癒されていないこと、を癒す

月曜は夫の出勤が早い。

送り出したあと庭の雑草が気になり、ちょちょっと抜く。

この家の工事が始まったころ、更地に巨大な石があるのに気づいた。
義父がどこからか調達した沓脱石だった。
さらに、庭石もひとつふたつ…。

自分たちが建てようとしている家に不釣り合いな石。
夫に泣いて訴えたけれど、「仕方ない」で済まされたんだっけ。

道路に面した生垣のチャボヒバも、義父母の趣味で植えられ、長年剪定をお願いしていた(頼んでないけど、早朝から来てくれて)。

ハウジングメーカーのちょっとおしゃれな和風住宅のはずの家に、田舎っぽさが加えられた。
こんなことになるなら、入母屋造り鬼瓦ありの家にすれば似合ったかも(よくないけど)。

そんなことを思い出しながら、抜いた草を庭の隅に積んで家の中に戻った。

どうしようもないことに怒らなくなったのは、年をとったから?
それとも、頑固な義父に鍛えられたから?

昨日のカウンセラー仲間の読書会で、カール・ロジャースとグロリアさんのセッション逐語を読み終えた。

自分を受け入れてくれなかった父親との関係が、別の形で現れ、陽性転移もありながら癒されていく様子に驚くばかりだった。

義父の病状がいよいよ悪くなったころ、自宅のベッドを見舞うと、私に手を握ってくれと頼んだ。

あれだけ泣かされた人の手を握るのは嫌だったけれど、迷ったのは2秒ほどだった。
何か心に変化があるかもしれないと思って。

今もそのことについて言葉にするのが難しいのだけれど、義父はよく子どものころの話をした。

そして祖父母(義父の両親)の話をした。

ひどい親だったと。

私にはそう思えないけど?と思ったが、義父の話をテクニックとして傾聴した。

義父が子どものころや、20代、30代の話だ。
私が生まれるより前の話を、それも嫁の私に愚痴るなんて、こっちこそ言いたいことは山ほどあったけれど。

この期に及んでとも思ったが、ただ頷いて聞くだけにした。

義父は何かしようとすると、大抵母親からネガティブなことを言われ否定されてきたようだった。
母親が息子を心配してのことと思うが、自分の思ったことをさせてもらえないことが、義父はずっと不満だったらしい。

知らんがな、そんなこと。
嫁の私にそれをどうしろと言うの?という心の声も湧いてくる。

カウンセリングでは二重関係を避けなければならないと言われている。
それでも、義父が余命幾ばくもない中で吐き出した言葉は、多少受け止められたかなと思っている。
あくまでも義父が思っていることとして聴けたかと、私にできた唯一の孝行かもしれない。

草を抜きながら、いつも躓きそうになる庭の巨大な石を見ながら、ふとそんなことを思い出した。

昨日の読書会が、とてもよかったから。
ありがたい時間だった。

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