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高卒フリーター生活から一念発起して米国留学と現地就職を実現し、夢だったスポーツ業界への転職を見事叶えた髙木さんの話

こんにちは。PLMキャリアです。
今回は少し趣向を変えて、実際のスポーツ業界で働く方のキャリアストーリーをお届けします!

キャリア選択において、万人に共通の正解というものは存在しません。だからこそ、自分にとって最適なロールモデルを探すことには大きな意味があります。例えばスポーツ業界に漠然と興味はあるものの、まだ具体的にどんな仕事がしたいのかイメージがしにくいという方でも、その生き方や考え方、働き方などに深く共感できるような人物を知ることで、自分自身のキャリアを具体的に想像しやすくなります。全く同じ道を辿るということではなくても、部分的にその人の経験や考え方が参考になったり、自分の行動に繋がるヒントを得られるからです。

そこで、そんなロールモデル候補を順番にご紹介すべく、スポーツ業界で働く魅力的な人々の軌跡を紹介するキャリアストーリーを今後随時お届けしていきたいと思います。その初回として今回ご紹介するのが、弊社パシフィックリーグマーケティング株式会社の髙木隆さんです。
髙木さんはPLMキャリアのキャリアアドバイザーでもあるため、身内をご紹介する形になってしまうのが多少恐縮ではありますが、弊社が様々な背景やストーリーを持つ魅力的な人々が揃った会社であることは紛れもない事実ですので、開き直って、というより自信を持って取り上げることにしました。

髙木さんは、スポーツ業界で仕事をしたいという強い想いを10年以上抱き続け、その時々にやるべきことを常に考え実践し続けた結果、留学や海外就職、他業種での経験を経て、念願のスポーツ業界に辿り着きました。その考え方や動き方は、スポーツ業界を目指す方のみならず、何かしらの目標を持ってキャリアと向き合っている全ての方にとって、何らかのインスピレーションになるものと思います。

というわけで少し前置きが長くなってしまいましたが、以下インタビューとなります。楽しくお読みいただければ幸いです!

髙木隆さんプロフィール

髙木 隆
パシフィックリーグマーケティング株式会社
事業開発本部 事業開発部
海外ライツ 兼 NFT部門ディレクター 兼 管理部マネージャー 

米国大学・大学院卒業後に米国の監査法人で財務監査業務を4年間行い、帰国後、アパレルメーカー、コンサル会社を経てPLMに入社。入社初年度は、法人営業を担当し、新規営業から案件獲得、スポンサーシップアクティベーション企画、実行。現在は主に海外放映権の渉外やNFT事業のディレクターを担当している。特技は米国社会人生活で培ったビジネス英語。

▼PLM RECRUITページ 高木 隆

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受験失敗からのバイト生活から、スポーツ業界を目指して一念発起!

幼い頃からサッカーが大好きで、高校まで真剣にプレーしていました。一方で将来に関しては教育分野に関心があり、小学校の教員を目指して教育学部を受験したのですが、結果は不合格。自分なりに必死に勉強していた自負もあった分、ここで一度燃え尽きてしまい、浪人する代わりにフリーターとなって働く道を選びました。ですので、この受験失敗からのアルバイト生活が私のキャリアのスタートということになります。

一方で高校卒業と同時に母校のサッカー部で小学生を指導する機会に恵まれ(バイト先の居酒屋で夜な夜な働くかたわら)ボランティアとして日々の放課後練習に参加するほか、週末の遠征や対外試合にもしっかり帯同する日々を2年ほど過ごしました。この指導者生活が、私のキャリアにおける次の転機となります。というのも、日々子ども達と接する中で、彼らがサッカーを通じて選手としても人としても飛躍的に成長していく様子を目の当たりにしたんです。振り返ってみると私自身、サッカーを通じて様々な成長を経験していました。この気付きによって、スポーツが人の人生に対して持つ可能性や影響力の大きさに深く魅了され、初めて仕事でスポーツに関わることを真剣に考え始めました。そこでスポーツ関係の仕事を探してみようとインターネットで情報収集してみた結果、「スポーツマネジメント」なる分野が存在することや、その本場であり最先端を行く場所がアメリカだということを知りました。これに大いに興味を引かれた私は、将来スポーツ経営に携わる仕事に就くこと、そのためのステップとしてのアメリカ留学を真剣に目指すことに決めたのです。ちょうど高校卒業から2年が経った頃でした。

資金も語学力も足りないけど米国に留学したい!

