【羽地朝和インタビュー】スタッフが社長に15分1on1をしてみる④後編「企業研修とアートが(矛盾しながら)交わるところ」

近年、組織開発のなかで部下の成長を促す方法として注目される1 on 1。
この企画では、それを立場を反転させて行うことを試みます。そのようすをインタビュー記事にしたものです。

話し手:
羽地朝和(プレイバック・シアター研究所所長・コンダクター・研修講師)

聞き手:
向坂くじら(プレイバック・シアター研究所スタッフ・詩人)

【今回のインタビューは前・後編に分けて公開します。前編はこちら↓】

(前回の続きより)


……そこの矛盾が常にあるんだろうな。

極端な例で言えば、戦争の場面なんかもそうだよね。国の定めた敵を、家族を守るために殺しなさい、という命令に、自分は従うかどうか……。そういう意味では、常にそういう個人の意志と、組織の全体の目的の達成が対立したり、そこで個別性が排除されてしまうことはままあるよね。

−それは……いいんですか?

いい悪いというより、必ず起こることだと思う。その中で人間は生きていくんじゃないかな。

−羽地さんは、アート教育とか、プレイバック・シアターのワークショップでは、ひとりひとりが生き生きと自分らしく生きられる、ということを重視していらっしゃるわけじゃないですか。そこと矛盾することはないんでしょうか。

する。その矛盾の中で、われわれは、苦しんだり、折り合いをつけたり、自分の意志を選択したりする。そこにストーリーが生まれるんだと思うよ。だから僕はプレイバックで、ひとりひとりが生き生きと自分らしく、というところを強調するんだね。一方で、企業研修では組織としての目標達成に注力しないといけない部分もある。だから、どっちもあるんじゃないかな。


結局、段階がある、ということでいいんですかね

−しかし一方で、羽地さんの部下であるところの、たとえばわたし、には、とてもわたしらしく、自由にやらせてくださるわけですよね。研究所の成長以上に、わたしという人間が今後どういうふうに成長していくか、ということを大事にしていただいている感覚があります。仮に、経営者としての羽地さんと、プレイバック・シアターのコンダクターとしての羽地さんと、研修講師としての羽地さんがそれぞれいるとして、どちらかというと、経営のスタイル、組織運営のスタイルは、研修で教えているようなことよりもむしろ、アート的な感覚が根底にあるように思えるんですよね、研究所で働く立場から見ていると。

そうだとは思います。ワークショップ事業部においては、僕は正解を持てない、そもそも正解がないと思うのね。たとえば、三人のワーク(ワークショップ事業部の岩橋、五味、向坂のワークショップ)を僕がコントロールしたり、アドバイスしたり、アウトプットを設定したりすることはできない。それぞれが自由でクリエイティブな状態でいるほうが面白い仕事ができると思う。創造的な領域の仕事をしているから、というのはあるけどね。

それと、もうひとつ。そういう、コントロールをしないようなマネジメントが成り立つのは、ひとりひとりがある程度セルフマネジメントをできているからだよ。そういう意味では、ひとりひとりが自分の成長と会社の成長、自分のメリットと会社のメリットの方向性を自分で合わせられる、そういう人たちの集まりだったら、個性と自主性を生かすマネジメントがすごく有効になるんじゃない。

−……なんか、すごく煮え切らない結論になっていく気がするんですけど、結局、段階がある、ということでいいんですかね。

段階?

−つまり、新入社員に対しては、そういう時期であることを自覚して言われるままにやってみなさいよ、という段階があり、逆に管理職や役員の段階になるともっとクリエイティブなことが必要になってくる、だとか。そういう風に、どういう育て方がいいかは段階によって変わる、ということなんでしょうか。

キャリアの視点から考えると、段階、という言い方もできるけど……具体的に言うと、僕は企業研修で、指導育成は結局この三つをやることです、とよく言っていることがあるのね。

ひとつは、計画的な育成。たとえば、四月に入社をしました。十月まではとにかく基本を徹底しましょう、先輩方を見て真似てください。十一月からは、今度は自分で考えることが始まります。ですから真似しながらも、自分だったらこうするのにな、っていうのをどこかに置いておいてください。ただし、十月までは、とりあえずまずはなぜやるのか分からなくても体が覚えるまでは反復練習。十一月になったら、この業務をまず任せてみますから、自分なりにやってみてください。そして来年の二月からは、今度はもうこれだけの業務を初めから最後まで全部自分でやってもらいます……みたいな計画を立てて、そしてその計画を伝えておくことがまず大事。

