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現代アート研究

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現代アートを学び始めた外資系IT企業のプリセールス。 難解な現代アートを探求する学びの記録。
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#リカレント教育

考え続けるために、アートを学んだ

アートとは趣味であり、教養であり、生きる原動力であり、ビジネスである。 昨今の社会、経済情勢は、不連続の様相を呈しています。そうした予測不可能な時代にあって、現代アートを体験することが、将来を見通す助けになると考えます。私は社会人になってから30年近く、プログラマとして小さなソフトウェア会社でキャリアをスタートし、コンサルティング・ファームを経て、大手ソフトウェア企業に勤務しています。職種は色々と変わってきましたが企業の困りごとをITを使って解決するという仕事内容に一貫して

社会人向け教育 リカレント教育・リスキリング 現代アートなんてどうだろう?

このnoteは、大学院に進学した際の研究考察メモとして書いてきた。修士を取った後も続けているのは現代アート研究を習慣化させたかったから。思いついたときに書くのではなく毎週書く、ただし曜日までは固定していない。執筆にあたっては、ゆるさと厳しさを持ったルールを課している。 社会人向けの大学院、それほど選択肢は多くないけど選ぶことはできる。働きながら学ぶ、それをリカレント教育と呼ぶと思っていたけれど、リカレント教育は就業と学習のサイクルを指すということで、一旦職を離れることを言う

修士(芸術)、MFA(Master of Fine Arts)を取得してみて<全文公開>

2021年3月、修士課程を修了してMFAの学位を取得した。 節目にあたり2年間の学びを振り返っておこうと思う。 大学院へ進学の1年前、2018年。長く関わっていたコンサルティングの仕事(複数のプロジェクトに携わっていたため、仕事と書いた)が終わり、新しいクライアントの新しいプロジェクトを担当していた。長く関わっていた仕事はファッション・アパレル関連の仕事であり、ビジネスアイデアをひねり出す事業開発系の複数のプロジェクトだった。その後のプロジェクトは、情報システムを構築する

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《ソトタマシイ》への道

修士論文の仕上げとしてピエール・ユイグの《ソトタマシイ》を見に行くべきだと考えた。2020年11月末、佐賀で企画協力した展覧会を訪問するタイミングなので、それにあわせて足を運んだ。 太宰府天満宮に向かう。 福岡空港に到着し、天神に移動、そこから西鉄に乗って二日市で乗り換え、実質的に参拝電車になっている太宰府線に乗り換える。その電車が滑り出した時、客殿跡の広大な広場が広がる。その瞬間、ここは太宰府の領域であり、参道であると悟った。思えば、西鉄天神駅から巡礼の道は始まっていた

Pierre Huyghe: Sculptor of the Intangible - Interview Magazine 読書メモ

2017年のNasher賞の受賞について、アート・ジャーナリストの Taylor Dafoe 氏によるインタビュー。 There is virtually no art world convention that Pierre Huyghe has not sought to redefine. From customs of exhibition display, materiality, and medium, to the very ways in which we

George Baker, An Interview with Pierre Huyghe, October Vol. 110, Autumn, 2004 読書メモ 《Streamside Day Follies》

美術史家 George Baker によるピエール・ユイグへ2004年5月にニューヨークで実施されたインタビュー。それが October に掲載されていた。PDFのダウンロードは有料だけど、オンラインで読むならタダでいい。 この頃はHugo Boss Prize 2002を受賞した後。 インタビューのタイミングは、ピエール・ユイグがニューヨークのDiaで展覧会を終えた後、展覧会開催の9か月前からニューヨークに滞在していた。展覧会の終了は1月、インタビューは5月に受けている

Ben Eastham『Pierre Huyghe』October 2018 読書メモ

修士論文は、ピエール・ユイグ論を書く。 大学院で現代アートの研究に足を踏み入れ、分からないながらも見て、体験して、本を読み、考えた。 このnoteは、単体でも、全体としても、よく意味がつかめないと思う。ただ、自分の中では繋がっていて、でも、パンくずのような頼りない道しるべのように思う。それが途絶えたり、辿っているうちに、違う道に入ってしまったり。 同時代性、社会や政治の他にも、人に興味を持つようにした。(情報システム構築の仕事をしていると人に対する興味が希薄になるような

