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まだ生きている人に因んだ名前を付けるリスク(エッセイ)

1972年7月、田中角栄氏が「日本列島改造論」を掲げ、内閣総理大臣に就任しました。
高等小学校を優秀な成績で卒業しながら、貧しさゆえに中学進学を諦め、努力と才覚で国会議員から首相へとのし上がった彼を、マスメディアも、
「庶民宰相」
と称賛しました。

その頃、首相とはまったく血縁関係のない、とある「田中家」に男子が生まれ、その子は「時の人」にちなんで、《角栄》と名付けられました

それから間もなく、この「コンピューター付ブルドーザー」とも呼ばれた、きわめて優秀な若き首相は、「日中国交正常化」という歴史的大転換を成し遂げました。

しかし、金脈問題に端を発したスキャンダルから1974年の12月に首相を退任し、76年7月に逮捕されます。
なおも政界に隠然たる力を保持していましたが、1983年、有罪という一審判決が下ります。

さて、田中角栄元首相とまったく無関係の人生を開始していた、「田中さんちの角栄君」はどうだったでしょうか?

ひどい話です(と私は思う):
著名な犯罪者(被告人)と《同姓同名》という、ただそれだけで、彼はクラスメイトの揶揄からかいの対象となり続けました
……そして、ついに耐え切れず、家庭裁判所に《改名》の申請手続きを行い、事情を酌量されて、認められたそうです。
(この記事は、新聞で読んだのか、週刊誌だったのかは憶えていません)

私にまだ子供はいませんでしたが、この記事を読んで、ひとつの重要な教訓を得ました。

まだ生存している人間は、現在、いかに高評価を受けていたとしても、この先どのような行動に出るかわからないし、過去に行ったことについても、完全に評価が定まっているわけではない。

従って、

《まだ生きている人間にちなんだ名前を付けてはいけない》

そんな話をしていたら、
「いやいや、既に亡くなった人でも安心はできないよ。いつ評価が変わるともしれない」
と言う人がいました。

確かに歴史上の人物を調べると、しばしば、
「##年に**という資料が発見されて以後は、¥¥のように評価されている」
などという記述を見ます。

例えば、鎌倉幕府を滅ぼしたヒーロー新田義貞は、近年、虐殺され、放置された大量の人骨が由比ガ浜で発見され、人物像の評価が変わった、という記事を見たことがあります。

「生きている人間」としては、《自分自身》の名前の一部を子供の名前に付ける人もいますね。
このような、
《自分にちなんだ名を付ける、まさに名付け親である親》
は、《自信家》であり、《自分が大好きな人》であることが多い。

そりゃ、そうだよね。

たぶん、
《自分のような(立派な?素敵な?)人物に育って欲しい》
という願望が籠められているのはもちろん、
《自分はこの先、不祥事を犯さない》
という自信もあるわけだし。

でも、生まれた子供と親の関係が、ずっと「良好」とは限らないし……成長した子供はどう思うのだろう?

「しょせん、名前なんてただの記号じゃん!」
あなたはそういうかもしれません。
でも、長い人生で、常にその名で呼ばれ、無数の書類にその名を自書する ──
《とても重要なアイデンティティーのひとつ》
なのではないでしょうか。

私は、初対面の人と名刺を交換したり、呑み屋で漢字名を教えてもらったりすると、
(この人の親は、どういう意図でこの名前を付けたのだろうか?)
《勝手に》想像します。
(……たまに尋ねます)

例えば、明大教授の齋藤孝先生のように、名前に「孝」の字を含む人に出会うと、
(この人の親は、生まれた赤ちゃんに、「将来の親孝行」を期待したんだろうな……)
などと考えます。

特に齋藤先生の場合は、その漢字一字のみなので、
(「100%の親孝行」を期待されているのだろうか……)
と(その重みを)勝手に心配したりします。

もちろん、私も親に自分の名前の由来を尋ねたことがあります。
私の名は母が主導して付けたものであり、
《彼女が考える「重要な価値」》
と、
《彼女が尊敬する「長兄」の名の一部》
を組み合わせたものです。

お! ……安心してください。

母の長兄は「デキ」も良く、一家の「期待の星」だったそうですが、戦時中、20代初めの若さで病死しました
(幼い弟妹を含めた8人兄妹の一家にとって、唯一の働き手だった長男の死は大打撃だったそうです)

「まだ美しいことばかり」の状態で夭折した伯父の名(の一部)だからいいけれど、例えば私が高校生ぐらいの時にこの人物がまだ存命で、どうにもウマが合わなかったら、自分の名前に対してあまりいい気持ちはしていないだろうな
── などと思うのです。

ところで……齋藤孝先生、ゴメンナサイ。

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