劇場版コナン『黒鉄の魚影』最速10,000字レビュー - 灰原哀が抗ってきたものとコナンの魅力について
このレビューは『名探偵コナン 黒鉄の魚影』および過去の劇場版、原作単行本第78巻「漆黒の特急(ミステリートレイン)」までのネタバレを含んでいます。
本日2023年4月14日、『名探偵コナン 黒鉄の魚影』が劇場公開された。人気キャラクターである灰原哀や、ジンをはじめとした黒の組織の面々がキーパーソンとして登場する本作は、公開前から大きな話題となっていた。
自分も、この作品を心より楽しみにしてたコナンファンのひとりであり、この劇場版をみたあとの興奮がさめやらぬテンションで、この文章を書きつづっている。
興奮がひとしおな理由は、幼少よりコナン作品を見続けてきたコナンファンである自分として、この作品が間違いなくコナン劇場版作品の中で最高傑作の一つと確信しているからだ。
この作品の魅力について、いちコナンファンとして、語っていきたい。
『黒鉄の魚影』とは
『名探偵コナン 黒鉄の魚影(くろがねのサブマリン)』(以下『黒鉄の魚影』)は2023年4月14日に公開されたアニメ映画で、青山剛昌氏の漫画『名探偵コナン』を原作とした劇場シリーズの第26作目にあたる。監督は立川譲氏、脚本は櫻井武晴氏。
黒の組織が大々的に劇場版で登場する作品としては、2016年公開の第20作『名探偵コナン 純黒の悪夢(じゅんこくのナイトメア)』(以下『純黒の悪夢』)以来であるため、実に7年ぶりである。
物語は、パシフィック・ブイの監視カメラ網に実装された新技術、「老若認証」をきっかけとして動き出す。このシステムをもともと狙っていた黒の組織は、開発者の直美・アルジェントをさらったこと契機に、「老若認証」の結果から、灰原哀が組織の裏切り者であるシェリー/宮野志保ではないかという疑いをもつ。そのため灰原は、黒の組織のメンバー「ピンガ」らによって誘拐されるのだった。
コナンは、阿笠博士や毛利蘭、赤井秀一、安室透ら仲間たちと警視庁、FBIの助けを借りて、灰原の救出と『パシフィック・ブイ』にまつわる陰謀の解決にあたろうとする。
今回、「オーシャンバトルロイヤル」「4次元バトルロイヤル」と銘をうっていただけあり、多くのキャラクターが出演し、非常に複雑なキャラ関係になっている※1 。それにもかかわらず、各キャラクターにしっかり見せ場があり、話も終始ペースダウンすることなく、最後までハラハラしっぱなしストーリーとなっていた。アクションも圧巻の出来で、特に阿笠博士のサポートメカをフル活用したコナンの活躍は、過去作と比較しても最高レベルのものだろう。
ほかにも演技や音楽、色彩、音質、また新しく開示された「あの方」の現状についてなど、この作品を語る上でさまざまな切り口がある。しかしこの記事では、「灰原哀というキャラクター」という観点にしぼって語っていきたい。この観点でこの作品の魅力を述べることが、そのままコナンシリーズ自体の魅力をときあかすことにもつながっているからである。
過去作『天国へのカウントダウン』
灰原哀というキャラクターに焦点をあてる前に、『黒鉄の魚影』の立ち位置を、過去作と比較しながら言及しておきたい。
多くのファンのが知っているとおり、今作『黒鉄の魚影』の「灰原の居場所が黒の組織に発覚し狙われる」というストーリーラインは、劇場版としてはこの作品が最初ではない。
同様のストーリー展開をおこなった前例に、2001年公開の劇場版第5作目『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』(以下『天国へのカウントダウン』)がある※2 。この意味では、今回のストーリーの導入は、とりわけファンにとっては、完全に目新しいものではない※3 。しかし、それでもこの作品が『天国へのカウントダウン』と決定的に異なり、そしてファンが歓喜するのは、ファンが待ち望んでいた「変化した灰原」が明確に描かれている点にある。
これまでの灰原
