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エイプリル・フールの想い出 (エッセイ)

本日4月1日が一応、結婚記念日になります。
一応、というのは、入籍は前日の3月31日なので。
フライングの理由は既に書きました(↓)が、その日まで妻が所属する共済組合から、結婚祝い金(5千円程度の大金!と記憶)をゲットするためです。

かなり個人的な話で恐縮ですが、「エイプリル・フールの与太話」とでも読んでいただければさいわいです(……史実ですが)。


私は子供の頃から叔父叔母や従兄姉の《結婚披露宴》に出席するたびに、
「自分はこういうことはしない。こんな金があったら《旅》をする」
と決めており、さいわい婚約者とも意見の一致を見ました。

互いの親には結婚予定の3カ月前、冬休みに会って、
・私の大学卒業と同時に結婚すること
・式は挙げないこと

を説明しました。
ちなみに、私が婚約者の両親に会ったのは、この時が初めてでした。

➀ どちらの親もきわめて常識的な人物だったので、「結婚式・披露宴は挙げて欲しい」との要望がありました。
➁ ただし、私の側も婚約者の側も、それまで(23歳と22歳)に《親離れ》は完了しており(私は経済的に依存していましたが)、私たちの《通常の》判断に対して親が異を唱えることはほとんどない、という関係でした。

しかし、➁にもかかわらず、けっこう➀の要望は強く、ぎりぎりまで紆余曲折はありましたが、最終的には、

〇両親立会いの下で《式》は挙げるが、《披露宴》は行わない

ということで決着しました。
当初は、学業を終えるまであと2年結婚を待てないのか、とも言われたくらいなので、このあたりがいい《妥協点》だろう、と判断したわけです。

結婚式は熱田神宮で行いました。費用は写真代を除き、2万円でした。
互いの両親の他、私の伯父のひとりと妻の兄が出席した、全員で8人の式でした(私の姉、妻の姉は欠席)。当然、媒酌人はいません。
指輪の交換なども ── 現在に至るまで ── 行っていません。

私の両親はその半年前に長女(私の姉)の結婚を大阪で経験しています。こちらは少々トラブルがあり、やはり出席者8人・披露宴無しという簡素なものでした。
東京に住む私には1週間ほど前に姉から電話連絡があり、
「オレも出た方がいい?」
と尋ねたら、
「来なくて良い」
と言われました。
別に仲が悪かったわけでもなく、ふたり姉弟で互いの結婚式に出ていない、というのは珍しいかもしれません。

ハネムーンというのは特になく(1年半後にソ連領中央アジアに行くことになりますが)、北松戸のアパートに帰り着いてから始めたのが、「プリントゴッコ(若い人は知らないかも)」を使った、親戚・友人への《結婚のお知らせ》印刷でした。

当然、日付は4月1日です。
当然、すべてが手書き文字です。

……友人は、誰ひとり、信じませんでしたね。
当時は(当時も)《おふざけ》(しかも、手の込んだオフザケ)が多かったので……。

親戚はどうか、というと、さすがに信じたようでしたが、私を一番かわいがってくれた伯父のひとりに面と向かって罵倒されました。
披露宴を行わず、結婚式にも呼ばれなかったことをなじられたのです。
その言葉の中に、
「そんな結婚は、《野合やごう》同然だ!」
というセリフがあり、さすがに伯母(その人の奥さん)にたしなめられていました。

ただ、私がそれを聞いて思ったのは、

(うーむ、《野合やごう》か! 万葉の草原で青カンしてるみたいで、なんだかロマンを感じるなあ!)

と「蛙のツラになんとか」状態でしたが……。

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