映画の泣けるシーンと新たな発見
映画館で映画鑑賞するのは一人に限る。それはいままでの経験から生まれたこだわりマイルールのひとつ。
映画は好きでよく友人と映画館に行った時代はあった。コメディを見ても、泣く場面でなくても泣いてしまうので
「この映画で泣けるところあったっけ?」
「なんで泣くの? どこで泣けるの?」とよく不思議がられた。
エンドロールは映画の一部で、大切な役割があると思っている。エンドロールが流れている間、余韻に浸ったり、現実に戻る前に気持ちを切り替えたり、印象に残った俳優や曲の名前をチェックしたり。なにより大泣きしたあとの涙を乾かすっていう時間でもある。それなのに、
エンドロールが流れ始めたとたん
「混む前に早く出ようよ」
「終わったね、早くなにか食べに行こうよ」と退出を急かす連れもいる。
そんなことが続き、一人で映画鑑賞するようになった。席は最後列の端っこの席。どんなに泣いても後ろからは見られることがないから。
たとえばエルトンジョンの半生を描いた大ヒット映画「ロケットマン」オープニングはアップテンポで明るい曲なのに泣けてきた。それは、見たかった映画をまさに今観ているといううれし涙でもあったと思うのだが、まずこのシーンで泣く人はいないだろう。
たまに私と同じ奇妙なタイミングで涙ぐんでいる人がいるとやけに親近感がわいてしまう。
大好きで何度も見ている映画なのに、ずいぶんあとになってから新たな発見をすることもある。例えば、
「ハリーポッターと賢者の石」のダンブルドア校長と「千と千尋の神隠し」の釜爺が同じようなセリフを言っている。
ダンブルドア校長「愛じゃよ、愛じゃ」
釜爺「愛だ、愛」
この二つのシーンが重なり合い、私の中でダンブルドア校長と釜爺がオーバーラップして、同一人物のようにさえ思えてくる。どちらも短いシーンだけど、何度見ても心にぐっと響き、涙があふれでる名シーン。
梅雨の季節、おうちでレンタルDVDなどで映画鑑賞するなら、ずいぶん前に流行った映画ですが、この2つの映画の”愛”のセリフのシーン、味わってみてください。そして、何人かで見るときはどのシーンでぐっときたか、語り合うと相手の感性がわかって意外な発見があるかもしれません。
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