とはいえアメリカへ行きたいと思ったところで、まだとてもすぐに実現できる状況ではありませんでした。具体的には留学資金と英語力がとにかく足りません。そこでまずは資金作りのために2年続けた居酒屋を辞め、同じ飲食業で4つのバイトを掛け持ちしながら文字通り毎日休まず働く生活を始めました。

その合間を縫う形で、大学受験に必要なTOEFLのスコアを伸ばすための英語の勉強もしなければなりません。当時の英語力はTOEICで670点くらいでしたので、現地の大学で学ぶにはまだまだ実力が不足していました。海外渡航経験もフリーター時代に友人を訪ねて数日中国に行ったのみで、英語圏には一度も行ったことがありませんでした。アルバイトまみれの日々の中で英語を続けるのは時間的にも体力的にもかなりハードでしたが、とにかく僅かな空き時間を使って独学で英語の勉強をしていました。結局最初のTOEFL受験まで2年かかりました。ただ、そこでまずまずのスコアが出せたこともあり、更に1年間バイトと英語の勉強を続けて、最終的にミネソタ州の4年制大学に入学できることになりました。留学エージェントを頼る金銭的余裕もなかったので、出願の手続きや受験の準備も全て自分で方法を調べて行いました。

今振り返っても相当ハードな日々でしたが、大学受験失敗を経てある種のドロップアウトを経験していた中で、一度レールから逸れるとなかなか元には戻れない日本社会の難しさをひしひしと感じていたため、とにかくアメリカに行った方が多くのチャンスがありそうだと当時の自分は考えていました。そういう意味では、自分の選択に伴う「リスク」について考える余裕自体が無かったとも言えます。この道に賭けるしかないんだと腹を括っていたので、とにかく働くのも勉強するのも必死でした。でもその甲斐あって最終的に資金面でも語学面でも必要な水準をクリアし、アメリカ留学を実現できました。最初に留学を志した瞬間から、ほぼ3年の月日が流れていました。

 

人生を変えた、MLB関係者からの言葉

こうして無事に留学した私は、ミネソタの大学に在籍しながら、アメリカの国内留学制度を活用し、セントルイスの大学でも学びました。スポーツビジネスパーソンを目指しての留学ですから当然、専攻はスポーツマネジメントにする予定でした(入学時でなく3年次に選考を決める仕組みだった)。大学でスポーツビジネスをしっかりと学び、そのまま日本で活躍する未来も当時は多少想像したりしていました。ところがここでもまた、自分の人生の方向性を大きく変える決定的な出来事が発生します。それは、ある現地のスポーツビジネスパーソンとの出会いでした。

大学の公開講座のひとつで、メジャーリーグのセントルイス・カージナルスのマーケティング担当の方が登壇されたのです。学内のポスターでそれを知った私は迷わず講座に出席し、講義終了後、スポーツ業界を志望する他の多くの学生達の波を掻き分けながら何とか講師のもとへ辿り着き、率直に一番知りたかったことを尋ねました。即ち「スポーツ業界に行くために何をすればいいか」という問いです。すると返ってきたのは「スポーツの仕事はアメリカでもドリームジョブなので、実現は決して簡単じゃない。それでも目指すなら、まずビジネスの基礎を固めてからの方が良い。」というものでした。いざ言われてみると極めて真っ当で現実味のあるアドバイスに感じられ、素直に納得している自分がいました。次の転機が訪れた瞬間でした。


