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福岡市のクリエイティブシティ都市戦略とは

 Plat Fukuoka cyclingはBicycle Friendlyな都市・福岡を目指す都市戦略を常に見据えて活動しています。しかし自転車政策だけで都市はなりたっていないことから、昨年2022年2月に都市分野のキーワード「スマートシティ」から、今後福岡市に必要な都市戦略について考えてきました。

 上記記事にて、スマートシティを単なる生活がスマートなのではなく、自己実現のための創造的活動…つまりはクリエイティブな場でならないということを確認しました。そして、そのクリエイティブな活動を行う場を官民連携で実現した、アーツ千代田3331総括ディレクターである合同会社コマンドAの中村政人氏の著書より地域コミュニティーにあるクリエイティブ(文化芸術)拠点の姿を考えてきました。

上記の記事掲載から都市戦略を考えた1年間の一区切りとして、2023年はクリエイティブ(文化芸術)な都市戦略を考えます。

なぜ福岡市がクリエイティブシティとなる必要があるのか

 2022年末から連載している「福岡のまちのための『ウォーカブルシティ入門」の最初の記事にて、福岡市の都市の生産性とウォーカブルシティの重要な関係を考えました。

そこで明らかになったのは、都市の成長の源泉であるクリエイティブ産業の重要性です。一方で、クリエイティブを「文化芸術」と称し、近代からの美術館で扱う「アート」として一括りすることではなく、人間誰しもが有する基本的資質の1つであることを確認してきました。
 『MEZZANINE』編集長の吹田良平氏は市民の文化芸術及び創造性の枠組みからの解放された都市における経済圏の性質をクリエイティブシティとして、こう記しています。

こうした文化芸術の枠組みから解放されたクリエイティブシティにおいては、従来の一獲千金を狙うスタートアップ(第1層)とも、社会課題解決を目指して立ち上がるスタートアップ(第2層)とも趣を異にする、自らの世界に没頭しオリジナルを生み出したいといった創造欲求に忠実に起業する第3層のスタートアップの存在が想定される。(中略)第3層(アイディアを表出したくてたまらない層)が生き生きと暮らし働く街は、実現性を意識して、シティ=都市レベルから局所的フォーカスを施し、「クリエイティブネイバーフット」を単位としてみる。

『MEZZANINE vol4』P043「クリエイティビティ Beyond!」

 吹田氏が述べたこの第3層と表現される人材をいかに呼び込むだけでなく、市民のなかから創出できるかがクリエイティブシティになれるかの分岐点です。前回の記事でも、スマートシティの最大の目標は、自己実現のための創造的活動に振り向けるようにする行動変容とその方法であることであることを確認していました。では、どのようにして人びとを自己実現のための創造的活動に振り向けてことができるのか、この課題に対して、「デザイン能力」=「人間の資質として誰もが有しているもの(Capability)」が重要であることがわかってきました。

クリエイティビティの源泉としての「ライフプロジェクト」、そしてイノベーションを起こす人材像とは

 人びとがクリエイティビティを発揮するための「デザイン能力」について、サービスデザインとサスティナブルデザインの世界的リーダー、エツィオ・マンズーニ氏は著書でこう述べています。

人々は自分の努力によって、自分の問題に取り組む機会を持つ必要がある。ただしそのためには、知識とツールが十分に利用できなければならない。今日、そのツールの中でおそらく最も重要なのが「デザイン能力」だ。

エツィオ・マンズィーニ著『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』BNN出版、2020/9、PP83

さらに「デザイン能力」をもつ人は、「さまざまな話し合い(さらにそこから生まれる多様なかたちの社会)に参加し、自分の生活環境で目的をも持って構想し、実行する人」(同書PP69)となり、目的を持った構想である「ライフプロジェクト」が実行できるようになると述べています。その手法について、レヴィ=ストロース『野生の思考』にあるエンジニアとブリコルール(「なんでも屋」で、DIYの専門家)の特性を引き合いにこう述べています。

エンジニアは設計を行う際、最初に明確な目標を設定する。次に、目標を達成する手段をはっきりさせる。一方で、ブリコルールは、目標を具体的に決めない。自分が見つけたものを使って、それで何ができるかのか(最終的なな姿やかたちも含めて)考えていく。だから、ブリコルールは自分で意識的に動き、自分から能動的にデザインしていく存在だ。つまり、ブリコルールのやり方はエンジニアとは異なる。ブリコルールは、既存のものごとを見極め、コンテクストを解体し、再構成することで、自分の向かう先をつくり出していく。さらにものごとの意味や細部の要素に手を加えていくことで、ものごと自体のあり方を再解釈していくのだ。

