人生の契約 / 足湯
今、夜の22時5分。
いつにも増して忙しかった仕事を終えて寒さに震えて帰って来て、ご飯にお風呂。ここからKちゃんが夜勤へ出かけた。寒い夜に出て行く姿を見るとしのびない。
しかし、独りの時間となり、ほっとしてPCの前に座り、このエディタを広げた途端にオンコールが鳴ったので『わあああ!』とビックリしてしまう。
何?誰?誰が具合悪いの?!それとも転んだの?と、いつも数秒の間に色んなことを思いながら電話に出るのだけど、内容は『点滴を抜かれました。』とのことだった。ほっとする。
何故にほっとするのか?というと、皮下点滴を導入しているので出血がない。しかも必要な薬剤は昼間のうちに終わっているから。
『良かったあ。具合悪いんじゃないんだね。』
もう、ドキドキするなあ・・・と思う夜も、ふと気づけば6年目を迎えようとしている。
最近ふと不思議に思うことがある。何一つ我慢できなくて、いつも好き勝手していた私に、10代の仲間も20代の同期も『きっと一番最初に看護師を辞めるよね。』と言っていた。さらには、自分も『うん。そう思う。今にでも辞めたい。面倒なの、大嫌い。』と言っていた。
それが今や37年やっているって、いったい、どういうことなんだろう。(当時は看護学生も即戦力だった。)
なんで、こんな苦しいことやっているんだろうなあ?他の仕事やバイトを並行してやっても、そこそこ楽しかったのに。
きっと何か決められている必然とか、用意されているものってのが人生にはあるのだろう。
あー、もう仕事行きたくない!とも思う日が多々あれど、おそらく、必要な時は呼ばれ続け、やらなくても良い時が来たらすんなり離れるのだろう。
ほら、出た。オーラソーマのとあるボトルのアファメーションが浮かぶ。もはや、いつの講座、どのボトルの開設で聴いたのか、忘れた今も。
私は、必要な時に必要な場所に居ます。私は、正しい時に正しい場所に居ます。
私は、いつも自分でやりたいことをやって来て、我儘だったつもりが、実は何一つ自分で決めて来なかったのではないか?という見方も出来る。
ガチガチに固いようでいて、実は優柔で、選んでいると思わされていたのかも知れない。そんな天のからくりって確かにある。
でも、そんな天のからくりを、こんなふうに”面白い”と思えるのは、例え思い込みであろうとも、好きなことを長くやり続けてからなのだろう。
***
糖尿病をお持ちの方で、自分で引っ掻いて作った足の傷が、なかなか治らない人が居る。
これは一緒に花火を観たり、コンビニへ行ったりしたあのお婆ちゃん。
それなのに、お風呂が嫌いで『入らない!』と毎回ダダをこねる。綺麗にしないと治らないんだけどな。
でも、今日は、本当ーーーに嫌だったらしく、何だか無理に薦めるのも気の毒な気がしたので、一度持ち場に戻り、大きな洗面器を持って走った。その姿が、自分に向かって凶器を持って走って来るように見えたらしく『わあああ!怖い!やめてええええ!』と悲鳴をあげられた。あまりに真剣に考えた後の『そうだ!足浴をしてあげよう!』という思いつきだったので、顔が鬼だったみたい。
しかし、足浴して優しく洗ったりマッサージすると、凄く喜んで下さった。血行も良くなって、治癒が期待できる。
『ありがとうねえ~。忙しいんでしょ?それなのに、ありがとうねえ~。今度は、絶対お風呂に入るよ。』
さて、それはどうだか。
ああ、そう言えば、温泉場にあった足湯。気持ちよかったなあ~・・・。また行きたいなあ~・・・と、夢をはせた。喧噪と忙殺、阿鼻叫喚、地獄のような職場で。
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