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水泳を始めて、自分と向き合う

 水泳を始めました。子供の頃、7~8年やっていたので、一通り泳げます。本当に小さなころ、3~4歳からやっていて、小学6年生の頃に辞めました。まだ水の感覚は体に残っているな、と、プールに入って思いました。運動自体、遠ざかっていたので、久しぶりに入るプールは何とも言えないなつかしさでした。

 泳ぎ始めます。私は考えすぎる、と言われた事もあって、「もっと体も動かすようにしよう」と思って水泳を始めました。散歩しろ、とか、ジョギングしろ、とかいろいろ言われたのですが、やってみても続かないし、何となく自分の感覚ではないのです。陸上競技や球技は昔から、好きでもなければ得意でもないので、余計にそう感じたのでしょう。
 ある日、Amazonで水泳のセットが2500円ぐらいで売ってたので、衝動的に「1クリック」で買ってしまいました。「こりゃ、やるしかないかな・・・」という感じで始めます。

 何度か通っているうちに、少しづつ、昔の感覚を思い出してきました。頭を使わないで、体を使う為に、水泳を選んだのですが、それがそうでもありませんでした。
 私が行くのは昼間で、圧倒的に老人が多いです。私は極度の近眼で、高校生のプールの授業でも、女性の水着姿の記憶がありません。近眼過ぎて、スクール水着の紺色の物体がウロチョロ動いているようにしか見えなかったからです。だから、老人ばかりだろうが、若者ばかりだろうが、見える世界は同じなのです。

 泳ぎ始めて、少し慣れてくると、フッと心がザワつきました。

「あの人より速く泳げるはずだ」

 自分がはっきりと、そう思ったことに、自分がびっくりしました。誰かに勝とう、誰かより速く泳ごう、そういう気持ちがググっと持ち上がってきたのです。久しぶりに感じるというよりは、もしも水泳の時に同じことを感じていたのであれば、30年以上ぶりの感覚で、はじめてに近い感覚と言っても納得できそうな胸騒ぎでした。正直、自分では、あまり受け入れたくないという感覚が先に立ちました。

 実際に泳いでみると、その人よりも早く、優越感を持ちました。相手は老人です。そして、水泳を習ったことがあるかも怪しい動きでした。そんな人にでも、私は勝ちたかったのです。自分は勝ち負けにこだわるタイプではない、と勝手に思っていましたが、そうではありませんでした。

次に、50mをどのくらいのスピードで泳げるか、全力でやってみました。タイムを計るというより、自分の感覚とか体力を知りたかった。
 遠い20年以上前、高校生の頃、50mなんて距離のうちに入らなかった。そんな感覚がどこかに残っていたのだと思います。25mでターンして、10mぐらいで、息切れし始めました。クロールでしたが、明らかに頭を水面から出し過ぎていました。

「全然、だめだ・・・なんだ、この体。」

なんとか、泳ぎ切って、はっきりそう思いました。私は何を見て生活していたのだろう、私はいったい、何歳のつもりだったのだろう、私の自己イメージって・・・と、不思議な感覚に陥りました。
 要するに、自分の客観視ができていない自分に気が付いたという事です。自我が育っていない、自我の同一性が正確じゃないし、自我同一性自体を無視していた。

私は、主治医からうつ病の原因について聞いたことがあり、こういわれました。

「若いころから、たくさんの感情に蓋をして、今まで乗り切れてきた。ご自身でも『何とか乗り切れいてる、俺は大丈夫、と思っていた』と言ってましたよね。でも、そんなことはなかったんです。
 色んな感情に蓋をして、平気だと思っていたけど、それが、限界に達したんですね。
 水風船は破裂寸前だったけど、何とかなると思って、見ていなかった。でも、今回の異動が、その水風船を割った、そんな感じです。」

 私は最近、いろんな場面で自分の感情に蓋をしてきたことを感じます。それを開けていればよかったのかどうか、そんなことはわかりませんが、上記の水風船の比喩で言えば、たしかに割れそうな水風船を見て見ぬふりをしていた。これは、確かに思い当たります。

 水泳をしていて、頭を使わないと思ったら、そんなことはありませんでした。頭を使う・使わない、という話より前に、水泳を通して、私は自分と向き合うことになりました。

 それでも、水泳をした日は寝付きもいいし、段々と体を動かすことに楽しみも感じられるようになってきたと思います。私はうつ病の寛解は諦めているので、このまま病気でも構わないのですが、こうした感情は大切にしていいのかもしれない。

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