苦手だった会計学を思い切って専攻

この言葉を受けて、ビジネスの基礎を身につける方法、そして外国人である自分がビジネスの現場に携わりながら米国に残るための戦略を改めて考え直しました。そこで初めて、当時多くの日本人留学生が会計士として現地の職を得ていた事実が目に留まり、自分もこの道を目指せば良いのではないかと考えるに至りました。とはいえ、実はこの時点で会計学には全く適性を感じておらず、現に以前に大学で履修していた基礎クラスですら成績はC評価でした。ですのでこれを専攻を選ぶことには多少尻込みしなかったわけではありませんが、目指す将来から逆算した時に最も現実的に感じられる選択肢だったこともあり、覚悟を決めました。

結果的に、この決断は吉と出ました。会計学の勉強を正式に始めて間もないタイミングでボストンキャリアフォーラム(多数の日本人学生が参加する就職活動イベント)に参加する機会があり、何とそこで大手監査法人のインターシップに採用されたのです。転機に次ぐ転機でしたので文字通り必死に自分を追いつかせる日々でしたが、最終的に上司の評価を勝ち取ることができ、大学卒業後のジョブオファー(内定)をいただきました。米国留学における一つの達成として嬉しい出来事でしたが、一方でそのまま学部卒で就職するよりも、修士課程を経て米国公認会計士(USCPA)の受験資格を取得してから就職する方が中長期的にプラスになると考えたため、ミネソタの大学を卒業後、ノースダコタの大学院へ進学しました。幸いにして内定先の監査法人が2年間待ってくれたため、大学院を終えたタイミングで就職しました。当時29歳でしたので、高校卒業から約10年、留学を志してから7年が経っていたことになります。

 

満を持して日本のスポーツ業界へ!でもまた転機!

この監査法人での仕事は4年間続けました。「ビジネスの基礎を身につける」という個人的な目標もひとまず納得できるレベルに達し、英語を使って働くことへの自信もつき、気が付くと30代前半という年齢に差し掛かっていました。最終的に日本でスポーツの仕事に就くことを目指していた自分にとっては年齢も無視できない要素で、遅くとも35歳位までに帰国しないと希望する形で日本企業に就職するのは難しいだろうと感じていました。それにアメリカでは職種によって発給ビザの種類が細かく決まっていたため、現地に残るなら原則会計士として働くしか選択肢がありませんでした。この状況でスポーツ業界への転身を思い描くことの難しさもあったため、会計士として働きながら、帰国と転職へ向けた情報収集を行いました。その中で当時急成長中だった日本のスポーツアパレル企業の求人を見つけ、その企業のビジョンに惹かれたこともあり、企業サイトの採用ページから直接応募しました。当時はまだコロナ禍以前でしたが、現地に滞在したままSkypeで面接を受け、全てオンラインでの選考過程を経て採用いただきました。

帰国後、そのスポーツアパレル企業で1年働きましたが、会計士の経験のみでは同じスポーツ分野でも希望する職種に就ける可能性が限られると感じたため、一度キャリアをリセットするつもりで再びスポーツ界から離れることにしました。そこで以前働いていた監査法人のグループ企業に日本国内で転職し、ここで会計ではなく企業価値評価の業務に従事しました。将来的にスポーツマネジメント、つまり経営の道に進みたかったこともあり、自分に必要な経験を積める分野だと考えたためです。ですので、そのまましばらくは辞めるつもりもなかったのですが、やはり転機というのは突然訪れるもので、ある時たまたまPLMことパシフィックリーグマーケティング(現職)の求人を見つけたことがきっかけで、興味を持って応募しました。日本最大のプロスポーツであるプロ野球で、試合のライブ配信を手がけるプラットフォーマーでコンテンツホルダーでもある同社なら、次のチャレンジの場として間違いないと感じたためです。スポーツ業界における自分のキャリアの基盤をこの会社でしっかり作りたいという思いを面接で伝えました。種目は個人的にルーツのあるサッカーではなく野球になりましたが、スポーツそのものが人の人生に対して持つ可能性や影響力に魅了されていた私にとっては、競技の違いは全く問題にはなりませんでした。どこでやるかよりも、まずは何をやるかが重要だと考えています。こうして、ご縁をいただいてPLMに入社することとなりました。

