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「Mr. Me First」を支持する人びと (家で★深読み)

昨日の記事で、《Mr. Me First》が組織なり国家なりでトップにまで上がってくるとエライことになる、と書きました。
では、どうして《Mr. Me First》はそこまで上がって来ることができるのでしょう? 「有能」であることに加え、独特の「魅力」があり、《支持する人びと》がいるのです。
その理由を考えてみたいと思います。

《Mr. Me First》を支持する人には、2種類あります。
1)《Mr. Me First》の上司筋にあたり、《Mr. Me First》を贔屓して、かなり高い地位まで引き上げてくれる人。
(2)《Mr. Me First》をある種ヒーローのように考え、応援する多数の人びと。

(1)なぜ《Mr. Me First》を引き上げるのか?

トランプ氏は富裕層の父親が経営する会社に入り、その資金でホテルやカジノの経営に乗り出しました。出発時点から高い地位にいた彼は(1)を必要としなかったのですが、そうした背景を持たない《Mr. Me First》には不可欠です。

プーチンは、ロシア大統領府第一副長官という職についていた時、初代ロシア連邦大統領ボリス・エリツィンのマネーロンダリング疑惑を捜査していた検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、プリマコフ首相のエリツィン追い落としクーデターを未然に防ぎます。
これによってエリツィン大統領の信頼を得て、第一副首相、続いて首相の地位に就きます。
そして、大統領代行となり、最初の仕事が、大統領経験者(エリツィン)とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することでした。
政界の闇情報を握るプーチンが、《安全》と引き換えにエリツィンから《後継》の地位を得たとも言われています。

記事《「Me First!」な人びと》中に挙げた、私の「Me First」な知人も、スケールの違いはありますが、プーチンと似ています。
彼は、自分がコントロールできそうな上司に取り入り、彼から上位の運営情報を得ると共に、ライバルに関する悪い情報を徐々に彼に流して信じ込ませ、同じ年代ではトップで階段を上がっていきました。

では、なぜ(1)の上司は《Mr. Me First》を信頼し、重要な仕事を任せてしまうのでしょうか。エリツィンのように弱みを握られている、というケースはとりあえず横に置いておきます。
《Mr. Me First》が有能であることはもちろんですが、有能であるがゆえに、本来ならば自分がやるべき重要な仕事を任せてしまうからです。
組織のトップやそれに準じた地位の人にとって重要な仕事は、《判断》し、《決断》することです。これは、とても孤独な作業です。常に100%の自信を持って実施できるとは限りません。相談する人が欲しくなります。
相談相手が有能な人物で、自信を持って、
「その件ならこうすべきです」
と言ってくれると、安心して自分もそう考えていたと脳で咀嚼し、実行できる
のです。
苦行から解放され、とても《ラク》です。
こんなことを繰り返すうちに、上司は《Mr. Me First》に《依存》するようになります。あとは、《Mr. Me First》が要求するまま、彼を引き上げていくのです。私はそんな光景を見てきました。
そして、《Mr. Me First》が耳もとでささやく通りに《判断・決断》を進め、── ある時ふと、自分が《Mr. Me First》に追いつかれ、捨てられていることに気付く……。


(2)なぜ《Mr. Me First》が大衆の人気を得るのか。

これはトランプ氏だけでなく、世界中のポピュリスト政治家に言えることですが、《Mr. Me First》が本音を語り、我々自身が潜在的に持つ、元始の欲望を解放してくれるからだと思います。
我々はみんな、個体生物として、基本的に自分が一番可愛い、自分が一番大切、つまり大なり小なり《Me First》です ── 露骨にそれを出すかどうかはともかくとして。税金は極力払いたくないし、自分のために税金を使って欲しい、と実は思っています。

世界平和と社会正義を語り、平等と友愛を重んじるリーダーの話を、
(そうだよな~)
と聞いていた。
けれどある日、《Mr. Me First》が現れ、
《Us First!》
と叫ぶと、その呪文で《建て前の魔法》が解けて我(Me First)に返り、

「そうだ、そうだ! よその地方、よその国、他の人種、他の階層なんかどうなってもいい! 我々のことだけ考えればいいんだ!」
と唱和する。
その結果、長期的には回り回って自分たちがいずれ困ることになるかもしれなくとも、そんなことは考えない。

《Mr. Me First》が我々大衆の心の中の《Me First》を掘り出し、
《Us First!》
の合唱の歌声を引き出し、ある意味、《元始の価値観》に還らせてくれ
るのです。

これは、ある種の《洗脳》です。
声高に叫ぶ《Mr. Me First》に《判断・決断》を任せてしまったわけです。
任せてしまえば、あとは、
「そうだ! そうだ!」
と言うだけ、── とっても《ラク》です。


── そう、(1)と(2)は、立場の違いこそあれ、本質は同じです。

《洗脳》にあらがううためには、ひとりひとりが自分のアタマで考え、悩み、判断し、決断するしかありません

《Mr. Me First》に組織や、まして国を任せることのないようにしたい、と思うのです。

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