で、もうひとつが、OJT(On the Job Training)と言われる指導。実際の仕事の中で、その場その場でのできていることできていないことに対してフィードバックをする。ただしこれも、行き当たりばったりじゃダメで、その場その場での指導であっても、計画的なものが根底にあって初めて生きてくる。

で、三番目が、定期的な面談です。まさにこの1on1なの。これをすることで、計画的な育成がちゃんと予定通り進んでいるのか、本人に何か悩みや気になっていることはないか、今やっていることの意味は何なのか、を確認する、もしくは本人にこれはできるようになったね、成長してるねと伝える。この三つが指導育成の中で行うこと、そしてそれぞれ連動する三つです、というふうに研修ではお伝えしています。
だから教える側も教わる側も、先を見すえたうえで、今どういう教育を行っているのか、計画のどの段階にいて、次のステップは何なのかを確認し合うことが大切だと思うの。


企業は人のゴールをどこに定めるか

−計画を立てられる、ということは、最終的にはどういうふうに成長してほしい、成長したい、という像をきちんと持っているんですかね。

いますごく思うのは、さっきおっしゃっていたように、今の若い人たちは妙に従順である、反抗的でない、という現状がある一方で、三年以内にやめてしまう新入社員が多いということもよくおっしゃっていますよね。その二つはつながっているような気がして。

なるほど、どうつながっているんだろう。

−これは根拠のあるデータや知識というよりは、同世代の人たちと話す中で、自分がなんとなく多数派の意見として認識している程度のことですが。組織に入るということはすなわち忠誠を求められることであるみたいな意識がやっぱりあるんじゃないでしょうか。自分らしく生きるということと組織で働くこととは、基本的に対立するものであるという考え方があるというか。

そうなんだね。

−そんなふうに思っていたら、最初の研修で「従順にしなさい」と言われたら、ああ、今後ここにいる限りはずっとそうなんだ、と思うと思うんです。多少昇進したり、ひとりで仕事を任されるようになったとしても、そこにはまた上の人がいて、結局従うということには変わりがない……みたいな認識がある。
でも、本当はそうではない。育成計画が成立するということは、どこかで、単に言われたことを従順に行うという立ち位置からは抜けるべきであると考えられているわけじゃないですか。

そうですね。

−そこを抜けた先になにがあるのか……結局、何か方向が必要ですよね。ここがゴールですよ、っていう理解をひとりひとりが持っていないと、計画は立てられない。

うん。

−それは、どういうところなんでしょう。

その点では、あくまで企業においてはですが、二つあると思っています。

一つは、各職場において、もしくは担当業務において、何年目で「一人前」になるのかを設定する。ある職場では一年で一人前扱い、また別の職場に行くと三年くらいはかかるかな、とかいろいろある。そこをまず設定してもらう。

そして、その「一人前」という状態は、どういうことができていたり、どういうスキルが身についている状態か……というのをまたそれぞれの職場で定義づける。たとえば、ある一つの業務がひとりでできる。突発的なことに対しても、自分の力で対応できる、とかね。じゃあ、そのために必要なスキルは、そしてそれを一年なり三年なりで身につけていくためにはどのような指導育成をすればいいか……というふうに考えていく。ですから、まずはそのもっとも短期的な、最短のゴールを定めるわけです。そのためのキーワードとして、「一人前」というのは共通していると僕は思っています。



企業を「ひとりではできない経験ができる場」にしたい

そして、もう一つ。「一人前」になった先、もうちょっとキャリアを積んで、自分がこの会社、この組織の中で将来的にどう成長していきたいか、というようなゴールもありますね。最短ではない、もっと中長期的なゴールです。

そういう意味で、ゴールにも短期的なものと中長期的なものの二つある。でも、新入社員の段階で「もっとキャリアを積んでどうなりたいか」といわれても、まだ仕事も経験していないので困るわけですよ。だから新入社員の間に、先輩だったり上司だったりいろんな人と出会うわけです。そこで、「あんな人になりたい」「あの人かっこいい」と思える人が見つかると、そこから中長期の目標がイメージできる。だから、新入社員の段階では、あまり中長期の目標というのは本人にはピンと来ない。だけど、僕は二年目三年目ぐらいの研修から徐々にそういった中長期的なことも入れていくんです。

−その内容は、羽地さんと研修担当の方とで打ち合わせをして決めていくんですか?

