掌編小説「そのバラは散らない」(1500字)
22時を過ぎ、未だ終わりの見えない作業。
冬はとうに終えたというのに、だしっぱなしのコタツ。その上には裁縫道具や手芸のマニュアル本が並んでいる。
黒いハンカチに、赤いバラの刺繍を入れていく。花弁を一枚、そしてまた一枚。あといったい何枚なのか、数えるのも嫌になる。
興味があって大学の劇団サークルに入ったのは良かったが、初めての舞台ではセリフが一言も出て来なかった。
あんなに練習したのに、本番では頭が真っ白になってしまった。
皆は私を責めなかった。脇役だったとはいえ、公演を台無しにしてしまったのに。
退団も考えたけど、美術班の先輩が「ウチで面倒見る」と言ってくれた。
嬉しかった。
役に立ちたい一心で小道具制作を引き受けたのに、作業は現在絶賛難航中。
あーあ、なんでこんなに私は役立たずなんだろう。
刺繍のバラがようやく六分咲きになったころ、玄関からチャイムの音がした。
そういえば仕事終わったら様子見に来てくれるって言ってたっけ。
「どお?順調?差し入れ持ってきた」
「ぜんぜん」
「ユカさん役者は無理だけど、裁縫は自信あるって言ってなかった?」
「うるさい」
恋人のカズキを招き入れ、コタツに向かい合わせに座る。
カズキが買ってきてくれた飲み物で喉を潤し、作業を再開する。
「ハンカチまで自分たちで用意するんだね」
「そうよー、これ、すごく大事なものだからね」
「へぇ、どんな」
「記憶を失った処刑人が主人公の話なんだけどね、悪い王様に利用されて、次々に罪のない人を殺してしまうの」
「うんうん」
「主人公には生き別れの弟がいて、その弟は反逆者になってまで主人公を助けに来るの」
「主人公は弟だとわからず殺してしまうんだけど、その後にこのハンカチを見て記憶を取り戻すのよ」
「そりゃ大事だね」
「うん、だからコレ、同じのをあともう一枚作んなきゃいけないってワケ」
「なるほどね、いけそうなの?」
「ムリかも」
これをあと一枚。わかっちゃいたけど口に出すとその現実に憂鬱になる。
「うーんでもがんばんなきゃ」
「お、えらい」
「今度こそ役に立ちたいもん」
「ふーん、じゃあ俺もユカさんの役に立とうかな」
カズキが裁縫道具を手に取った。
慣れた手付きでハンカチにバラの刺繍を入れていく。
「え?なんで?」
「んー?」
「なんでできるの?」
「できたらおかしい?」
カズキが自嘲気味に笑う。
「ううん、めっちゃ、すごい。それホントに難しいのに。」
「いいから、ユカもやんなよ」
いつも冷静なカズキが照れているのがなんだか嬉しい。
手伝ってくれるのが嬉しい。
人にあまり言わないであろう特技を見せてくれたのが、嬉しい。
「俺、元手芸部なんだ」
「なにそれ知らなかった、めっちゃかっこいいじゃん。私も負けてらんないね!」
二人で同じ作業するっていうのは、なんだか幸せかも。
結局出来上がったのは夜中の3時を過ぎたころだったけど。
二人とも完成させるのがほぼ同時だったのは、カズキが私に合わせてくれたのかな。
次の日にお礼のメッセージを送ったら、こちらこそ笑わないでくれてありがとう、だって。
舞台の上には二人の男。
剣を持った処刑人が、反逆者の男を追い詰める。
「これまでだな。その腕に巻いた黒いハンカチ、兵からの報告にあった通りだ。貴様が 反逆者だな」
「待ってくれ、これは」
「今さら外そうとも、手遅れだ」
処刑人が男を切り捨てる。
処刑人はバラの刺繍が入った黒いハンカチを取り出し、剣を拭った。
ゆっくりと剣を腰に納め、男が落としたハンカチを拾う。
そのハンカチにも、同じくバラの刺繍が刻まれていた。
このバラの刺繍、俺と同じハンカチをこの男がなぜ。もう一人の持ち主がいるとするなら。それは。
手を震わせ、すべてを悟る処刑人。
舞台が暗転する。
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
舞台裏、クライマックスのシーンを終えた処刑人役の劇団員から、二枚のハンカチを受け取る。
(おかえり)
バラの刺繍を撫でる。
片方に比べると少し歪んで咲いたバラと、そしてもう一つ。
(ありがと)
正確に形どられた方のバラは、いつまでも私を支えてくれそうな気がした。
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