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山口勝弘『新生パリ・ビエンナーレとリオタールの企画展に見るバランス・オヴ・パワー』 読書メモ

古い美術手帖を入手した。といっても1985年8月号だから、ルーシー・R・リパードのテキストが掲載されている美術手帖より新しい。1985年の8月号。インスタレーション特集として藤枝晃雄氏のテキストも読むことができる。

この美術手帖を手に取ったのは、星野太氏が、表層文化論学会の発表で、リオタールの『Les Immatériaux』展について日本語で書かれたテキストが、ほとんど確認できておらず、本誌に掲載されていた山口勝弘氏の海外レポートくらいのものであるとしていた。

日本語で読めるのならば、確認しておこうと思った次第。


タイトルの通り、前半はパリ・ビエンナーレのレポートから始まる。

ポンピドゥー・センターと、そこの観客動員数がエッフェル塔や、ルーブルを抜いたとあり、新しい建物ながら、コンセプトは1970年代であるとか、そうした記載から始まる。パリ・ビエンナーレはラ・ヴィレットの食肉処理場の跡地に建設された大型の文化施設で開催された。

巨大な建物に、巨大なペインティングが提示されていた。キース・へリングの壁画の写真があったが、とても巨大なもの。テキストによれば、絵画は平均して8メートルの高さ、幅は10メートルを超す作品が提示されていたということ。この巨大作品を作るために、新しいアトリエを借りたアーティストもあったらしい。文字通り壁画のような展示風景の写真があった。

要するに、絵具を飛び散らせて、絵具を沢山使っているからという意味じゃなくて、絵画としての存在感がひじょうにはっきりと、明快に出ている。近くで見れば滅茶苦茶なんだけれども、遠くで見れば、ちゃんと奥行きがあり、色彩の調子もきちっと守られているわけです。(中略)ヨーロッパというのは絵画の歴史が依然としてストリームとしてあって、しかも、絵画はモノである。つまり、ペインティングというモノなんですね。そういうことを一番強く感じたわけです。(P.142)

絵画の大きさについて言及している。

六〇年代に環境芸術といわれたときに、ポロックにしてもニューマンにしても、大きな絵画というのは、人間を包み込むような環境になったという言い方をしましたね。(P.143)

絵画に神秘性を注入する方法のひとつは、大きくすること。単純な理屈ではあるけれど、なかなか実行できることではない。アメリカのアート・シーンが、大きな絵画によってヨーロッパの絵画を圧倒する中で、ラ・ヴィレットの展示場は、より大きな絵画を展示できるようにと、パリが力を入れて作ったと指摘している。そして、この年のパリ・ビエンナーレで、実際に展示を示したということらしい。

中国でも、巨大な美術館を建設しているが、こうした流れを受けてのものだろうか。では、日本ではどうだろうか。。。


本題の『Les Immatériaux』展。

この展覧会そのものが、一種の問題提起的な展覧会なんです。展覧会といっても、これは美術展じゃないんです。(P.143)

展覧会の入り口でヘッドフォンを受け取る。カタログを見ながら歩くのではなく、解説はナレーションで耳から入ってくる。その他にも、音楽あるいはオーディオ・ヴィジュアルによる表現を使っている。

「非物質展」を解くキーワードが五つあるという。そうしたテキストが、カタログに提示されていたらしい。

そのキーワードは、次の五つ。

マテリオー 材料

マトリー 原形、母形

マテリエール 肉体の、物質より成る、物質的な

マチエール 原料、品物

マテルニテ 母性

『Les Immatériaux』が複数形である理由は、これだったのか。いずれもマテリアルに関連する。フランス語の言語表現の多様さ、森の中を歩いているよう。日本語だと素材に近いイメージ。こうしたキーワードは、近年のエレクトロニクス・テクノロジーのなかでは、だんだんと見えなくなってきているとしている。クローン技術、コピーにより、母形なども存在感が薄くなってきたと。