山口勝弘『新生パリ・ビエンナーレとリオタールの企画展に見るバランス・オヴ・パワー』 読書メモ

古い美術手帖を入手した。といっても1985年8月号だから、ルーシー・R・リパードのテキストが掲載されている美術手帖より新しい。1985年の8月号。インスタレーション特集として藤枝晃雄氏のテキストも読むことができる。 この美術手帖を手に取ったのは、星野太氏が、表層文化論学会の発表で、リオタールの『Les Immatériaux』展について日本語で書かれたテキストが、ほとんど確認できておらず、本誌に掲載されていた山口勝弘氏の海外レポートくらいのものであるとしていた。 日本語で

ゴドフリーの『コンセプチュアル・アート』再読メモ 脱物質化、展覧会、体験

修士論文に着手するにあたり、60年代のコンセプチュアル・アートの流れを整理する必要に迫られた。難解な現代アートはコンセプチュアル・アートから今に接続していると考える。60年代後半から70年代前半までの社会情勢も踏まえながら、再考していきたい。 修士課程1年目。美術教育を受けていないために、遅れを取り戻そうと、積極的に展覧会、書籍、映画などからインプットし、2年目に至る。幸いにして研究着手許可が出た。ほっとした年次切り替えのアイドリング中に、修士論文のテーマを考える。アーティ

オブジェが語りはじめると フィリップ・パレーノ展 @ ワタリウム美術館 鑑賞メモ

3月の上旬だったか、ワタリウム美術館のフィリップ・パレーノ展にでかけてきた。まだ、この時は、そこまで新型コロナ禍が大きくなかったような気がする。未来のことは誰にもわからないのだね。 展覧会は3フロアを使っている。エレベーターで2階から4階まで、順番に巡回していく。 展覧会ポスターのメインビジュアルにも使われている雪だるま、知らなかったら、これが何かが分からない。 写真で見ると、アクリルのオブジェのように見えるけれど、水琴窟のように水のしたたる音が響いている。恐らく、増幅

学びの動機

2019年4月に入学した社会人向け大学院、現代アートの研究に飛び込んだ。無事にM1を終えて、修士論文着手の許可がでた。美術教育を受けてきたわけではないので、知らないことだらけの1年目、戸惑うことや、こんなはずではなかった、なんてことがいろいろとあった。自分の学びが修士課程の研究というよりも学部レベルであることに、嫌気がさしたこともあった。 なぜ大学院に進学しようと思ったのか、入学時に整理したことが出てきたので、ここでも振り返りをしておこうと思う。 本業のために、毎年、スキ

哲学講義@アンスティチュ・フランセ東京 受講メモ

物事には好き嫌いがあると思う。アートに限らず、音楽、映画、食べ物、漫画、なにごとにおいても。 なぜ、好き嫌いがあるのか。 僕は好きという点について執着が薄い。様々なことについて、何が好きか?という質問が苦手である。自分の中で好きの優劣順序をつけることができない。一部の感情が欠落しているのか、無頓着なのか。理由はよく分からない。 相手の納得する答えを予め用意しておけばいいのかもしれない。食べ物だったらラーメン、アートだったら印象派、野球だったら巨人ファンとか、そんな感じに

「ゲーテからベンヤミンへ ドイツ文学における主題と変奏」 読書メモ

平野篤司 『ゲーテからベンヤミンへ ドイツ文学における主題と変奏』 四月社、2014。 なぜ、この本を手に取ったのか覚えていない。ただ、ベンヤミンは押さえておかないといけないと考えていた。著者は成城大学の教授、この本の他にもドイツ文学の本がある。成城大学のホームページからは、論文にアクセスすることもできる。 批評というキーワードでベンヤミンが出てくる。批評とは何かを勉強していたときに、行き当たったものと思う。 詩 造形 美しさ 文学を語る上で、出現するトピック。僕

『コンセプチャルアート』 読書メモ

正直、読むのが辛かった。読書のスピードは速い方だと思うのだけど、文章の書き方というか、言い方というか、持って回った書きまわしのように見えた。普段、よく読むのはビジネス書と技術書。結論は何?って観点で読んでいる。本書の難しさはゴールが見えないことなんだろうと推測する。 アートってロジカルに結論に導くものではない。ただし、議論はロジカルに行う。見かけ上は…?そうした対話、頭脳ゲーム、コンセプトとそれをテーマにした作品を解釈するために、読み込んでおくべき名著だと思う。 コンセプ