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コミュニケーションの不思議

4年ほど前、職場で友達になったばかりのIちゃんに、不思議な話を聴いた。

それは、当時の彼女が、ダブルワークの一つとして働いていた場所で、日常的に観ている光景の話だった。

お母さんが、障害を持ったお子さんの肘のあたりに手を添えると、その子が伝えようとしていることが、リアルタイムに言語として分かるのだと言う。

沢山の桜の花びらで、街中にピンクの絨毯が敷かれている季節だった。

初めて二人でバッティングセンターへ行った帰りに入った居酒屋さんで、私たちは酔っぱらっていた。

「ここのところにね、こういうふうに手を添えると、その子が言っていることが分かるらしいんだよ。」

へえー、それは素晴らしいことだね!と言う私の調子があまりに軽かったのだろう。「信じてないでしょう?」と言われた。

いやいや、私も不思議なものをいっぱい見て来たから、分かる気がするんだよ。それに習っていた外気功の世界でも、人が発しているエネルギーのことを詳しく学ぶよ。そういうこともあるんだと思う。

でも、お話していない人の言葉を、ハッキリ言語でって言うのは凄いね。肘から出ているんでしょ?凄いね!

「そうだよ!肘から出ているんだよ!」

そんな会話を交わしてから間もなく、Iちゃんが招待してくれるバンドのライブに足を運ぶようになった。

年に2~3回ほど行われる行事で、私はただ、Iちゃんのギターと歌声を楽しみにして行っただけだった。

しかし、そこで、いつぞやIちゃんが酔っぱらって話してくれた光景をリアルに観ることになる。

演奏が終わったあと、レスピレーターがついているお子さんに向かって「感想をいただきましょうか。どうでしたか?A君。」とマイクを持ったIちゃんが言うので「え?どうして?!」とビックリした。

呼吸器がつけられているのに、と。

ほどなくお母さんが彼の肘を持って、喋り始めた。「とても面白かったです。今日は調子が悪いので来れないかと思ったけれど、本当に来れて良かったです。今度は、あの歌を歌って欲しいです。ほら、あれ。あー忘れちゃった。何だったかな。思い出したら言います。」

会場がドッと笑った。お母さんも、その子も笑っている。

その後も、他の保護者の方がお子さんの肘を持って話すという光景が2~3回あった。数人の方々がその方法をマスターされているようだった。

でも、そんな不思議なことが、ごく自然に見えた。あたりまえのことのように。誰もそのことについて言及する人など居ない。ビックリする人もいない。

バンドのメンバーの方にも障害を持った人たちが普通にいて、上手に演奏をしていた。

ある時は、Iちゃんが、演奏していたギターを置いて、お菓子が入っていたと思われる箱を、大きく頭の上に掲げ、ゆっくり左右に振る。

すると、それだけで美しい波の音がしていた。”ああ、箱の中に砂が入っているのか”と理解した。

その箱を、傍にいた女の子に渡す。その時、何かが聞こえた。演奏にかき消され、最初は、何が聞こえたのか分からなかった。

その子がIちゃんから受け取ったその菓子箱を、真似して、腕をピーンと上に伸ばして左右に振ると、同じく、美しい波の音がし始めた。

その時になって、漸く、さっき、何と聞こえたのか?が分かった。

Iちゃんの口は閉じていた。踊るように箱を左右にゆっくり振りながら、黙って女の子に渡していた。

それなのに、「こういうふうにするんだよ。はい。」と箱を渡す時に、確かに聞こえたのだった。

そして、女の子はそれに対して頷いて、Iちゃんと同じ動作をし始めた。

後日、Iちゃんに、”あの日さあ・・・・”という話をしようとした時、「Ohzaさんなら肘を持たなくても聴こえるじゃないの?」と言われたので、「いや、お子さんたちの声は聞こえなかった。」と答えた。

「・・・・・・・・。何が聞こえたの?」

Iちゃんの声。

「そりゃそうだろうよ。私が歌ったコンサートなんだから。」と言ってバッサリだったので、それ以上言うのを止めた。

でも、それからと言うもの、長い年月の間では、本当に時々ではあるけれど、ふとした瞬間に何も言っていない時のIちゃんの声を聴くようになってしまった。どこで何の回路が繋がってこうなるのか分からないのだけど。

幸いにもIちゃんは、今の今まで言葉でも心でも私が嫌がることを言ったことがない。

そして、最近ふと思うようになった。

そう言えば、何だか仕事で辛いときに限って、ふとラインして来たり、ふらりと施設に来たりするなあ・・・と。

もしかして。

しかし、それを訊いてみる勇気はない。

唯一、確かな事としては、この世には、よく分からないことが沢山ある。

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