George Baker, An Interview with Pierre Huyghe, October Vol. 110, Autumn, 2004 読書メモ 《Streamside Day Follies》
美術史家 George Baker によるピエール・ユイグへ2004年5月にニューヨークで実施されたインタビュー。それが October に掲載されていた。PDFのダウンロードは有料だけど、オンラインで読むならタダでいい。
この頃はHugo Boss Prize 2002を受賞した後。
インタビューのタイミングは、ピエール・ユイグがニューヨークのDiaで展覧会を終えた後、展覧会開催の9か月前からニューヨークに滞在していた。展覧会の終了は1月、インタビューは5月に受けている。その間もニューヨークに住んでいた。
It was also an attempt to understand how the artists originally involved with the Dia, like Robert Smithson and others, had played with the protocols of exhibition, and how they shifted the notion of representation.
ロバート・スミッソンなど,もともと Dia に関わっていたアーティストたちが,展覧会のプロトコルとどのように戯れ,表象概念をどのようにシフトさせていったのかを理解しようとする試みでもありました。
展覧会のプロトコル
前置きもなく出てくるキーワード、George Baker はもちろん、言葉の意味について質問する。リオタールを引用しつつ、これは物語の勢い(the momentum of a narrative)であると答えている。いまいちハッキリしないのは、英語とフランス語を混ぜながら説明しているからだろうか。それとも、展覧会のプロトコルは、リオタールの書籍の中に現れてくるのだろうか。いや、インタビューの中で提示している。
Land art, Minimal art, Conceptual art - these artists were all involved in the reformulation of protocols of exhibition and representation.
ランド・アート、ミニマル・アート、コンセプチュアル・アート - これらのアーティストはすべて、展示と表現のプロトコルの再構築に関わっていました。
George Baker は、Dia が、それらのアートの表現に積極的に関わってきた。そうした歴史を持っていると主張する。ピエール・ユイグはそれに同意して、そうした歴史を作ってきたアーティストと自分たちの世代のアーティストとでシフトがあったことを指摘している。
So being aware of this, I wanted to try to incorporate the history of this practice and in a certain way to register the manner in which there had been a shift in terms of these issues between the “Dia generation” and my own generation of artists. The earlier artists were mostly concerned with space and sculptural resolution, whereas temporal issues seem to be more important today.
空間、彫刻的な問題から時間的な問題へのシフト。
GB: So you wanted to stress a shift from strategies that reformulated exhibition protocols in terms of space to one that would open up these protocols in terms of time?
PH: Perhaps. Think of Smithson’s Spiral Jetty (1970). My interest was not in creating an object that escapes the exhibition frame only to merge with the landscape in its scale, but to do this more in a temporal sense. It would no longer be something in the middle of nowhere, no longer subject to this fascination of the Earth artists with the empty desert. My work would be precisely in-between the city and nature, in-between this place of meetings, signs, and corporations, which is the city, and nature.