ここでは、灰原の変化を語るにあたって、まず灰原がどういうキャラクターだったのか、を復習していく。
灰原哀は、原作では単行本18巻収録「黒の組織から来た女 大学教授殺人事件 」(1998年)※4 で初登場したキャラクターである。
もともとは黒の組織の科学者「シェリー=宮野志保」で、コナンの身体幼児化の原因となった毒物「APTX4869(アポトキシンよんはちろくきゅう)」の開発者であり、また自身もそれにより幼児化している。作品登場人物の中でも屈指の人気キャラクターで、各種の人気投票企画では上位にランクインしている。
薬の研究者だったことから、化学や医療分野の高度な知識を有しており、またハッキングなどの高い情報処理技術もあわせもつ。特に劇場版では、その知識・技術によってコナンのサポートをすることが多い。
作品に登場した直後の灰原は、どこか「影」のある、悲壮感や絶望感、諦念がただようキャラクターだった。団体行動を避けがちで、口数が少なく、口をひらいても皮肉や不謹慎なジョークを発する、そんな性格である。
これには背景がある。前述のとおり、彼女は(意図していなかったとはいえ)毒薬の開発者になってしまった負い目があり、そして数少ない肉親である姉の宮野明美も組織によって殺害されていた。また、姉の死を契機に組織に反抗・脱走したことことで、組織に追われる身になってしまったこと、また何よりも「もし自分の正体が見つかったら、コナンや阿笠博士、少年探偵団なども消されてしまう」というプレッシャーがあったのである。
これらのことから、灰原は、自己肯定感が低く、将来に悲観的で、自身の命には無頓着なきらいがあった。
『天国へのカウントダウン』 でもそれは同様で、ラストシーンでビルから退避する際、脱出用の車にコナンや少年探偵団と同乗せず、自身ひとりをビルに残して、彼らを助けようとする※5 。
このような傾向は、単行本第42-43巻収録「お尻のマークを探せ!」(2003年)でFBIからの証人保護プログラムを断り、コナンたちと一緒に黒の組織に対峙していく意志をしめす※6 まで続く。また比較的直近のエピソードである単行本第78巻「漆黒の特急(ミステリートレイン)」(2012年)※7 においても、殺されることを前提に周囲から距離をとろうとする言動がみてとれる。
以上のように、周囲を巻き込みたくないがために、こと絶望的な状況においては、自身の命を軽んじがちなのが灰原というキャラクターだった。
しかし本作では、そんな絶望的な状況からコナンのサポートをあおぎつつ、自ら助かろうとする。しかも、同じく誘拐されたエンジニアの直美を助けようとしながら。
灰原と「もう一人の自分」
本作の中で灰原は、黒の組織によってその正体が怪しまれ、誘拐される。そこには、幼い頃にアメリカで面識のあったエンジニアの直美・アルジェントがいた。
劇中では灰原が、あきらかに直美にシンパシーを感じていると思われる描写がある※8 。なぜなら、彼女たちには「科学者である」「開発品が黒の組織に利用される/されようとしている」「黒の組織によって肉親が狙われる」という共通点があったからだ。
特に、直美の父が、組織のスナイパー「コルン」撃たれた後の「自身の開発品をきっかけとして、周囲の人間が不幸になってしまう」ことに悲観する直美の姿は、これまでの灰原自身の経験と内面にも重なり、灰原も一度は、彼女と同様、絶望し涙を流すことになる。
しかし、灰原はそこから立ち上がる。諦めず、コナンや仲間たちのサポートを受けながら、潜水艦からの脱出を試みるのである。
灰原は、コナンが託した眼鏡をお守りに、自分と写し鏡のような境遇の彼女に対して、以下のように呼びかける。
自身が「子ども」の言葉や行動によって変われた経験を根拠にして、もう一人の自分のようにも感じる直美にも、「変わる」よう説得を試みたのである。
これまでの原作や劇場版において、ずっと「影」にとらわれ、周囲から助けられることも多かった灰原が、明確に変化をしめしたシーンである。それはまるで、現在の灰原が、過去の灰原自身に語りかけるように※9 、である。もしくは、灰原自身がなりたいと望む「自分でいられるように」。
