【羽地朝和インタビュー】スタッフが社長に15分1on1をしてみる④前編「企業研修とアートが(矛盾しながら)交わるところ」

近年、組織開発のなかで部下の成長を促す方法として注目される1 on 1。
この企画では、それを立場を反転させて行うことを試みます。そのようすをインタビュー記事にしたものです。

話し手:
羽地朝和(プレイバック・シアター研究所所長・コンダクター・研修講師)

聞き手:
向坂くじら(プレイバック・シアター研究所スタッフ・詩人)

★ 今回のインタビューは前・後編に分けて公開します。後編はこちら(記事末尾にもリンクあり)

どこから本質を見出すか


いきなり話はずれてしまうけど、昨日のコンセプチュアル・スキルのワーク(★)、お疲れ様でした。やはり僕は、コンセプチュアルスキルを磨く研修でどういうことをやればいいか、っていうことをずっと課題に思っていて、その方向性がだいぶ見えてきたなあと思っています。その点、昨日のくじらちゃんのワークはおもしろかったね。何より楽しかったんだよね。とっつきにくいイメージがあるコンセプチュアルスキルの学習において、「楽しく学ぶ」ということはすごく重要だな、と思えたのが、ひとつ大きな収穫になりました。ワークの作り方も、うまいなあと思いました。

★ この1on1インタビューの前日、研究所が主催するクローズドの勉強会「プログラム開発部」が行われた。「コンセプチュアル・スキル」をテーマに、向坂くじら・岩橋由莉がライティングと朗読のワークを行った。

−ありがとうございます。

書くワークの準備として、「嫌いなラブソング」というところから入るのがおもしろいよね。嫌いなラブソングについて話すことで、ひとりひとりの恋愛経験が透けて見えたりして、そこで自己開示もできるわけだよね。そこから今度は、自分が書いたものの矛盾点を突きながら推敲をしていく。推敲のポイントも出してくれたけど、あそこにまさしく、くじらちゃんの持っている、抽象から具体にする、そしてその逆のプロセスが凝縮されていたと思うんだよね。それこそがコンセプチュアルスキルだと思ってるんだ。

やっぱり向坂くじらは、文章とか言葉におけるコンセプチュアルスキルがすごく高いと思う。で、ゆりさんは、人の声が発するメッセージを敏感に読み取って、声の発することと言っている内容とのズレを指摘したりできるよね。僕はプレイバック・シアターをやっていて、ストーリーの流れから共通のテーマを読み取ったり、集団の中で起きていることを見るのがすごく好きだし、意識している。だからみんな、これまでのアート的な経験の中でコンセプチュアルスキルを磨いてきたんだろうな。

8年くらい前にやった変わった仕事
で、ある広告代理店の社長から、年頭の挨拶のためのトレーニングをしてくれ、という依頼が来た。やり方をいろいろ考えた結果、二人きりでカラオケボックスに入って研修したよ。二人で試行錯誤して、これかな、でもちょっと違うな、こっちで
スピーチやってみよう、いやいっそのことこれをやってみよう、とか。そういう経験ってやっぱり、自分の考えややりたい表現を掘り下げるためには大事なんだろうなあ、と思ってね。そういう試行錯誤が、僕はコンセプチュアルを磨くということと必ずつながっていると思う。

たまちゃん(★)なんかもまたすごいよね。あの人は何を見ているんだろう、とすごく興味がある。わからないけれど、でもすごく本質を突いているということは、みんな感じているよね。

★画家の田島環さん。現在、研究所でワークショップを担当されている。詳しくはこちら

−絵のワークショップなんですけど、作品を作る、という以上に、なにか行為をする、ということに対する独特の見方がありますよね。

やっぱりたまちゃんも、いろいろ自分の中でする試行錯誤をすごく大事にしている。その途中のものを、彼女はすごく面白いというと思うんだ。できあがっちゃったところに対しては、あまり言わないんだよね。そして作ったものを壊して、またゼロから始める。そういう行為に、彼女はすごく教育というものの本質を見出しているんじゃないかと思う。



アウトプットとプロセス、居心地のよさと組織の成果の両立


企業研修で言うと、研修の現場では、多くの人が「教育の本質はアウトプットで決まる」という前提を持っている。何を学んで、何を実践したのか。結果として何を出すのか。

−それは、成果に即効性が求められるということですか?

即効性以上に、効果の「具体性」だね。KPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)、数字で表せる成果を常に設定する。この研修に一定の予算をかけて実施した結果、何の数字がどのくらい上がったかを求める。とにかくアウトプットがすべてだという考え方が多い。

−それに対して、アート教育はプロセス重視である、ということでしょうか。

まさに、試行錯誤する面白さを学ぶ、というかね。教育とはなんだろう、と考えたときに、その経験を大事にしている。特に子どもの時代はそれのみといっていいよね。

−でも、大人になっても試行錯誤の面白さを学べるのであれば、できたら学んだ方がいい……ということはないんですか?

