人生に意味のないものなんてひとつもないと、わたしの人生で証明するんだ。

正直なところ、わたしは今年に入るまで
「ありのままの自分」というものを
自分自身でとにかく否定し続け生きてきた。

普通のレールから外れた自分。
まともな生き方が出来ない自分。
当たり前のことを当たり前にこなせない自分。

そんな自分を常に誰かと、何かと比較しては
何故自分はこんなこともできないんだ、だとか
何故こんな人生になってしまったんだ、だとか
こんなはずじゃなかった
何故自分ばかり苦しまなければいけないんだ、とか
そんなことを毎日考えては、自分を蔑み貶めて
自分で自分を傷付けながら生きてきた。

そんなわたしが、自分をありのままに受け入れて
認めてあげられるようになったきっかけ。
それは、昨年末の閉鎖病棟での短い入院生活だ。
たった2週間。でもその2週間があったから
わたしは今もこの世に留まることが出来ている。

昨年11月中旬。わたしは酷い鬱状態にあった。

最初はbarの仕事に行くことが出来なくなり
次第に何をする気力も湧かなくなった。
そして布団から起き上がることもままならなくなり
トイレに行くことすら精一杯だった。

最初のうちは、いつもの鬱状態だろう
少し休めば落ち着いてくるだろう、なんて
気楽に考えていたわたしだった。
しかし日に日に症状は悪化する一方で
遂には希死念慮が抑えきれず、酒と薬に溺れては
夜になるとODや剃刀、煙草での自傷行為
そして自殺未遂を毎日繰り返すようになっていた。

日に日にどんどんと増していく酒と薬の量。
この頃はもうわたしの脳内は完全に死に取り憑かれ
正常な思考回路なんて消え失せていた。
物に当たり、人に当たり、自分に当たり
身体中の生傷もどんどんと増えていったし
自殺未遂を繰り返しすぎて首にも痣が出来ていた。

ああ、もうだめだ。もう終わりだ。
このままじゃ本当に自分の命が尽きてしまう。

いつものように首を吊っていた、ある夜
ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。
あんなにも死にたがっていたはずなのに
もう、すぐそこまで「死」が近付いている現実が
わたしをとてつもない恐怖に陥れたのだった。

そしてわたしは自分の身を自分の手から護るために
自ら閉鎖病棟への入院を決めた。

しかし自ら決めたこととは言えど
やはり閉鎖での入院生活は辛いものがあった。
シーツもカバーも、何も付いていないベッド。
そしてそのベッド以外は何もない
監視カメラの付けられた何とも殺風景な病室。
携帯も勿論使えず、外部とは完全に遮断され
好きな音楽を聴くことも出来なければ本も読めず
娯楽なんてものは全く存在しない空間。
お風呂に入れるのはたったの週2回。
病棟の外に出られるのも週2回のおやつの日のみ。

自分がどんどん「人間」でなくなっていくような
そんな感覚が、入院中は正直常にあった。

勿論時間と共に、読書をすることが許可されたり
音楽プレイヤーを自己管理できるようになったり
出来ることは増えていったが、それでもわたしは
限りある時間をただ無駄に消費しているだけ。
こんなところで時間を消費していて良いのかと
焦燥感に苛まれることが多々あった。

そんな中で、わたしはナースに許可を取り
売店でノートと鉛筆を買い、書き物をはじめた。
ノートのタイトルは「サナトリウム日誌」。

わたしはこの入院期間を
絶対に無駄なものにしたくなかった。
これは必ずわたしの人生に於いて意味のあるものと
思いたかったし、そうなるようにしたかった。
決して人生に意味のない経験なんてないんだと
わたしの人生で証明してみせたかった。

だからわたしはこのノートを使って
その日感じたことを感じたままに書きなぐり
ポジティブな感情には青、ネガティブな感情には赤
といった感じで後日色分けをして
自分の感情の変化を分析してみたり
今まで休職中に通っていたリワークプログラムや
前回の入院中に学んだ認知行動療法
カウンセリングの際に学んだことなどをまとめ
自分が病気と上手く共存する方法を改めて考えたり
自分自身の長所や短所をまとめ
自分自身をもう一度しっかりと見つめ直したりと
とにかくとことん自分自身と向き合ってみたのだ。

その結果、わたしはわたし自身について
多くの気付きや学びを得ることが出来た。
今まで気付かなかった自分の心の声に耳を傾け
しっかりと訴えを聞いてあげることが出来た。
自分がこれから何をしたいのかもわかった。

わたしは本当は誰よりも生きたいと願っている。
これからやりたいことだってたくさんある。
ただ辛い現状が耐えられなくて、逃げ出したくて
それを終わりにしたいと思っただけで
本当は死にたいだなんて、きっと思っていない。
そして本当は自分の良いところも悪いところも
ちゃんと理解していて自分を認めていて
誰よりも自分のことが好きな自分が、いる。

普通のレールからは外れてしまったけれど
まともになんて生きられないけれど
でもだからこそ出会えた人たちがいて
普通に生きていたら出来なかった経験をしてきて
他の人とはちょっと違った感性や考え方を持って
わたしは生きることが出来ている。
それは紛れもなく自分だけが持っている
特別な武器であり、最大の長所になるじゃないか。

そんなことを考えるようになってから
わたしは自分を否定することも、蔑み貶めることも
全部綺麗さっぱりと、やめた。
というよりも、する必要がなくなったのだ。

何故ってそりゃあ、自分をありのままに
受け入れることが出来るようになったから。
そして、自分自身のことをあるがままに
愛することが出来るようになったから。

閉鎖病棟での入院生活は、上述したとおり
とてつもなく辛いものがあった。
でも自分の人生に於いて、これからの自分にとって
それ以上にとても有意義なものになった。

今までの自分の紆余曲折してきた人生も
そのときそのときは勿論、とても辛かったけれど
全部今のわたしにとって、必要なものだったんだと
改めて今一度理解することが出来た。

だからわたしは自分の人生に於いて
意味のないものなど何一つとして存在しないと
今は強く感じているし
これから先の自分の人生で起こる出来事も
良いことも悪いことも何もかもきっと
全て意味のあるものなのだと考えている。

というより、自分自身の行動や受け取り方で
意味のあるもの、有意義なものにしていきたい
そう思っている。

自分の人生に意味のないものなんて
何一つとして存在しない。

普通にもまともにも生きられないわたしだから
どちらかといえば辛い経験の多かったわたしだからわたしはそんなわたし自身の人生を通して
その言葉が本当のものなのだということを
これから先も証明していく。絶対に。

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