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文明の遺伝子

以前の職場で使っていた私物のパソコンが昨年壊れた。ので、自宅のマイPCを持って行って仕事で使っていた。

その後、自宅用にとKちゃんがPCをプレゼントしてくれた。
さらには、その年のKちゃんの誕生日に私がKちゃんにPCを購入してプレゼントした。

大変ややこしい話だが、結果的に私のPCが2台とも壊れたので、ほとんどPCを使わないKちゃんのものを日々使っているのが現在。

で、Kちゃんが未だウォーキングデッドを見続けている。今、シーズン8くらいかな?

時折目にする場面は飛び飛びだが、だいたいストーリーは分かる。シーズン6以降は、ちょっと間延びした展開で「もう、ええわ。」という感じが続いている。

横に座る度にKちゃんが同ドラマの話をするわけだが、私は『要するに』と口を開く。『人間はどんな環境になっても社会を作ろうとするし、別の社会とぶつかる。要するに変わらないって話やね。一番怖いのが人間ってことでしょ?』と。

するとKちゃんがビックリしたような顔をして「言っちゃった?人が一生懸命観ているのに、要約するかね?」と。すんません。

実際に、化け物はゾンビではなくて、生きている人。なので知らない人間を見たら即攻撃態勢に入る。物資を奪われたり、人助けのつもりが騙されて殺されたりするからだ。文字通り戦争も起きている。

何もかも無くなって、ところどころ別々の場所で人々がコミュニティーを作っては争い、強い者、残虐な種族が生き残る。
そんな場面を観ていると、大昔もこうして世界が作られたのだろうなあと想像する。
三国志とか、もっと中世や古代の民族たちも。

それを思うと、今こうしてこの世界に生きている私たちも残虐で狡猾な遺伝子を持っているということだ。

それがどうと言うわけでもないのだけど、色んな過程を経て人間は徐々に答えを出そうとしている。
何せ、そんな原始的な世界で「多様性を受け入れる」なんて言えなかったわけだ。食人とかそういった文化も多様性ってことになるので油断も隙もない。
人間は変わらないと言いつつも、やはり変わって行っている。夜、道を歩くことが出来て、違う考え方を受け入れられるようにもなって来たのだから。

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話しはぶっ飛んでしまったけれど、相変わらずPCが空かないわけである。
お願い、Kちゃん。じっと見つめつつ順番待たないで。

しかし、我々は戦争はせず譲り合い愛し合う。(いやいや、KちゃんのPCだから。)

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