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誰がために怒るのか

スタッフ同士が仕事中にマウントの取り合い。

キーーっ!とヒステリックになった方が勝って、片方が謝ったとか。大声をあげて周りに分かるほどの騒ぎだったとか。

その場にいたら止めたし「馬鹿者。」と双方を叱れたのだが、後日打ち明けられたので、後の祭り。

そういうふうになる原因も、序章の序章のそのまた序章から始まっていることも知っているので、前々から面談を何度かやっていたのだけど、人が居ない間にそういうことを起こす。もっとも、二人とも、上司の前では良い子ちゃんぶるから、居ない時を見計らって、互いに嫌がらせしていたらしい。そして、同時にキレた。どっちもどっち。

そして、良い大人になっても、私の前では、”可愛がられ合戦”をやっている。

けれども、もっと良くないのは、内心怒りでいっぱいなのに、それを表に出さず陰湿な空気を全身から出しているパターン。そして、誰も見ていない時に弱い(とその人は思っている)相手にあたること。多分、自分がそれをやられて来たのだろうけど、ここは職場だ。君の生い立ちは知らん。

というか、いつ何時でも、誰かが見ているもんなんだよ、それ。

それを見て見ぬふりして、やたらヘラヘラしているそちらの直属の上司は、もっと最悪。ここが部活か何かだったら「明るくて優しい先輩」ってことで、それもOKなんだろうけど、お金を貰って働いているのが仕事。しかも、それが介護だの医療の現場ともなると、もう埒が明かない。部活じゃない。友達作る場所でもない。

「じゃあ、どうやって仲良くすれば良いんですか。あんな人と。」

誰も仲良くしてなんて言ってない。幼稚園じゃないんだから。仕事をしてと言っている。何せ職場だから。

最近は色んなネット記事があるものだから、生い立ちを仕事の話に混ぜて来たり、自分は発達障害なのだから周りが合わせるべきだというようなニュアンスのことを言って来る人が多い。

私に言わせれば、どの心理学者が唱えたものでも良いから、一回発達段階の本をさらっとでも読んで見なよという話し。それぞれの年代の発達段階と発達目標を定義してあるやつを。

そんなもん、ほとんどの人が到達していないんだってば。

皆、不完全だけど一生懸命試行錯誤しながら生きてんだよ。不完全ながらも、何がベターかと、考えて生きているんだよ。

”自分の味方(だけ)をして下さい。自分(だけ)を理解して下さい”と言っている人を見ると、”私はこれ以上成長しません。”とか”努力しません。”と同義語だなと感じる。

発達障害で苦しまれている人たちの苦労とは、そんなものではない。自分の甘えにその言葉を使うことは許されない。せめて介護や医療などの現場では。

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