エツィオ・マンズィーニ著『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』BNN出版、2020/9、PP87

目標を定めてバックキャンティングすることはもちろん重要ですが、このブリコルール的思考が経済低迷と人口減少に差し掛かる日本において、大変重要な思考です。人口減少と経済低迷という右肩下がりの日本では、少し昔の考え方が通用しなくなっています。つまりは、ブリコルール的なデザイン思考をもって活動できる人びとが集まり、小さなプロジェクトから具現化していくことでイノベーションにつながると考えます。

ここまで、難しく述べてきた人材像について、いわゆる「ダークフォース」であることを木下斉氏は解説しております。

福岡市のクリエイティブシティの中心となる大濠公園•六本松・大手門エリアがもつ都市空間•コミュニティー

 エツィオ・マンズーニ氏は著書の第一章の冒頭に、氏の住む村にあるトキワガシの木がつくる大きな木陰の下に集い愉しむ風景を記し、と同時に世界のどこかで戦争や紛争、自然災害に苦しむ人びとがいる現在でも、トキワガシの木に集まる人びとが育む「新しい社会生活の種と、次にやってくる時代のイメージがあること」への可能性を述べ、幸せを分かち合う瞬間の価値を共有するコミュニティーの姿をこう述べています。

トキワガシの周囲にいる人々は、世界にあるまだらの一片だ。ある人たちは何世代にもわたってあの地域で生活してきた。そうでない人たちはあそこで生きるのを自ら選んだ。また、他の人たちは新しいノマドの代表だ。観光客か、または移民かもしれない。彼ら彼女たちには、それぞれの関係を持つネットワークがあり、そのうちの何人かがあそこに佇んでいる。しかし、このネットワークはとりわけ、あそこにはいない他の人たちにも広がる。物理的世界とデジタル世界のあちこちに、ローカルかどうかを問わずに散らばるのだ。この瞬間、この場所で、これらの異なるネットワークがお互いに絡み合い、人々、場、コトがより濃密な関係を築いていく。その数々のネットワークが何らかのかたちを表現してコミュニティをつくり出す。ここでできるのは、現代的な形態の新しいコミュニティであり、過去のそれとは違う。世代を通じて伝えられたものではない。人々の選択によって成り立つコミュニティだ。意識的であれ無意識であれ、デザインされ、築かれたコミュニティなのだ。

エツィオ・マンズィーニ著『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』BNN出版、2020/9、PP16-17

 ここまでクリエイティブ・ネイバーフッドをつくる人物像を明らかにしてきましたが、MEZZANINE 編集長の吹田氏は、従来のビジネス街がロジカルシンキングを得意とするメンターやコンサルタントの総本山のように見える「中心業務地区」に対して、「ユニークな未知数のアイディアに対し、その中から可能性を見出す革新性を有し、共犯者になって一緒に創造的試行錯誤を行う起業家精神、つまり、共創資本に満ちた場と機会と人に他ならない」エリアとして、都心共創地区(CCDセンター•コラボレーション•ディストリクト)(『MEZZANINE vol.05pp11』)の重要性を記しています。ここでは、アイディアを形にするために必要なインスピレーションと潜在的な共創相手が近接•高密に集積しており、都市形態としては、ミクストユース(用途混在)、高密度、ウォーカブルでありバイカブルであるとも指摘しています(『MEZZANINE vol.05pp121』)。
 そして、福岡市において都心共創地区というようなエリアは、天神でも博多にも存在せず、大濠公園とその周辺である六本松や大手門などにあると筆者は考えています。それは、大濠公園がエツィオ・マンズーニ氏のいうところのトキワガシの木のような役割を果たしているからです。

 ここまで、福岡市がクリエイティブシティとなるためにおける大濠公園エリアの可能性について掘り下げてきました。都市間競争が都市の生き残りを左右するといわれる中で、Plat Fukuoka cyclingも様々な共創相手と共に、クリエイティブシティ・福岡に向けて活動できればと考えています。

 Plat Fukuoka cyclingは大濠公園エリアにおける、モビリティー分野で研究分析を行っていますので、ウォーカブルシティの入門などで発表してまいります。

2023年もどうぞよろしくお願いいたします。

Plat Fukuoka cycling 安樂

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