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8/31人生に大切なことをいっぺんに学んだ日

8月31日、普通に考えると夏休みが終わる日っていうことなんだ。気づかなかった。私にとっては大切な人を失った日、父の命日でしかないから。

人の命ってどんなに願っても、どんなに一生懸命祈っても、どうにもならないって知った日。絶対に助かるから大丈夫っていうなぐさめはなんの力にもならないってわかった日。すがるようにして神仏に祈っても決められた寿命を私の都合で伸ばしてもらえるわけではないと分かった日。

父は神様のような人だった。愛にあふれた人だった。誰に対しても親切だった。たくさんの人に好かれ頼られていた。父が育てた植物は、愛という栄養を受けてすくすく育ち美しい花を咲かせたり、豊かな実をつけた。

手術をしたからもう大丈夫、あとは回復を待つだけって思っていたのに、みんなが仕事に出かけた後、誰にも見送られることなくひとりで旅立っていった。
最期に家族の悲しそうな顔で見送られることより、ひとりで逝くことを望んだんだろう。

会社に着くと同時に電話が鳴った。亡くなったという知らせ。すぐに病院に急いだ。すぐに行けば間に合うって思って大急ぎで。生き返るはずはなかった。「私が来たよ。もう一度頑張って目を開けて」奇跡が起きてもおかしくないくらい祈ったけど、どんなに念じても生き返ら
せる手はないのだと悟った。

会社に行かなければよかった・・・から始まり、もっとそばにいればよかった、もっと優しくしてあげればよかった、もっと喜ぶことをしてあげればよかった、次から次へ父に対してできなかったことへの後悔が沸き上がった。そして何度も「ごめんなさい」とつぶやいた。
ずっと涙を流しているとやせるのかな。
ガラス窓に映った自分の顔は、いっきに何十歳も年老いて、頬はこけ、目の下にくまができ、げっそりやつれていた。

葬儀には何百人もの人が参列してくださった。いろんな活動をしていた父はお仲間も多かったから。中でも父が長年打ち込んでいた詩吟の会の方々の吟じてくださった詩吟は、今でも忘れられない。思い出すと涙があふれる。あんなに魂が揺さぶられた経験はなかった。温かく力強い波動がぐんぐん心に染み入った。こんな感動的な見送りをうけた父のことを誇らしく思った。きっと本人の魂にも届いていて喜んでいたはず。

遺品の整理をしているといろんなものがでてきたり、いろんなことがわかった。
家族一人一人に残したものから、どれだけ思ってくれていたかがわかった。
そんな愛情を知らずに親孝行もできなかった・・・また後悔が始まった。
悔やんでも悔やみきれない。もう遅いと思ってまた泣いた。
涙は枯れない泉からとめどなくあふれでた。泣いてばかりの日々。

娘が後悔や懺悔し続ける姿を見て、父は喜ぶだろうか。やっと冷静に考えることができるようになってきた。

「ごめんなさい」はもう言わない。
「ありがとう」を言い続ける。

育ててくれてありがとう。
愛情いっぱい注いでくれてありがとう。
素晴らしい生きざまをみせてくれてありがとう。
そして、きっといまでも見守ってくれてありがとう。

8月31日には、生と死、人生に大切なもの、この先どんな風に生きていくかを学んだ日。毎年この日には墓前で「自分らしく生きているから見守っていてください」って報告する日。

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