母であり妻であり私である自分のこと
昨夜、2年以上ぶりに、ひとりで缶ビールを開けた。
「プシュッッッ!」
その音と感触が、予想していたよりもさらになつかしくて、ああほんとうに、長らくここから遠ざかっていたんだな、と気づく。
妊娠、授乳期間はアルコールを断っていたから、お酒を飲むようになったこと自体、ここ2、3ヵ月の話だ。ひとりでプシュッ、なんていつぶりか。
あえてグラスには注がず、冷たい缶に直接口をつけた。
ごく、ごく、ごく。
のどへ流れる特有の苦味と炭酸の刺激。爽快だ。夏だねぇ。
缶ビールを片手に、ダイニングテーブルでひとりPCを開く。
あ、そういやミックスナッツもあったな。ちょうどいい。冷蔵庫で冷やしてるチョコのお菓子も食べちゃおう。
そんな背徳感もひさびさで、ひとりにやにやする。
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母であり妻であり私である自分のことが、ようやくいくらか落ち着いて捉えられるようになってきたかな、と思いはじめたのは今年の春ごろだ。
産後すぐは、母100%であった。
自分の食事すら、赤子へあげるおっぱいを出すためにその燃料を入れるという感じのもので、自分は母乳製造マシーンかつ、姫の執事(なんでもお世話係)という立場であった。
睡眠不足に、とにかく悩まされていた。「わたし」の欲求、たとえば眠りたいとか、休みたいとか、そういう欲求はどこか遠くのほうにむぎゅりと押し込まれてフタをされていて、「わたし」というものは不在であった。
当時は妻として夫に落ち着いて向き合う余裕もほとんどなかったなぁ、と思う。最低限のことはしなければと、一秒でも長く寝ていたいからだにムチ打って、親族へのいろいろな連絡や御祝い返しなどを行っていた。
母=自分であり、その役割をまっとうするためだけに24時間を過ごしているという感じだった。
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赤ちゃんのころはほんとうに数時間おきにおっぱいを飲むので、自分の存在がひとの生死に関わるというのもまた、母モード100%の状態をつくり出してしまう背景のひとつなのだろう。
いま思えば母乳神話にまどわされずにミルク育児したってよかったなぁ、とか、母乳にしたって土日くらい夫にちょっと預けてどんどん近所に外出すればよかった!とか、思うところはたくさんある。だがいかんせん、初めてのときはわからないのだ。
とにかく、圧倒的に「わたし」が不在だった。
そしてその状態は、「自らの意志さえ強くあれば道はひらける」的な考えのもと、自由奔放、好き勝手な生き方をしてきてしまったわたしには、とてもつらかったのだと思う。
思う、と書いたのは、当時はもちろん、四六時中つらいつらいと思いながら子のそばにいたわけでは決してないからだ。
子はかわいい。ニヤけるくらい、とてもかわいい。貴重な時間だな、愛しいなぁと思う。抱きながら、大好きだよー、としつこいくらい告白している。
ただ、ずーっと、ずーっと、24時間が何の切れ目もなく継続して永遠につづいていくという状態の方に、疲れ切っていた。
週に1度でもいいから、母モードを完全にオフにして(近くにいると結局気になってしまうので、別の場所にいるということが大事)、定期的に自分に戻れる時間がほしかったのだろうなと、今なら思う。
* * *
春になって、娘の保育園通いがはじまることになり、わたしも少しずつ仕事を再開するという状態が見えてきた3月頃。
ようやく、母でも妻でもない「わたし」という存在がゆっくりと、戻ってくる感覚があった。
「あ、春の服を買おう」
そう思えたのだ。
それまでは服装すら、すぐにおっぱいを取り出せることが最重要事項(笑)で、何着か買った授乳服を着回していた。
春の服を買おう。
自分の好きなコーディネートで、服を着よう。
そう思えたとき、「やった!」とさわやかな気持ちになった。
* * *
ひとりで缶ビールを飲みつつ、ダイニングテーブルでPCに向かっていたら、娘を寝かせていた夫がのそりと起きてきた。仕事が残っているらしい。
わたしをじっと見て、その周りの光景を切り取るように、指で空中に四角を描き、言う。
「いいねぇ。戻ってきた感、あるね」
そのことばがすべてを、表している。
夫とも、また一緒にお酒を飲んだり、互いの仕事の話も楽しくできるような関係になっていきたい。いまは「母」と「わたし」に精一杯な感が否めないけど、一応、妻でもあることを忘れているわけじゃないよ(笑)。
母と、妻と、わたしと。
上記のすべての面をあわせもつのが新しい「自分」なのだということにようやく気づいた、このごろ。なんとか「自分」を再構築して、新たなバランスを探ろうとしている。
まだまだふらふらと不安定な飛行だけれど、しかたない。新しい「自分」操縦のパイロットは、まだ新米なのだ。気長にやってゆくしかない。
(おわり)
P.S. 本当はビールより、日本酒と焼酎が好きです。三岳のロック呑みたい。
自作の本づくりなど、これからの創作活動の資金にさせていただきます。ありがとうございます。