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スーパーに《Express Lane》があるのなら《Slow Lane》もあっていい (街で★深読み×再勉生活×スーパーやおい)

散歩帰りに、あ、そうそうビールを切らしてたな、とスーパーに立ち寄り、6缶パックを手にレジ待ちレーンに並ぶと、前のお客がバスケットにてんこ盛りで、── いやいや、別にその人が悪いわけでもなんでもないのですけど、
「ああーっ、俺はたったひとつだけなのにな」
って嘆きたくなること、ありますよね。

アメリカのスーパー・マーケットには、レジが4レーン以上あるような店ではたいてい、一番端に、
《Express Lane》
という札がかかっていて、その下に、なぜかたいていイタリック文字で、
《10 items or less》
と書いてある。
つまり、ここには、10品目以下という、購買点数の少ないお客だけが並んでいい《お急ぎレーン》なのです。

私の記憶が正しければ、《再勉生活》を送った1990年代前半は、
《5 items or less》
の店が多かったように思います。
当時のレジは商品価格を《キー叩き》していたから、5品目ぐらいが《Express》のイメージだったのでしょう。
バーコードを読むようになった今では、10品目程度は大丈夫ですよ、というわけですな。

《10 items or less》という、スーパーマーケットが主な舞台のコメディ映画(和題は「素敵な人生のはじめ方」となんだかダサい)もあります。

《お急ぎレーン》があるのなら、《ゆっくりレーン》もあっていいという発想でショートショートを書きました(↓)。
このところ、エッセイ的な記事ばかり上げていたので、創作はひと月ぶりぐらいです。

昔はどの町にも必ず、肉屋、魚屋、八百屋、乾物屋、と個人商店が軒を並べた《市場》があり、買い物かごを下げて、もちろん歩いて行ったものです。
夕飯の支度前の時間帯には、近所の人と市場でたいてい顔を合わせるので、社交場の役目も果たしていたのでしょうね。
子供も小学3年ぐらいになるとひとりで《お使い》に行かされ、紙に書かれた買い物リストを店のおじさんに見せたり、お釣りの額を確認したりして、《市場で育てられた》部分もあったのでしょう。

「スーパー・やおいの《渋滞レジ》」の中で、社長が個人商店主から聞いた話を紹介します:
『ある時期から、お客さんがこちらの眼を見て話してくれなくなった』
これは、実際に近所の花屋さんから、私が聞いた話です。
その店は、もうありません。

いつの間にか、巨大スーパーによって個人商店も市場も駆逐されてしまいました。私の街から市場や個人商店が消えたのは、1990年代後半でしょうか。
車はもちろん、自転車に乗れない年齢のお年寄りには、スーパーまでの道のりはかなりたいへんです。もちろん、配送サービスもありますが、配送を頼むと、ますます家に籠りがちになってしまいます。
お年寄り家庭に限らず、孤独・孤食の人、一日誰とも話をしなかった、なんて人は、このコロナ禍で増えていると聞きます。

買い物客も、スピード/効率重視の人ばかりではないはずです。
個人商店を駆逐したスーパー・マーケットが、あえて《ゆっくりレーン》を設け、ふれあいの場を提供してもいいかもしれません。

そこに、狭いながらも、いわばかつて存在した、《個人商店》のゾーンを作るのです。

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