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社会人向け教育 リカレント教育・リスキリング 現代アートなんてどうだろう?

このnoteは、大学院に進学した際の研究考察メモとして書いてきた。修士を取った後も続けているのは現代アート研究を習慣化させたかったから。思いついたときに書くのではなく毎週書く、ただし曜日までは固定していない。執筆にあたっては、ゆるさと厳しさを持ったルールを課している。

社会人向けの大学院、それほど選択肢は多くないけど選ぶことはできる。働きながら学ぶ、それをリカレント教育と呼ぶと思っていたけれど、リカレント教育は就業と学習のサイクルを指すということで、一旦職を離れることを言うらしい。(なかなかハードルが高いと思う。)一方で、リスキリングは全く新しい職業技能を身に着けるということを指すようで、こちらは職は継続したままであるという。

経済産業省の分科会資料がある。

このページ群の中の膨大な資料の中からリクルートのレポートを見つけた。

https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/digital_jinzai/pdf/002_02_02.pdf

リスキリングに関する調査レポートという具合でまとめられている。リクルートの思惑としては、教育コンテンツ提供を狙っているような思惑がありそう。

リクルートのレポートも踏まえた経済産業審議会の資料は、ここにサマリされているので、こちらの方がお手軽かもしれない。

リスキリングは、デジタル技術の獲得のための教育と読めるが、それだけではないだろう。デジタル領域に限定してしまっては、あまりにも狭くなってしまう気がする。プログラミングあるいは機械学習などの技術を知るというのもポイントだけど、それはまた別の議論かもしれない。

ただ、IT怖いという声が大きいのも事実。そうした恐怖心を取り除くというのが、最初の一歩のような気がする。



さて、リカレント教育として現代アートを研究した。(と思っていた。)職場は続けていたから、前述の定義に照らすとリカレント教育にはあたらないらしい。現代アートなので、リスキリングという点も怪しい。けれども、社会人が職業を持ったまま学びをすることを妨げるものは無いでしょう。

現代アートを学び、現職にどのような影響があったのか。卒業式の後、学びのまとめは次のnoteに書いた。


現代アートのよく分からない難解な作品、様々な解釈が引き出される。その解釈にあたっては鑑賞者にもリテラシーが求められる。コンテクストが広がる先にも思考は飛躍するし、そうして得た体験を言葉にすることで、よく分からないものを表すことができる。不連続で不確実な今の時代をサヴァイヴするために役に立つ。

辛抱強く、よく鑑賞するようになったことで、ふわふわとしたよく分からない顧客の要望を捉える力が強化された。そして、社会情勢を踏まえて言語化する。その言葉を顧客に響く手応えを感じる。

認識と知覚とを人間臭く見るようになった。アートは究極的に人なんだと思っている。人間臭さ、コンサルタント経験の長さから、何か問題があった場合に、あなたとわたしの議論から、問題を机上に置き(ホワイトボードなどに書き出す)、問題と私達という具合に人からの乖離を行ってきていた。そうすると、人の感情などに鈍感になるのだろうと思った。

よく分からないものを捉えて、説明するためのボキャブラリーが身に付いた。当初は感想くらい、しかもよく分からないというコメントくらいだったけれど、修論を書き始める頃には大分説明ができるようになったと思う。人の認識、社会の見方、人そのもの、時代感覚、捉え所のないものを言葉にすること、これは実務でもかなり役に立つ。


現代アートを研究することで、こうした物事の捉え方が身につき、結果として仕事に役に立ったと感じる。一番の成果は自分の目標でもあったオープンマインドを身に付けることができた。一方でキャリア志向からは遠ざかってしまった。

社会人の学びとして、現代アートを研究するのはどうだろうか?



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