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「それで結構だ」と彼も言った

2025年問題をあちらこちらで耳にしたり観たりする。

宗教的に政治的に科学的に色んな世界のエキスパートの人から、果ては農家の専門家の人まで同じことを言う。それぞれ違う分野の人々が皆さん同じことを言うのは不思議なことだ。

しかも専門性が高い人ほど狭い世界で何かを極めて来たはずなのに、半端ないほど極めるとやがては同じところへ行き着くらしい。

この手の話に触れる度によく思うことがある。
一年後、数か月後、いや、もしも明日世界が終わるとしたら何をするのだろう?

いつも思うのは、Kちゃんと一緒に仕事へ行って施設の人たちのために働くだろうなということ。

通勤途中のお寺に諺めいたことが書かれていて、不定期で違う言葉になっている。
ある時は大谷翔平の言葉。「ムカついたら負けだ。」と、ただそれだけ書かれてあったり、これは誰の言葉だったかな?「魚が釣れなくても考える時間を貰ったと思えば良い」とか。多分ヘミングウェイかな。いや、ヘルマンヘッセだったか?
とにかく色んな人物の言葉が書かれてある。
秒で通り過ぎるので正確ではないかも知れないが今朝はこんなことが書かれてあった。「運命は神が考えたものだ。人間は人間らしく働けば、それで結構だ。
確かこれは夏目漱石だ。

まさにその通り。まあそれしか出来ないというのもあるが、目の前のことを一生懸命やる。
そしてそんな自分が居るところがたまたま老人ホームという場所なのでそこでの仕事をし、そこで出会う人々のために尽くしているというだけのこと。

他の場所は他の人がやってくれている。

とは思うものの。
唯一気がかりで申し訳なく思うのは、動物たちはどうなるのだろう?洪水や地震も怖いというのは本心だけど、そこに関係のない生き物たちや子供たちの苦しみが生じる。正直にいうと、それが怖い。

じゃあ、どうするのか?
やっぱり行けるところで出来ることをする。これに尽きる。


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