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「君は生まれてはじめて自分自身にめぐり会ったのだ」ー世田谷版GBERと自由七科と。

市川望美です。

いま読んでいる本で、こんな言葉に出会いました。

『君は生まれてはじめて自分自身にめぐり会ったのだ』

そして、こんな続きがあります。

『自分自身にめぐり会うというのはかならずしもやさしいことではない。死ぬまで、他人のつくった眼鏡で世の中をながめ、他人のつくった物指しで自分のねうちをはかって、一生を終わる人もある。そういう人はついに自分自身にめぐり会うことなしに人生を送るのだ』(遠山啓『かけがえのない、この自分』)


一生を、自分自身にめぐり会うことなしに人生を送る・・・!

だとしたら、今まで「一生」生きてきた「自分」とは、いったい誰なのか・・・。

でも、遠山先生がおっしゃりたいこと、よくわかる気もします。

他人のつくった眼鏡で世の中をながめ、他人のつくった物指しで自分のねうちをはかっている限りは「自分自身」とは言えないでも、自分の目で見て、自分のものさしで自分のねうち(多分、自分だけでなく、様々なねうち)をはかることができれば、それは「自分自身」だということでしょうか。

労働におけるシニアの市場優位性??

ここ数か月、絶賛「世田谷版GBER」というプロジェクトに関わっているのですが、その中で幾度となく、今ここに集まってきている方々が、新しい自分とか可能性とか発見できたらいいなあ・・と思っていましたが、この言葉を見たときに、そうだ、そういうことなんだ・・・!と思いました。

このプロジェクトが、いうならば、「自分自身にめぐり会うきっかけ」となって欲しいし、「自分自身にめぐりあう場」を創りたいということ。

「シニアの労働の市場優位性が見えない」(つまり、せっかく雇うなら若い人のほうがいい)という声もある中、「既存の労働市場における評価」を軸に戦うのではなく、ただただ「社会貢献」という意味を強調するのでもなく、それぞれの経験や個性をもってのびやかに力を発揮する。仕事を通して地域に新しいつながりをもたらし、経済圏が拡大していく。それこそPolarisがずっと掲げてきた「ロコワーク」の神髄であり、そんな風にしたいと。

以前「ロコワークの価値」を調査していただいた時、「仕事と暮らしが繋がっていることから、生きることと自然に向き合っている」と表現してもらいましたが、60歳からでも、70歳からでも、何歳からでも、「はたらく」を通して「生きる」に向き合い、「自分自身にめぐり会う」経験となって欲しい。それが、この言葉に出会ってとても腑に落ちました。


そして、この春からリニューアルする「自由七科」にも、この言葉は重なります。「はたらく」×「アート」によって生み出したいことは、まさに「自分自身にめぐり会う」こと。

自分のものの見方や価値観は、本当に自分のものなのだろうか?

この流れを受け、「自分のものの見方や価値観は、本当に自分のものなのだろうか。」という問いを掲げ、『オーセンティック・ライフキャリア講座ー自分に根差した価値観を取り戻す。』というゼミ形式の講座の開校が決まりました。

URL: https://authentic-life-career.peatix.com/


私もこの春、GBERや自由七科を通して、まだ出会っていない自分自身にめぐり会えるかな。

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