見出し画像

人生の教えをよく噛みしめる - 菜根譚(1)

『菜根譚(さいこんたん)』は中国、みん代の古典です。洪自誠という著者が、儒教、仏教、道教といった教えを合わせた人生訓を編みました。

「野菜、根菜をよく噛んで食べるように、栄養のある言葉を味わおう」という考えから、「菜根譚」と名づけられたようです。

では、『菜根譚』から現代語訳で引用します。

(以下の現代語訳は、「詩の図書館」オリジナルです。ただし、岩波文庫の『菜根譚』(今井宇三郎訳注 1975)をおおいに参考にしています。引用に付されたページ数は、岩波文庫に即しています。原典(原文と読み下し文、岩波の日本語訳)が気になる方は当たってみてください。)

耳には聞いていると「痛い」と感じることを聞き、心のなかには「思い通りにならないな」と感じることを持つことだ。それらが砥石といしになり、それでこそ徳を積む修行もはかどる。もし、言われることが耳を喜ばせ、なんでも心のままにうまくいけば、そのひとの人生は猛毒にまみれてしまうだろう。

pp.29-30

「良薬口に苦し」に似た教えです。人生、楽々行ったらだめだよ、ということでしょう。

強い風と大雨には、人ならぬ鳥でさえびくびくし、怯える。天気がよく光と風がよければ、草木も喜びに満ちるようだ。そうであれば、天地には和気のある一日があってほしいし、人の心には喜ばしい一日があってしかるべきだ。

p.30

天候と自然の例え話を通して、人の心のありかたをさとしています。

濃厚なお酒や甘いもの、からいものは、本当の味わいとは言えない。本当の味わいはただ淡白なものである。同じように、奇抜で異様なものは道に達した者の姿ではない。至人しじんつねなるものである。

p.31

派手好みや世間の人気をとりやすいもののなかに、深い味わいはない。「淡白」なものが真実なものである、という考えです。そしてそれはいつも変わらない(「常なるもの」)と言っています。

中国の古典で、このように淡泊さを大切にした言葉には、「君子の交わりは淡きこと水の如し」(『論語』)があります。

徳の道に進み、それを修めるには木や石のように朴訥なところがいる。もし、つい喜び勇んだり、他人を羨むようなことがあれば、すぐ欲望に負けてしまう。

pp.68-69

ここから先は

807字
この記事のみ ¥ 150

この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

詩の図書館の運営に当てます。応援いただけると幸いです。すぐれた本、心に届く言葉を探します。