このシーンは、灰原というキャラクターにとって、また原作初登場から20年以上灰原を見守ってきたファンにとって、あらわしようのない感動があった。
灰原が変われた理由
本作の中で灰原は、自身が変われた理由として、「子ども」の言葉や行動に影響を受けたから、ということを述べている。しかし、それが具体的にどんなものなのかは、本作中であえて明言されていない。
しかし、これまでの原作やTVアニメに親しんでいるファンにとっては、いくつか思いあたるものがある。ここでは、その中から例として、3つほど有名なシーンをあげたい。
● 少年探偵団(特に歩美ちゃん)の言葉
少年探偵団(吉田歩美、円谷光彦、小嶋元太)の存在は、灰原の成長に言及する上で欠かせない。彼らは、時にコナン・灰原の庇護対象として、また時に同等の友人として、特に灰原へ、強く影響を与えている。
単行本第20巻収録「青の古城探索事件」(1998年)や第39巻収録「お金で買えない友情」(2002年)など名エピソードはたくさんあるが、ここでは以下のシーンをあげたい。
これは灰原と歩美ちゃんの、事件の証言者である歩美ちゃんの安全性を確保を優先するべきか、それとも犯人に身をさらす危険性をおかして犯人を見つけるべきか、についての会話である。
むろん、状況を踏まえて考えたら、灰原の意見がもっともらしい。しかし歩美ちゃんは、そんな論理をこえた「逃げない」ことの重要性をとくのである。
この事件の解決後、灰原は前述のとおり、FBIの証人保護プログラムを辞退し、友人たちとともに黒の組織にたちむかうという決断をする。
● 毛利蘭の言葉
灰原と毛利蘭との関係性についてもここで言及したい。灰原の登場回は、前述のとおり単行本第18巻(1998年)であるが、実は蘭と会話する機会がすぐになかった。両者とも人気キャラクターで登場頻度が高いにもかかわらず、「正面からのまともな会話」は、なんと単行本第31巻収録「網にかかった謎」(2000年)までないのである。灰原は、当初から複雑な感情を蘭にいだいていた。それは例えば、次のような灰原のセリフに象徴される。
このセリフは、伊豆の海で蘭と偶然でくわした灰原が、自身をサメ、蘭をイルカ※10 と対比させて語ったものである。黒の組織という出自に合わせて、自分を「暗く冷たい海の底から逃げて来た意地の悪いサメ」と形容するところに、劣等感と臆病さ※11 がみてとれる。
しかし、この「網にかかった謎」のエピソードで、はじめて蘭とまともに会話した後は、蘭に対して次第に心をひらき、灰原は蘭に亡くした姉の面影をみいだすようになる※12 。
ここでは、灰原が蘭に対して打ち解けるきっかけとなった、以下の言葉を引用する。毛利蘭が、「勇気をもって人をあやめた」と述べる犯人に対して言った、この言葉をきっかけに、灰原は蘭の存在に惹かれ、そして影響されていったのである。
● 江戸川コナンの言葉
『黒鉄の魚影』の終盤で、灰原が海中のコナンを助け、コナンと一緒に行くり水面へ浮かびあがるシーンがある。その際、灰原は、自身の命を犠牲にしないまでも、それでも今後のことを考えると、コナンとはお別れになると考えていた。
しかし、そんな灰原の不安をかき消すように、コナンは笑顔をみせる。その時に、灰原の脳裏にうかんだのは、過去の絶望的な状況において、いつも助けてくれたコナンの顔だった。その回想の中で、真っ先に浮かんだ顔※13 は、コナンが以下のセリフを灰原にかけた時の顔である。
このセリフは、あと数秒で爆発するバスに残った灰原を、コナンが拳銃でバスのガラスを割って突入し、間一髪で助けた時のものである。
このようにコナンは、灰原が自身の運命に「抗える」ように、いつも勇気づけてきた。
灰原の成長からわかるコナンの魅力
