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Can't help being proud of 《Japanimation》 (再勉生活)

アメリカの大学院に在学中、他国からの留学生や米国人が日本の工業製品の優秀さを賞賛され、
「You must be proud of those Japanese products」
と言われても、
「いや、俺は自分が成し遂げた事は誇りにするが、他の日本人の成果を自慢しようとは思わない」
と、とっても《Wet blanket》な(=その場をしらけさせる)発言ばかりしていたことは前に書きました(↓)。

それは、そういう気持ちが生まれそうになる時、
「……いやいや」
と無理に抑えつけていた面も、もちろんありましたね。

けれど、心の底から、
「I am proud of Japanese products as Japanese」
という気持ちになってしまい、抑えられなかったことも ── 実は、なかったわけではありません。

《再勉生活》の最終年度、おそらく、金曜の夕刻だったと思います。
掲示板に、学内での映画上映を知らせるポスターが貼ってありました。
目を惹いたのは、その中の《Japan》の文字だったと思います。
ポスターは、今夜、物理学科の大講義室でアニメーション映画が上映されることを告げていました。
主催者はその大学の《Japanimation研究会》であり、誰でも無料で参加できる、と書かれています。
博士論文のラスト・スパートで脳が疲れていたこともあるでしょう、ひと息いれたくて、また、《Japan》がアメリカの学生にどう見られているのかにも興味を覚えました。

時計を見ると、映画は始まったばかりでした。
急いで大講義室に行くと、巨大な部屋が半分ほど埋まっていました。
スクリーンで上映されていた映画の細部はもう憶えていませんが、主人公らしき人物まわりの《現実世界》と《心象風景》とが、交差したり、重畳ちょうじょうしたりする、とても複雑な展開をする物語で、しかも「無音」でした。
見ているうちにその中の不思議な世界に惹き込まれていきました。

当時、既に日本では大友克洋の《AKIRA》は連載が終了し、アニメーション映画も1988年に発表されていました。映画《AKIRA》が全世界の若者の心を動かし、《Japanimation》ブームが盛り上がったようです。
一方のアメリカのアニメーションといえば、相変わらずスパイダーマンや忍者タートル(Teenage Mutant Ninja Turtles)のような子供向けばかりでした。

── 映画が終わり、大講義室に灯りがともった時、1座席空けた隣にいる女子学生が、《Wow!》的に大きく目を輝かせていました。
「Do you like Japanese animation?」
と尋ねてみると、
「Oh! Of course, yes!」
そして、
「Japanese animations are very philosophical and profound」
と付け加えました。
《philosophical(哲学的)》はこのアニメに特有なんだろうけれど、勧善懲悪的なものが多いアメリカンコミックに比べれば、確かに《profound(深遠)》なのかもしれないな、とフンフン頷いていると、
「Are you Japanese?」
と尋ねてきます。
そうだよ、と答えると、
「You must be proud of Japan」
と確信を込めて言うのです。

私は ── この時だけは《自戒》を破り ── 《American OTAKU》っぽい、ちょいと太めのこの女子学生に、
「Yes, of course!」
── 満面の笑みで応じてしまったのでした。

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