いやいや、僕はそう思うよ。

ただね、企業の存在意義とは最終的には利益を上げることであるとする。そうすると結局、ほとんどそこは、なんていうんだろうな……重要視されない。みんなの意識がそこに向いていない感じがするんだよね。特に僕が研修をやるような大手の企業。企業の規模が大きくなるほど、そこはなくなっていくという実感があります。ただ、そういう現状はありながらも、僕は研修を通してその両立を目指したいと思っています。どっちがいいとか悪いとかではなく、その両立をもってしか存在し得ないと思うのよね。

昨日、心身堂のスタッフに赤ちゃんが生まれたんだよ。そのお祝いをしたりしながら思ったけれど、やっぱりスタッフは僕にとっては付き合いも長くて、家族のような存在になっている。それは小さい企業だからこそできることだけど、僕はやっぱりどこか、組織の中にいるそれぞれが一緒に生きていくこと、人生の少なくともある部分を共有するということは大事だなと思っているんだよね。一方で、企業が大きくなればなるほど、そこは切り離される。働き方にしても、小さい企業ならひとりひとりの事情に合わせた個別の配慮もできるけれども、人が多くなればなるほどできなくなる。だから、人はルールで管理するべき、というふうになっていく。やっぱり、どうそこを両立させるか、というところだと思うな。うん。たぶん、そんなことを僕は研修でやろうとしているんでしょうね。組織として成果を出すことと、ひとりの人としてお互いに「いる」こと。

−ひとりの居心地が良くなることと、企業の成果が出ることとは、直結はしないのですか?

僕は直結すると思います。時代としてもそういう方向に流れてきていると思うね。例えば、この前銀行でやった研修。そこで、この四月から社員の副業をOKにするという話を聞いた。顧客や銀行に迷惑をかけない、かつ、なんらかの成長につながる業務であればOKとする、と。これは僕としてはすごく意外だったんだよ。銀行は副業OKなんてもっともあり得ない業種だと思っていた、でもそれがOKになった。僕が今回そこでやった研修も、社内のインストラクター養成なの。これから、銀行で働いている人が、社外でもいろんなセミナー、子ども向けの出張授業とか、個人向けの資産形成とか、そういうことをするようになる。外に向けて研修をやる、個人で仕事をする力量が上がると、それは銀行にとってもプラスだ、という考え方が出てきた。

くじらちゃんの詩人の仕事にしても、塾の仕事にしても、研究所にとってもなんらかの刺激になると思うんだよね。これはもう会社を経営していて思うことだけど、社員が成長することは、必ずどっかの役に立つと思う。まあ、会社によっては意見が分かれるところだね。

−その節はありがとうございます。

矛盾の中で折り合いをつける

−研究会の資料の中に、コンセプチュアルスキルが必要とされる図(★)がありましたよね。あんなふうに、業種によって、とか、仕事のランクによって、「あなたに関してはコンセプチュアルスキルは一切必要じゃないですよ」ということもありえるんでしょうか。

★参考:カッツ理論↓
https://corporate-learning.jp/kats-basic-premise/

言いたくないけど、そう考えているところはある。上から言われたことに疑問を感じるな、と思っている会社は多い。特に新入社員に対してはそうだね。

僕は防衛大
学校を出たけれど、そこで最初にはっきり「お前たちは石ころだ、石ころは意思を持つな。言われたことを疑問を持たずにやれ」といわれた。僕はそれだけ聞いたら「やめようかな」と思ったけど、そのあとに「君たちは将来士官に、人に指示を出す存在になる。その前に、指示を出された下のものはどういう気持ちで、どういう状態になるのかを今のうちにしっかり経験しておくことが大切だ」と言われたから、納得した。ようはそれを納得づくで、なぜそういうふうにしなければいけないかをわかって疑問を持たないのと、「上に従うことこそが真理だ」というふうに伝えるのとはやっぱり違うと思う。後者のような会社だったら、僕は多分研修の仕事を受けないだろうな。打ち合わせの段階でズレが出てくる。

昔は、参加者同士で罵倒させたりして、社員の自尊心を全部落とすような研修もあった。いまでも、研修というとそういうものだと思っている人もいるよ。それは極端な例だとしても、やっぱり新入社員だと基礎を徹底する必要もあるから、一旦徹底的に言われたことを身に付けてくれ、その上で改善点を考えることもあるかもしれないけれど、まずは基礎を。そういう指導になることはあるんじゃないかな。

−Art Based Educationでいうところの「クリティカル」な見かたは、段階によっては一切不要であると考えているということですか?

一切とまでは言わないけど、ある意味ではそうだね。

でも、逆に、最近の新入社員は、疑問を呈することがなくなった。生意気だな、と思うような新入社員が昔はいたけれども、いまはみんな素直に言うことを聞く。おりこう。

−その変化には、どういう要因があると思いますか?

いろんな要素があると思う。学校教育だったり社会の中で、疑問を呈することをしないほうが楽だという学習をしてきているのかもしれない。従わないと生きにくいというのを学んでるんじゃないか。

−羽地さんから見て、それはどうですか? 従順さが大事な部分もあるということでしたけど。

というより、「意思を持った従順さは大事」ということね。

−見たところ、新入社員たちはそうではないということですね。「意思を持った従順さ」は大事だけれども、一方で、疑問を一切呈さないというのにも問題がある、ということですか。

……そこの矛盾が常にあるんだろうな。

(後編につづく↓)


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