そうです。

−そういうときにはやっぱり、羽地さんの思う「人間はこんなふうに成長していくべきだ」というのが出てくるんですかね。たとえば、さっき話していたみたいに、「人間は常に上のものに従うのが真理である」というのは、羽地さんにとっては「違う」わけじゃないですか。「違う」ものがある、ということは、これだ、というものがあるのでは。

企業という場にいると、個人で生きていたら出会えないような人や社会と出会ったり、関わったりしますよね。そういう中で、自分が生きている証や実感を得られたり、自分はこんなことができるようになったんだと感じられればいいなあと思っています。僕は企業をそういう場にしたいと思っているんですよ。やっぱり、企業で働くことになれば、自分の人生の多くの時間やエネルギーをその企業に費やすことになるわけですしね。

だから、研究所で働くくじらちゃんにも、いろんな経験をさせたいなあと思っているんですよ。コロナでできていなかったけれど、もし僕が連れて行けるところがあったら連れていきたい。ミャンマーとか、沖縄とか、興味があればセラピーの現場とか。

そこはあるんじゃないかな。人が一人ではとてもできない経験をいろいろできる場が企業でありたいと思っている。そのためには企業が発展、成長しつづけることが必要だし、お金を稼いで税金を払わないと企業は生きていけないから、時にはそこも必要になる。けれども利益が全てではなくて、企業は、人が何かできるための土壌や場を維持・発展させるためのものじゃないかな、と思っています。



アーティストとしての姿を、教育者として見せる

僕からも聞きたいんだ。くじらちゃんはいま、子どもを教育する立場ですよね。いま僕たちは「教育ってなんだろう」という話をしていたんだと思うけれど、くじらちゃんにとってはどうなんだろう。たとえば、最初に話したとおり、企業研修にとっての教育はすなわちアウトプットであったりする。子どもの教育でも、受験対策なんかはそれに近いんじゃないかな。結局、ある評価基準にどのようにあわせていくか、ということでしょう。

一方でくじらちゃんは、子どもたちが自分の中にあるものを表現したり、突き詰めたり、探索したりするところの喜びを教えたい、ということもあるよね。くじらちゃんの中で、そのふたつをどう組み合わせているのかな、というところを聞いてみたいです。

−わたしの教えている国語は、テクニック的に点数を上げていくことと、文章を読んで面白いと思えるためのポイントを抑えることとが、わりに重なっている教科だと思っているのですよ。知識として言葉を覚えていくことも、受験対策でしかたなくやったとしても、いろいろなものを読むためにはいずれ必要になってくる。そこは矛盾しないですね。

どうなってほしいかでいうと、やっぱりどんどんおもしろいものを発見できるようになってほしいですね。人から与えられるものばっかりじゃなくて、もちろんいろんな人から影響は受けるんですよ、でも影響を受けながらも、何がおもしろいか、何が美しいかってことを、自分の裁量でバンバン掴み取っていけるようになってもらいたいと思います。

それはいいね。人から与えられるものじゃなくて、自分が自分の美しいと思うもの、面白いと思うものを見つけていける能力が身についたら、人生はすごくハッピーになるよね。

−詩の書き方を教えるときも、詩人になってほしいとは全然思わないですけど、でも詩を書くときの眼や頭はそういうことに役に立つとも思っています。

くじらちゃんは詩を書くことの喜びをもう体感してしまっているわけだよね。それを見せることはすごく大事だよね。このくじら先生は、なんか知らないけどそこに熱中している。自分にとっては詩じゃなくて歌かもしれない、スポーツかもしれないけれども、そういう姿を見せてあげることは、先生という立場のとても大事なところだと思うんだよね。

−羽地さんも、企業研修で、自分が経営者としてなのか、コンダクターとしてなのか、わかりませんが、そういう姿を見せているという意識がありますか。

利益を出すことと、ひとりひとりが生き生きすることの両立に悩みながらマネジメントしてる、とかの経験を語ると、結構みなさんには伝わっているみたいで、そこがよかったと評価してもらえることも多い。そして喜びも苦悩も含めて働くってことはすばらしく、楽しいことを伝えたいと思う。

会社を経営することは僕にとってプレイバック・シアターと同じように楽しいし、僕は場をつくるということは自分のアートの作品だと思っているので、プレイバック・シアターは自分にとってのアートの作品だし、経営も僕にとってのひとつの作品だな、と思っています。思いどおりにならないこともあり、思わぬものが生まれることもある、そのプロセスが面白い。まさにアートの作品。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?