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ショートショート 楽園の入り口と仙人のお役目


とあるいなか、というかひょっとすると地図にも地名がのっていないのではないかというくらいどいなかの海辺に一人の老人が住んでいる。いや、老人というより仙人かもしれない。しわくちゃの顔や体のしわ、よれよれの皮膚のたるみからして優に100歳は越えているように見えるし、なにより体からは人間では醸し出せないような何かがにじみ出ているようだから。

仙人は自分の役目を守り人だという。いつ果てるかもしれない、いやひょっとすると永遠に続くかもしれない命の使い道は、ひたすら守ること。

私がこのどいなかにたどり着いたのにはわけがある。いや、正確に言うとただ雲を追いかけていたらここに着いたというだけのこと。雲を追って海に入ろうとしたところを仙人に呼び止められた。

「あんたもあの雲に導かれて来たんか。そんなに慌てることもないさ。まずは茶でも飲んでわしの話でも聞いてからでも遅いことはない」
時間はたっぷりある。ただ雲を追いかけてきただけでどこ行くあてもない。仙人の話を聞くことにした。
浜辺に腰かけ、仙人手作りのこぶ茶をごちそうになった。仙人は空を見ながらゆっくりと語り始めた。

「昔から語り継がれてきた話じゃ。4年に1回、1日数時間だけ楽園に通じるっていう入り口が空に現れるんよ。その日は朝から驚くくらいた~くさんの入道雲が出てな、今日も暑くてまいるわ、なんて思ったそばから、ざ~っとすんごい雨が降るんよ。それが合図さ、特別な1日がその日だっていう。その後、雨はうそみたいにあがって、空にはそりゃーたくさんの入道雲が浮かんでな。その雲の中の一つに、他の雲とは雲泥の差ってくらいの分厚いもくもくしたどでかい雲があるんよ。一目瞭然さ、あの雲は特別だってことが。その雲の真ん中にぽっこりきれいに穴があいていて、穴というのは雲がそこだけないってことさ。白い雲の真ん中だけ青い空が見えてな。目を凝らして見るとそれは空じゃないなって気づくわけさ。トンネルっていうか、奥行きがある通路みたいなものがみえてな。で、わかるのさ、それが楽園の入り口だってことが」

話続けて乾いたのどを潤そうと仙人は手作りこぶ茶をずずーと音を立てながらひと飲みした。
「このこぶ茶はな、わしが採ったこんぶでつくったんよ。うまいか?」
こぶ茶の手作り工程の話になりそうなのをうまく軌道修正させた。
「あ~楽園の入り口の話じゃったな。
でな、昼間っから空を見上げる奴はそうたくさんいるわけじゃねえが、たま~にいるんよ。勘の鋭い奴が。あの雲の穴の中に飛び込んだらきっと楽園があるって信じる奴がおるんよ。あそこに崖が見えるじゃろ。雲の穴めがけて飛び込むにはちょうどいい高さなんよ」

仙人は視線を崖の上にうつしてまたこぶ茶をずずーと飲んだ。続きを話し始めるまでしばらく間があった。あえて私の期待を高めようともったいぶっているのか、それともその先話していいものかためらっているのか、それとも単に話し疲れて休んでいる間なのかはわからない。
仙人は今度は音をたてずにこぶ茶をごくんと飲み込んでから話を続けた。

「楽園に飛び込んだ時はそりゃー気持ちがええんよ。体の重さがなくなって羽でもはえたかのように身も心も軽うなってな。言葉ではうまく言えんが、解放されて自由だ~って。楽園はそういうところだってことさ。体がなくなったみたいに身軽でふわふわ気持ちいいってな。

でも、人間っちゅうもんは飽きるんよ、この上ない幸せの中にいる時も、自分が望んだ願いを叶えた時でも。じゃーそろそろ元に戻ろうって思っても、もう戻りようがないんよ、海のあぶくとなり候ってな。あの高さの崖から飛び降りて助かるもんはそうはいないだろうよ」

体があるから生きているって実感がある。
欲があるからがんばったり、達成した時の喜びがある。
つらいことがあるから楽しいことがわかる。
苦あれば楽あり。いろんなことが起きるから人生は楽しい。
楽園という『楽しいことで満ち溢れた園』は自分が作り出してこそ楽園になるっていうことじゃよ。

私は雲の穴と崖のてっぺんを眺めた。仙人のこぶ茶をすする音が耳に残っている。私はこぶ茶を飲み干してからゆっくり息を吐いた。
 泣いたり笑ったり、いやになったりまたやる気になったり。そんな生活でいい、いやそんな生活だからいい。心からそう思えた。

仙人は今日もどいなかの海辺に住んでいる。人間にとって大切なものを守るお役目を持って。

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