「1年という単位」で気づけるもの
“1年という月日は、人を変えるのに十分な単位である、とふと思う。
個人的な話をすれば、1年前とは、住む場所が違う。仕事が違う、働き方が違う、プライベートのライフスタイルも違う。そしてそれらが異なれば、当然いつも接しているコミュニティが違う。日頃の人間関係が違う。
そうして周りの環境が変わると、人は変わるのだ。 ”
そんな書き出しで、「1年という単位」というエッセイをつらつら綴ったのが、2015年の10月。
世間の年の瀬ムードにようやく飲み込まれはじめて、なんとはなしに昔のnoteをぼーっと見返していて、このエッセイを見つけ、ほう、と思った。
今はそのエッセイを書いてから、さらに約1年が経ったところ。
また、当時からは、何もかもが、違う。
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1年前の私が言っていたように、今の私も、1年前の私とは住む場所が違う、仕事が違う、働き方が違う、プライベートのライフスタイルが違う。
毎日の暮らしが、全部違う。
結婚をして家族を持ち、はるか遠方へ引っ越して、妊娠という未知なる世界とともに毎日を過ごしてきた2016年。
妊娠生活中に垣間見た世界はすべてが新しくて、目からウロコの連続で、それは『とある妊婦の脳みそ』でも書いてきたとおりだ。
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“1年という月日は、人を変えるのに十分な単位である、とふと思う。(中略)変わるのは、その人の心の持ちようであったり、世界や社会をどのように見ることができるかという自分フィルターのようなものの色であったりする。”
昨年の自分が書いたエッセイを読み返して、思う。
それは、確かにそうだと、またいっそう強い実感を伴って、頷く。
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実際には、一昨年から昨年の私に起こった変化と、昨年から今年の自分に起こった変化は、まったく違う性質のものだ。
けれど、そこに変化があり、その変化によって自分の目から見える世界が変わったということは、同じ。
環境が変わると、見えてくる世界が変わり、その人の思考性が変わり、ひいては紡ぎ出されてくる文章も変わってくる。
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過去の文章を読み返していると、当然のことなのだけれど「ああ、これは当時の私が書いた文章だな」といつも思う。「今の私には書けない文だな」と、少々寂しいような切ないような、いや、だからこそ当時書いておいてよかったなぁ、とも思う。
だがまた同時に、「今の私が書く文章は、当時の私には逆立ちしたって書けないな」とも思うのだ。
むしろ、過去の自分のように書くことは、当時の状況を思い出して書けば、鮮明度は低くなるけれどある程度は不可能ではない。
けれど、未来の自分が書く文章は、どうしたって書けっこない。
昨年の自分には見えていなかったものが、見えてくる。新しい視点を手に入れる。そこから得た気づきが、ことばとして紡がれる。
そう考えると、歳を重ねることは魅力的なことだと思える。
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一方で、「見えていないものがあるからこその強さ」や「勢い」も、それはそれで、とても魅力的だと思うのだ。
20代前半の私が、今の自分と同じ視点を持っていたとしたら、きっと何かの衝動に突き動かされるようにして海外へ一人旅へでかけたり、会社を辞めて留学したり、ふらっと海外で働いてみたり、ということはできなかったのではないか。
目的は何か、失うものは何か、そんな理屈にがんじがらめになっていて結局動けなかったら。その先に広がっていた世界に出会えていなかったら。そう思うと、ゾッとする。
当時「見えていなかったもの」があって、本当によかったなぁと思う。
動いて、新しい世界を見て、変化をつづけながら(その変化は時に自分では気づかないうちに起こっているものだったりもする)、人生が螺旋階段みたいに、積み重なっていく。
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それは何も10代、20代に限った話ではないはずだ。
20代のころ、よく「まだ若いからねぇ」とちょっと年上くらいの人に言われてイラッとしていたけれど(笑)、本当は、世代によって区切られるものではない。おとなは、世代を言い訳にしたいだけだ。
生きている限り、だれだって、変化をつづけていく。
今日も、明日もあさっても。今年も、来年も、再来年も。
作者不詳の格言で「今日という日は残りの人生の最初の日である」「これからの人生で、今が一番若い」ということばに出会ったことがあるけれど、まさにそう。
いつだって、これからの自分の人生のなかで、今日が一番若い。
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来年はきっと、また大きな変化の年になる。
我が家の場合、今度は産まれてくる子どもの変化につきっきりで、きっと自分自身の変化には鈍感になるだろう。
そんなとき、1年後にはまた、このnoteをそっと読み返して。
そのときばかりは、母でも妻でもなくひとりの自分になって、1年前の自分からの変化を、ほうほう、と振り返れたらいいなと思う。
小さくても、大きくても。
慌ただしい毎日で、日々の変化に気づくことなんてできなくても。
「1年という単位」で改めて振り返ってみれば、積み重なってきた変化は、誰にでも、必ずあるはずだから。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。