以上のとおり、「私は変われた。だから信じて。」は、灰原の成長を象徴する言葉であり、また、灰原というキャラクターが、原作、TVアニメ、劇場版をつうじて変化してきた軌跡を象徴的に表したセリフである。『黒鉄の魚影』は、そもそもとして、灰原のある親切※14 から動きだした物語だが、その中で灰原は直美に勇気をあたえ、そして彼女を新天地へ見送るところで幕をとじる。
物理的にも精神的にも危機におちいることが多く、そのたび周囲の人から助けられることの多かった灰原が、自身の運命に「抗い」、人を鼓舞して希望をあたえる側に回った。いちファンとしては万感の思いである。
さて先ほど、彼女に影響を与えたと思われるキャラクターの言動を3あげたが、彼女に最も影響与えたのはキャラクターは誰かといわれると、それは江戸川コナン=工藤新一であろう。
作中、江戸川コナンは、どんな時も冷静※15 で、人命を何よりも優先し、また周囲に希望をあたえる存在である。彼にとっては、凶悪な犯罪者の命ですら守る対象である。
頭脳明晰で高い倫理性を有したこのキャラクターだが、作中で灰原へ影響を与えたという意味で、江戸川コナンの最も特筆すべき資質は、その推理力や博士の道具を駆使したアクションではなく、周囲へ希望を与えること、その一点につきる。
周囲を助ける、鼓舞する、どんな時も諦めないというヒーロー性こそが江戸川コナンであり、この要素こそが、コナン作品を、ミステリー漫画の枠をこえた、「国民的漫画」としている一番の魅力だろう。
灰原は、作中においてコナンからその影響を最も受けた人物の一人であり、その意味では、最も最前線にいる「ファン」なのかもしれない。
むすびに
この文章では、『黒鉄の魚影』の魅力を、灰原の変化という軸でみてきた。その際、『天国へのカウントダウン』をはじめ、過去作品と対比したり、原作を引用することで灰原の心情の変化を解釈したりした。そして、灰原の変化という軸でみることで、逆説的に、コナンとコナン作品がファンを魅了する理由の一端を述べることができた。
名探偵コナンは年々キャラクターが増えていっており、同時にマルチメディア展開も豊富で、全体として重層的な人気がある。
単体の作品だけではえがききれない、奥行きのある魅力を伝えられるのは、長期シリーズの特筆すべき点であり、コナン作品が持つ可能性である。
一般論として、漫画原作の連載と同時並行して作られる劇場版アニメは、原作者が劇場版用に書き下ろす設定を除いて、なかなか原作のディティールを越えることができないと言う制約が存在するケースがある。
だからといって、この作品をはじめ、TVアニメシリーズや劇場版の多くは、原作に閉じこもった作品ではない。むしろ原作のキャラクターの魅力を補完し、原作を守りながら、時に、瞬間的に原作を超えた感動を生み出すこともある。本作は、そのような、漫画原作をもとにしつつも、原作と異なって存在するアニメ作品の可能性を提示してくれる見本ともいえよう。この作品に関わったスタッフの皆様に、感謝を申し上げたい。
灰原のみならずコナン作品の魅力を余すことなく発揮した『黒鉄の魚影』は、劇場版としてのコナンの完成形の一つである。この文で言及できなかった要素を含めて、歴代作品トップクラスの出来だと個人的に思っている。近年のコナン劇場版人気を踏まえて考えると、本作はおそらく、コナン劇場版作品の興行収入が100億を超える、はじめての作品になるだろう。「国民的アニメ」であるコナンが、今後さらにどのようになるか、いちファンとして、これからも大変楽しみである。
最後になるが、この文章は、ぜひ本作主題歌の『美しい鰭(ひれ)』を聴きながら読んでいただきたい(YouTubeのスピッツ公式チャンネルをはじめ、各種配信サービスから聞くことができる)。本作のための書き下ろしであるというこの曲は、特に、サビの歌詞が美しくも優しい。『美しい鰭』を聞きながら、今作の余韻にひたる際に、この文章があなたのおともになれば幸いである。
(文:イツキ)
追伸
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