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平清盛(常に時代遅れ鑑賞)

子供の頃から時代劇が好きで、よく祖母と一緒に観ていた。当時は水戸黄門とか銭形平次とか遠山の金さん、その他諸々だった。

大人になってからは大河ドラマを観ていたのだけど、ここ十数年、なかなか見れないので何年も前のやつをオンデマンドを使って観ている。

というわけで、先日、平清盛を観始めた。なんとまあ、もう10年前でないかい。でも、面白い。

まだ4~5回目くらいまでしか観ていないが、時代劇というのは色んな角度から色んなことを感じさせてくれる。(私個人にとっては)

それはいつの時代も大変なのだなあということ。特に、この作品からはサラリーマンの過酷さが伺える気がしてならない。自分もサラリーマンやってるからかな。

まあとにかく万人が人の評価を気にする。同じ人間であるはずなのだが、社会が偉い人と決めた人たちから取り立てて貰うために皆必死で努力する。この時代、武士は下郎扱いだったのだが、それを変えたいとばかりに歌詠みの会に男衆が化粧をして出かける。

盗賊を退治すれば血なまぐさい、下品だと言われ、かと言って何もしないと認めて貰えず飢える。

私が何か動画を流していると、よくKちゃんも隣に来て観ているので、彼女も同じく「昔も大変だったんだろうね。」と言い、歌を詠む会に至っては、「これは酷い。自分、耐えられないと思う。」とのこと。確かに、物凄く疲れているときの会議が辛いのと同様、いくら好きでも、あの語調でずっと詠まれたらうっかり寝てしまいそうである。

この時代はまだ切腹の風習などはないので、謝罪する時は「まことに申し訳ありません!」とただただ床に額を擦り付けるばかり。こういうところも現代の日常と重なる。

しかし、それを観ていてふと自分の中に「今頃か」という疑問が生じて来た。

主人公やその周辺の幾人かは「面白くもない世の中を、少しでも面白く生きよう。」と言う。そして、おかしな制度に反発している。

あら、待てよ?と初めて思ったことがある。こんなテーマが題材になるということは、世の中の多くの人が「本当は人に指図されたくない。やりたくもないことをやりたくない!」と思っているということだろうか。

Kちゃんが『そうだよ。』と言う。そうだったのか。皆ちゃんとやっているもんだから、その側面では自分は異常者なんだろうなあと思っていたわ。

「子どもが遊ぶときは、時のたつのも忘れて、目の前のことに無心になっておりまする。生きるとは、ほんとはそういうことにござりましょう。うれしいとき、楽しいときも。また、つらいときや、苦しいときさえも。子どもが遊ぶみたいに夢中になって生きたい」

変わり者で好きな事ばかりやって、綺麗ごとばかり言っていて、それが許されたのは、単にいつも周りに助けてくれる人がいたせいで迷惑ばかりかけているただの怠け者なのかと思っていた。それも晩年になると「もはや変えられない。何度もトライしたけどダメだった。すみましぇん!」と開き直っている日々だった。

その反面、やはり上司の方々への礼儀とか立場への配慮はするようになっていたものの、魂がいつまで経っても好戦的なままだったんだよね。

でも、他にも多くの人が同じ思いを抱えているのだなあ。だから、こういうのがテーマのドラマが沢山あるのだなあと変な話、感心したのだった。

自分が思うより多くの人が、何かの面で心の中に適応力不足のセルフイメージを持っていて、そこを出さないように生きている・・・という一面がある。

話は全然違うけど、全部ではないけど多くの大河ドラマに共通する項がある。それは、始まりから中盤までは成長と躍進のストーリーなので楽しいのだが、ラストに向かって段々悲しくなっていくというところ。

まだ最後まで観ていないけど、何たって平清盛ですもんね。きっと金と権力にまみれたエロ爺になって衰退して、敗れるというストーリーなんだろうなあと思う。

但し、そこがまた一興なのだ。一人の人間の中に色んな部分がある。そして、その人物が後世の人に何かを残して去って行くというところ。

私たちのDNAには、気が遠くなるほど遠い時代からの学びが受け継がれ、染みついている。人間という生物も、いつの時代も一生懸命だ。

「おのれにとって生きるとはいかなることか。それを見つけたとき、心の軸ができる。心の軸が体を支え、体の軸が心を支えるのだ

なるほどな!と思った。

軸がぶれないから色んなペルソナを使えるのだ。


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