GB: つまり、空間的な展示方法を再構築する戦略から、時間的な展示方法を開放する戦略への転換を強調したかったのですね。
PH:おそらく。スミッソンの《スパイラル・ジェティ》(1970年)を考えてみてください。私が興味を持ったのは、展示の枠から抜け出して、そのスケールで風景に溶け込むようなオブジェを作ることではなく、時間的な意味でのオブジェを作ることでした。
展示の枠組みと時間の枠組みと、そうしたことへの興味
インタビューは《Streamside Day Follies》に及ぶ。空間的に見たとき、都市と自然、その中間地点としての郊外。時間的に見たときは、歴史と自然、歴史と神話の間に作品を置こうとしている。
それに対して、ピエール・ユイグは郊外に置いたわけではなく、都市と自然の間だから郊外になるが、作品はイベントの中での行動をベースに考えていた。スミッソンの《スパイラル・ジェッティ》は物質的な物体、このイベント作品は、そうしたランド・アートの永続性とは違う永続性を見せるという。イベントは、度々再生される。リプレイが大事である。
当初はアラン・カプロウのようなイベント、パフォーマンスは想定していなかったが、現在の状況を踏まえて、表象とイメージを組み込むことにしたという。
現在の戦争を見てもわかるように、メディアが出来事を捻じ曲げたり、表象が出来事を支配したりしているのを目の当たりにすることができる。今日では、出来事とそのイメージ、そして解説が一つの対象となっている。
ニューヨーク州、ハドソン川の上流にある村。Streamside Day は、この新しいStreamside Knolls のための祝祭であり、Dia に展示されていたのは《Streamside Day Follies》。展覧会の1か月前に祭りが行われた。
調べたもののStreamside Knolls がどの辺りにあるのか分からなかった。
Dia の展示は公民館。緑色の壁が動いて、映画を上映するための準備を始める。映画が上映されている間は、壁はそのままで、上映が終わると壁はもとの位置に戻る。緑色の壁は、エメラルドシティを彷彿とさせる。上映されるのは Streamside Knolls での祝祭 Streamside Day の様子。
この祝賀会はピエール・ユイグが、新しい伝統行事が欲しいという村からの要望に基づいて、祝祭を企画するというプロジェクトだった。村長の挨拶から始まり、コンサートを行い、パレードもあり、最後は食事会を行う。そうした祝祭をアーティストが、地域の風習を取材するという観点で映像作品とする。フィクションを撮影しているこの状況はノンフィクションか。
The exhibition is a mise-en-scéne for Streamside Day and presents a project for a community center.
イベントと表彰("Representation")の概念、それがどのようにこのプロジェクトで機能していたか。表象、1980年代のアート・プラクティスにとって重要な批判的な言葉だった。 “critique of representation” として語られていた。ところが、ピエール・ユイグの言う表象は、この当時のアーティストとは異なっている。新しい表象で出来事を二重にしたり、歴史的表象をさらに反復させたり、ある出来事、表象、イメージをある方法で広めたりしたいという欲求と指摘する George Baker に対して、ピエール・ユイグは、”フィクションや物語が、実際にどのようにしてある種のリアリティを生み出すのかを調査すること”と返す。リアリティを付加すること。変化の話ではなく。
《Streamside Day Follies》では、祭日(féte)、祝賀会を作り、繰り返すことのできるイベント、そのようなフィクションを作りたかった。
フィクション。音楽に例えれば”楽譜”と呼び、その実現を"コンサート"と呼ぶことができる。映画の場合は”脚本”。介入することで、脚本を創作したという。
時間に応じたイベント、それを祝う。
そうしたアイデア、これはクリスマスのような。
そもそもクリスマスは何を祝っているのか?飢饉の時、アイルランドの子供達は食べ物を求めて家から家へと物乞いに行かなければならなかったという事実の繰り返しだと言う。繰り返しを重ねることで、多層になり、より複雑になった。
しかし、ハロウィンは商業的なフィクションである。
フランスにとってハロウィンは新しい習慣。アメリカからフランスに輸入された。昔は製品を輸入していたが、今は伝統を輸入しているという。
お祝いとは、私たちが共通して持っているもの、共有しているもの、その共通の基盤があるからこそ祝うものとされる。それは記念碑のようなもの。しかし、行事は繰り返すたびに再度変化することができる。
習慣を植えるというのは、安定した反復を設定することである。マーケティング戦略であり、一年を伝統で埋め尽くして、恒久的なお祝いの場を作る。
