニークだ。そういう意味でウェールズ語の存在は普遍的な価値を持っているともいえる。

面白いことに、ウェールズ語には「はい」「いいえ」という返事の言葉がない。つまり、"Yes"や"No"のように独立した間投詞のようなものがないのだ。ただこれは、「はい/いいえ」を言い表せない、ということを意味しない。これは「はい」や「いいえ」で答える通常の疑問文で使われた動詞を使って答える、ということである。

例えば"Teach Yourself Welish(2010)"から紹介する(6) :

Oes ci' da fe?
(彼は犬、飼っていますか?)
Nac oes, does dim ci' da fe.
(いいえ、飼っていません)

後半の"Nac oes"とあるが、これで「いいえ」を表す。"oes"は「ある、持っている」という動詞の疑問形の形である。これに対し、肯定には"oes"と答え、否定する場合、"nac oes"と返答する。

ちなみに、所有の表現も面白い。例文を分解すると次のようになる。

Oes = あるか?
ci = 犬
da = gydaの省略形;英語の"with"にあたる。
fe = 彼に

つまり、"is there a dog with him?"となる。このような例文を見ても、英語とは全く違う言語なのだと再認識させられる。

基本的な動詞の構成

アイルランド語の"tá"があったように、ウェールズ語の動詞の構成も国の多数派の英語と異なっている。再び"Teach Yourself Welish(2010)"から紹介する(7):

Dw i'n siarad Gwyddeleg yn rhugl.
(私はアイルランド語を上手にしゃべれます)

ウェールズ語はアイルランド語同様、お隣の英語とは文法的な発想が根本的に異なる。まず、先頭にいわゆるBe動詞にあたる"bod"の変化した"dw"がくる。次に「私」にあたる"i"がくる。そのあとに"yn"の省略形である"'n"がくる。そうして、核となる動詞「話す」にあたる"siarad"がくる。その次が「アイルランド語(Gwyddeleg)」という名詞となる。

無理やり英語に置き換えると次のようになるかもしれない。

"Am" "I" "being" "to speak" "Irish" "well"

英語に置き換えるとより難しく感じるかもしれない。しかしながら、前置詞の使い方などは英語やペルシャ語、ロシア語とも共通するところもあり、そういう点で印欧語族のつながりを感じる。

ウェールズ語にはウェールズ語の感覚で挑むしかないかもしれない、とも思う。例えば語順や一般動詞の表現はなかなか他の言語に見られることがないものだ。そのため、上記で試みたように、ドイツ語やオランダ語と異なり、ウェールズ語を英語に逐語的に翻訳するのは困難だ。

さらにもしかするとスペイン語のようなロマンス語と英語間の翻訳よりも、ウェールズ語と英語間の翻訳の方が翻訳が少し複雑になると想像する。英語とは隣人のはずなのに、他の国の言語よりも難しいのだ。印欧語でも文法的な骨格が全然異なると、文字通り、骨が折れる。

このような表現は同じ語族のアイルランド語でも起こりえるだろう。しかし、ウェールズ語はアイルランド語よりも人称変化が関係してくることが多いように思う。そのため、個人的にはアイルランド語よりもウェールズ語の方が複雑な印象を受ける。

ただ好きな点が一つある。それはアイルランド語と違って、つづりが複雑でないことだ。英語と比べれば、子音だらけに見えるかもしれないが、ちゃんと規則があり、ポイントをおさえれば読むことに慣れるのはそう困難ではない。

Brexitとウェールズ語

ウェールズ語からみると、Brexit(ブレクジット)はマイナスにしかならないと思っている。理由は下記の通り。

1.EUからの援助がなくなろうとも、ウェールズは法律にのっとり、英語と同等の権利をウェールズ語に提供しなければならないから
2.ウェールズ語の維持と発展はEUの財力から成り立っているわけでないから
3.EU内の少数・地方言語の研究機関・団体と相互連携しづらくなるから

ウェールズは法律上、ウェールズ語に対して英語と同等の権利を保障し続けなければならないだろう。そのため、イギリスのEU脱退は本質的ではない。むしろ、他のEU内の言語問題の共有がしづらくなる、という副次的な問題が出る。その点においてマイナスだ。

EUからしてみれば、サポートが面倒になるだけだ。二〇一八年のウェールズ国民議会の文化部門のパンフレットではBrexit問題との関わり合いについて取り上げられている。このパンフレットによれば、ウェールズは"Creative Europe", "Horizon 2020", "Erasmus+" そして、"the European Regional Development Fund"などから支援を受けている(8)。

特にウェールズ語に関していうと、ウェールズ語委員会(The Welsh Language Commissioner)が "Erasmus+"からウェールズに、四千万ポンドを超える援助を受けて、七千人以上の市民が恩恵を受けられたらしい。例えば、バイリンガル教育への理解を発展させるため、資金援助により、ウェールズの教育者をカタルーニャやバスクへ研修旅行させたようだ(9)。

だが、これがなくなったとして、言語保護や発展に壊滅的なダメージをもたらさない。イギリス議会やウェールズ議会がロシアのように、国内の少数言語に対する教育の予算を削減やカットしない限りは。

#とは

オススメ

今回はオススメを取り上げない。というのも、どうやらウェールズ語には複数のタイプの話し言葉や書き言葉があるらしく、みだりに「これが一番!」と言い切れない状態であるようだからだ。今回は私が目を通した教材を中心に並べるだけにとどめる。多分、この二冊は口語体中心だと思われる。日本語の教材の中身はうまく手に入らず、確認できていない。

参考

(1)Welsh Language Act 1993, 第五条二項 http://www.legislation.gov.uk/ukpga/1993/38/part/II
(2) National Assembly for Wales Assembly Commission. 2013. "Official Languages Scheme". PP.1. https://www.assembly.wales/NAfW%20Documents/About%20the%20Assembly%20section%20documents/ols/ols-en.pdf
(3)〃 .PP.2
(4)〃 .PP.5
(5)〃 .PP.7
(6) Jones, Christine, Brake,Julie. 2000. "Teach Yourself Welish". PP.26. Teach Yourself
(7)〃 .PP.12
(8)National Assembly for Wales Culture, Welsh Language and Communications Committee
. 2018. "Brexit, the arts sector, creative
industries, heritage and the
Welsh language". PP.2. http://senedd.assembly.wales/documents/s81782/Report%20Brexit%20the%20arts%20sector%20creative%20industries%20heritage%20and%20the%20Welsh%20language.pdf
(9)〃 .PP.3

Facebookもよろしく

Twitterもよろしく


この記事が参加している募集

資料や書籍の購入費に使います。海外から取り寄せたりします。そしてそこから読者の皆さんが活用できる情報をアウトプットします!