 

プロ野球界で最先端のスポーツビジネスに挑戦中

PLMへ入社して2年になりますが、本当に良い選択だったと思っています。入社した時から結果を出すことにこだわっていますし、今も自分がこの会社で何を残せるかを常に考えて仕事をしています。新規事業のNFTビジネスも担当していますが、コロナ禍においてデジタルアセットをどうマネタイズするかという最先端のスポーツビジネスに携われることは本当にラッキーだと感じています。社内でこの案件の話があった時には何としても挑戦したかったため、英語での海外事例収集などを自ら積極的に行ってアピールしました。その他、現在は海外の放映権ビジネスの交渉なども担当し、アメリカでの就業経験をスポーツ業界で大いに活かすことが出来ています。 留学前に思い描いていた「本場アメリカでスポーツマネジメントを学ぶ」という将来とは多少異なる道にはなりましたが、当時受け取ったアドバイスに従って「ビジネスの基礎」を身につけたことも、結果的に現地で英語を使いながらビジネス経験を積んだことも、全てが今のスポーツビジネスの仕事に繋がっています。


今後のキャリアについて

まずは現在の職場でそれなりの年数を過ごして経験を積み、自分のスポーツビジネスパーソンとしての基盤と実績をしっかり築き上げたいと考えています。その上で、いずれは自分の最も愛する競技であり、何より世界最大のグローバルスポーツであるサッカーの世界で勝負をしたいと考えています。まだ漠然としていますが、クラブ経営などに強い関心があります。これまでもそうだったように、今いる場所で結果を残し続ければ、いずれはそういったチャンスもいずれ巡ってくるだろうと信じているので、まずはここでしっかり頑張って実績を積んでいくつもりです。

 

スポーツ業界を目指す皆さんへ

かつてはスポーツ業界を目指して必死に行動していた私も、現在はPLMキャリアのキャリアアドバイザーとして、同じくスポーツビジネスの道を志す皆様をサポートさせていただく立場になりました。
求職者の皆様との面談時に私があえてお伝えするようにしているのは、「中長期的に人生をデザインする重要さ」です。私自身この視点を大切にしてキャリア選択を行ったことで、難しいとされるスポーツ業界への転職を実現できたからです。どんなに強く望んでいても、入れない時は入れない、無理なものは無理。それなら時間がかかっても目指すところへ辿り着ける道を探って地道に行動していくという、中長期的視点に立ったキャリアプランの重要性を伝えたいと思っています。目指すゴールまでの中間地点に石を置いていくようなイメージです。
またキャリアのタイミングによっては「損して得取れ」の考え方も必要だと考えています。スポーツ業界はそこまで賃金も高くない業界であったり、業界へ入るハードルも様々あると思いますが、時と場合によっては「お金で多少損しても経験という得を得る」という視点もあっても良いと思います。

自身が心から好きだと思うことを生業として取り組むことができるスポーツ業界の仕事は、本当に充実しています。ぜひ、多くの方に飛び込んで来ていただきたいと思います。
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取材を終えて

以上、髙木隆さんのキャリアストーリーでした。いかがでしたでしょうか?

聞き手として感じた髙木さんのキャリアのポイントは、俯瞰的・客観的な視点で社会における自分の立ち位置や評価を見極め、理想を見失うことなく現実的な生存戦略を立てて着実に実行していく姿勢と行動力です。考え抜いた末に一度結論を出したら、たとえ苦手な分野や時間のかかる選択であっても忍耐強く努力を続け、最終的に一つ一つ目標を達成していくことで、自ら道を拓いてこられました。誰もが簡単に真似できる生き方ではないかもしれませんが、全体としてであれ部分的にであれ、転職を考える皆様のご参考になるエピソードが少なからずあったのではないでしょうか。ご自身のキャリアに置き換えながら、ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。

今後もスポーツ業界で働く人々のキャリアストーリーは随時お届けしいたしますので、ぜひ楽しみにお待ちください!

 

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