"Streamside Dayのために私はコミュニティに共通する何かを探していました。"
彼が辿り着いたのは、移住という共通性。そして、もう一つの共通性、このコミュニティにやってきたのは、自然のため、昔からのアメリカの原生地域のような雰囲気に惹かれていたため。
不動産開発あるいは、ダン・グラハムの《Homes for America》のようなものではなく、自然あるいはエコツーリズムに惹かれていた。そんなときに不動産開発に出会い、それを「村」と呼んだ。ゴールドラッシュの時のような生まれたばかりの町。そうした新しさに歴史を注入するために考えた。
この場所に過去を作る。地域の記念日を作って、移住と環境問題に関連して、ハロウィンやクリスマスのようなお祝いの日の形。
こうした祝祭の計画をしたのではなく、"私はコミュニティに来て、祝賀会を開くことを提案しただけです" 新しい住民は、この提案に同意した。そうした祝賀会を望んでいた。
アーティストは、祝賀会のデザイナーになる。
移住と自然の祭典という共通の考えに焦点を当てたイベント。村は白と緑、銀色の風船と横断幕で飾られていました。最初に考えたのは、パトカー、消防車、スクールバス、ソフティーさんなどの市のサービスカーが町を練り歩く長いパレードから始まりました。パレードは移住のアイデアを再現している。これはまさにニューヨークで起きていることで、様々な移民のパレードが行われています。彼らがここを歩くということは、彼らがここに来たということを意味します。私は、とてもシンプルな山車を作りたいと思っていました。それはすべてポリスチレンの匂いがするような、人工的な、ダンキンドーナツの匂いがするようなものにしたいと思いました。アメリカのお祭りのイメージを見ていました。また、異教の儀式に思いを馳せていたので、このパレードは、人間が洞窟に住んでいた頃から常に行われていた音楽と食べ物に進むべきだと考えました。この新自由主義的なコミュニティの中で、何が異教的なのかということに興味がありました。ソフティーさんの音楽をミュージシャンに少し変えてもらった。ステージを設置した。ステージでは、最終的に町長がスピーチ、歓迎のレクチャーをした。続いて開発者の方のスピーチ。この後、人々が食事をする時間があり、小さなコンサートがあり、地域の子供たちがゲームをしていました。
フレームワークを用意して、そのフレームワークを手放し、そのフレームワークの中で偶然や相互作用に左右されることが起こる。それはアーティストの手に負えないこと。
直線的すぎる「プロセス」の問題というよりは、振動する時間性の問題です。私は展覧会を出発点として考えていたのであって、解決や結論を出す場所ではありませんでした。つまり、なぜ展覧会が5週間も続く必要があるのか?なぜ半年ではなく、なぜ一年ではなく、なぜ一生ではなく、なぜ一日ではなく?なぜ一日ではいけないのか?なぜ1時間ではいけないのか?可視性の時間は、プロジェクトに応じて設定されるべきであり、議論の余地があるべきです。私は常にフォーマットという概念に関心を持ち、与えられた慣習が何であれ、雑誌、映画、テレビ番組、祝賀会、展覧会などを考えているときは、それを再構築することに関心を持っています。
トポロジー
翻訳のプロセスのこと。何かをどのように使うかということ。翻訳することで失われる情報がある。対照的にトポロジカルな状況では失うものは何もない。
等価性のこと。
構造主義的であること。
僕の仕事、1990年代の終り頃、分散コンピューティングをやっていた。まだ、Webブラウザベースでシステムを作ることが珍しかったころ。
分散コンピューティングでは、名前が大事、どこにどのようなサービス(プログラム)が存在するのか。そして、そのサービスは単一ではなく複数が用意されることがある。理由は、故障への備えだったり、負荷への対応だったり。そうしたサービスが、何者なのか、全てを統括するサービスがあった。それが、トポロジーサービス。
構造主義と、このトポロジーの体験から考える。トポロジカルな状況では、翻訳によって失われるものは無いと主張する。
トポロジーで考えたとき、そのドメイン(管理領域、他の名前があったような気もするけど、ここではドメインにしておく)に属するサービスは、全てを把握することになる。そのドメインに誕生したインスタンスは、トポロジーに自身を登録し、ドメインに自身の存在を知らしめる。サービスの依存関係、複雑な処理のリレーなどがあり、分散コンピューティングの難しさから、あまり普及することは無かったけれど、コンピュータのメモリの中に展開される構造を思い浮かべながらの仕事だった。
言語の構造を考えて、それをトポロジカルに捉えれば、そこから得られるモノは、失われない。
このあたり、もう少し深掘りしてみる必要がありそうだ。
いただきましたサポートは美術館訪問や、研究のための書籍購入にあてます。