ポスト・モダニズムを後期近代と表現している。モダニズムを近代とするなら、まだ近代は終わっていないということから、こうした呼び名になった。

この展覧会はどういうことで開かれたかということが、カタログなんかにも出ているんですけれども、要するに、後期近代をテクノ・サイエンスの時代というふうにとらえているわけです。いわゆるナチュラル・サイエンス、自然科学に対して、ここではテクノ科学という言い方をしているわけです。(P.145)

この一文によって、リオタールの『知識人の終焉』、『ポスト・モダンの条件』が、なんとなく分かってきたような気がする。けれども、まだ人に説明できるほどじゃない。

ポスト・モダンとは、高度情報化社会の始まりを予言していたのだろう。

企業経営は、ヒト・モノ・カネと呼ばれた。ここに情報が組み込まれたのはいつの頃だったか。高度情報化社会と呼ばれるようになり、情報を活用している企業が勝つということ、そうしたことから企業の経営にとって重要な指針であるとされた。IBMの大型汎用機が大企業の業務の主役、人事給与計算、会計のみならず、エンジニアリングにおける設計分野、シミュレーションなどにも活躍した。義父は、このころ日本IBMで大型汎用機を使ったシステム開発に携わっていた。



芸術もずっと、物質とか材料とか工業用材とかを扱ってきていたわけですね、とくに近代。そういう芸術が扱ってきた素材そのものが、いま次第に姿を消していっているんじゃないか。まさに素材の時代からメディアの時代とか、あるいはシミュラークルの時代とか、そういうふうに見えるものが変わってきている(中略)それを把握できないだろうかということが、どうも目的にあるみたいですね。(P.146)

世界が、社会が大きく転換する直前のタイミング、まだベルリンの壁は堅固であった。そうした転換期の「ドラマツルギーをあぶり出してみようという目的(P.145)」があった。


いまのテクノ科学が影響を及ぼした一つの隣接分野として、芸術を見ているわけです。(P.146)

哲学者であるリオタールが、その考えを示す方法として展覧会を選んだ。そして、芸術を用いて、様々な境界が無くなっていくコトを示した。そうしたリサーチのエビデンスとして展覧会のカタログを提示した。

順路を示さず、はじめと終わりのない展覧会。迷路のような会場、ヘッドフォンからのアナウンスは展覧会そのものを体験する。これは何か?展示されている作品から作品を見て歩く中で、新たな解釈や疑問が生まれ、もう一度見に行く。そうした回遊。

観客が体験し、パフォーマンスを創り出している展覧会。


1983年の『エレクトラ』展で電気の時代に辿り着き、2年後の『Les Immatériaux』展では、電気によって生み出されたテクノロジー、メディアに包囲されている現状を可視化する。

自分自身の肉体の問題にもかかわる身体性の問題でもあるし、環境の問題でもあるし、どういうふうに情報の中で生きていくかという問題でもあるわけでしょう。(P.147)

今日的な問題としても認識することができるし、やや進展したとみなすこともできる。この視点を修士論文で整理していこう。

objectではなく、materialとしたのはどうしてだろうか。(フランス語なので、英語では、若干ニュアンスが違うように思う。)非物質展とされるが、非素材展の方がしっくりくるのではないだろうか。日本語だと、物質と素材の違いは何か、前者は加工前で、後者は加工後。いや同じ意味かな。素材は何かの原材料になるが、物質はそれに限らない。


準客体としての物体。いよいよ修論のアウトラインがでてきたように思う。




本誌の入手にあたっては、再び、メルカリのお世話になる。日本にコモディティのセカンダリー・マーケットの概念を持ち込んだメルカリ、希少なモノが売れるかと思いきや、ユニクロやGUなどの衣類も取引されている。もったいない文化なのか、デフレ経済の成熟なのか、30年後は、どういう評価になっているのだろうか。そんなことが気になった。






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