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日本語版『チェヴェングール』拾遺(装幀と付録の話など)

待望のアンドレイ・プラトーノフ『チェヴェングール』、とうとう6月末に書店等での発売を控えています。こういう話は自分以外の誰もしないと思うので、ちょっとだけ書かせてもらおうと思いました。

装幀が最高じゃないですか、の件

今回、装画を清野公一さん(from 鳩棲舎)にお願いしました。日本で出るロシア文学の本は、最近はちょっと変化球が出ているとはいえ、基本的には質実剛健・泥臭いデザインが主流だと思うのですが(100%主観的な感想です)、しかしロシアのad marginemの出版物などを見るとわかるように、キリル文字にはそれ単体としてデザインになる力があると思っており、基本的にはキリル文字をシンプルに配置しただけでも相当かっこよい装丁が作れるはずなのに、と漠然と思っていました。

そこで、今回の表紙はぜひロシア語が分かる方にお願いしたかったのでした。清野さんはご自身がロシア語の翻訳者でもあり、アーティストでもいらっしゃる大切な年上の友人です。結果としてはご存じのとおり、想像を遥かに超えたすばらしい装丁が誕生しました(造本などは、細野綾子さんに手がけていただきました)。わたしとしてはまず、ロシア語がどんと大きく出ているのがロシアの出版物みたいでうれしい。

随所のディテールに、上に述べた考えや作品の思想(自然と作為の対立)を清野さんなりに受け止め、作品へと昇華された跡が見られるのではないかと思います。

主要なモチーフの魚は、作中に数回登場するподлещик(ブリーム; Abramis brama)という種類の川魚です。かわいい。

文字はすべて清野さんがこの装幀のために一から自作してくださったもの。「作為の一撃」が込められているというわけです。一枚の画として統一的にかっこよくすることを目指すと、どうしても既存のフォントではしっくりこなかったため、表紙で用いるすべての文字を一から作成することにしたんです、と清野さんはおっしゃっていました。ものすごい努力と時間をかけられた跡をご覧ください。

最後の最後まで、装幀者と編集者とで激論を重ねてこだわり抜いた作品になっています。ぜひ細かいところまでじっくりと見てみてほしいです。

ちなみに、手元にある諸外国語版の『チェヴェングール』をご覧ください。私たちのが一番かっこいいと思いますね。。

左上から時計回りに、ポルトガル語(ブラジル)版、ドイツ語版、ロシア語版(ただし『チェヴェングール』が収録された巻ではないです)、韓国語版。

付録が豪華ですよね、の件

本書には付録として、パゾリーニの書評の翻訳などを収録した冊子を付けています。

パゾリーニの書評はかなり良いものだと思う(読み方も妥当だし、独特な視点もあって興味ぶかく読める)のですが、わたしが知る限りどの言語でも、『チェヴェングール』とこの書評を容易に相互参照できるようにはなっていません。ロシア語への翻訳もいちおう存在しますが、80年代に雑誌に掲載された抄訳で、現在容易には参照できない状態です(ネットで探せば転がっていますが)。ですから、今回このような形でパゾリーニの書評を『チェヴェングール』と一緒に紹介できたのは、じつはものすごい快挙だと言ってもよいことだと自負しています。

版権の交渉がかなり込み入ったことになってしまったのですが、翻訳の藤澤大智さんと編集の倉畑さんとの粘りづよい交渉のおかげでついに陽の目を見ることになりました。パゾリーニがどういうところに着目して、どのような読み方をしたのかという点でも興味ぶかい資料になるはずです。ぜひ載せてくれとわがままを言ってよかったです。お楽しみいただければと思います。

パゾリーニの書評は、ロシア関係だとマンデリシュターム、ソログープ、ゴーゴリ、プーシキン、ドストエフスキー、ドヴジェンコ、日本関係だと谷崎潤一郎について書かれ、同じ書評集『Descrizioni di descrizioni』に収録されています。奇しくも今年はパゾリーニのアニヴァーサリー(生誕100年!)にも当たりますし、いつか全体が紹介されるといいなと思います。

雑誌『Tempo』の、『チェヴェングール』の書評が掲載された号
(Special Thanks: Biblioteca Sormani, Milano)

ゆめみるけんりについて

今回の翻訳プロジェクトに関わってくださった方のおおくは、出会ったタイミングはそれぞれですが、わたしが主宰するzine(同人誌)「ゆめみるけんり」を介してつながりつづけてきた大切な友人たちでもあります。非常に個人的なモチベーションから始めた「ゆめみるけんり」の試みがこういうところに実を結ぶことになるとは、まったく想像もしていなかったことでした。

あとがきでも書いたことですが、人と関わりつづけることの楽しさは、内にこもりがちなわたしに外をもたらしてくれる、つねに予想を超えた何かを与えてくれるというところにあるのだろうと思っています。つねにもっぱらわたしであることはとてもつまらないことです。ガチガチのわたしを壊してくれる友人たちを、わたしは本当にありがたい存在だと思っています。今回の翻訳でも、あらゆる場面で、友人たちはわたしに思いもかけない「外」の景色を見せてくれました。

「ゆめみるけんり」は、大学から社会に出たばかりのわたしを支え、そしてつねに文学と関わりつづけることを許してくれた試みです。これからもわたしがわたしでありつづけ、しかしなおわたしでないものになりつづけるための試みを、どんな形であれ続けていきたいと考えています。

『ゆめみるけんり』には、プラトーノフの書簡を翻訳して掲載した号もあります。在庫があるうちに、ぜひ取扱書店さんで入手してください。


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