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6/13 「人生は、何故か忘れられない小さな思い出の集合体」、沈んだ日の断片

「僕たちの人生は、何故か忘れられなかった小さな思い出の集合体でできている」
燃え殻さんのエッセイ集『夢に迷って、タクシーを呼んだ』より





僕は彼の書く文が大好きだ。彼のことも大好きだ。僕の人生の2倍の時間をダメ人間として過ごしている先輩であり、そしてその経験を言葉にして後世に伝えるサバイバーとして尊敬している。ここで言うダメ人間とは、私が彼をこう捉えているわけでなく、いや、それは嘘かもしれない。いや、なんというか、ダメ人間でもあり、そして人の心に水と栄養と日光を優しく与える素晴らしい方でもあり、僕の生きる活力の一つになっていることは間違いない。


私の母は酒が大好きだ。いやこれも嘘だ。彼女は酒が嫌いだし、そこまで酒が強くもない。でも、比較的強いHSP特性由来の過大なストレスに対して対抗する手段が、某9%簡単に酔える悪魔のアルコール飲料1缶だった。

夫婦仲は悪かった。いや正確にいうと、父が典型的な亭主関白で、母親がとにかく尽くしていた。小さい頃から某9%簡単に酔える悪魔のアルコール飲料をお風呂あがりに飲んで、1缶でベロンベロンになっていた。ベロンベロンになると息子娘たちにキスをせがむほど僕らを溺愛し、酒に酔うとその愛情が露呈するような人だった。

その孤独を思うと心に雨が降る。

3ヶ月ほど前の夜、2階から聞こえる「よー、よー」と、か細い声で僕の呼び名を呼ぶ母親の声がしたが、作業をしていた僕は無視した。

その10秒後、重々しいズッシリとした「ゴツン」という音と、数秒後の「ママー!!!!」という大声を聞き、作業を放り出し、急速に心臓が拍動している体を2階に向かわせた。

母親がトイレの側で気を失い、その側で妹が「ママ!ママ!」と大声で呼んでいた。

僕は走馬灯のように5年前の体育の授業で習った救急救命処置の方法を思い出す。呼吸・心拍確認、気道確保、心臓マッサージと人工呼吸、全て覚えている。目の前の妹はその情報がないのか、ただパニックなのか分からないが救急救命処置を行っていないため、僕が代わりに救急救命処置を行おうとする。

しかし、妹の「救急車!」と叫ばれ、それに従う。

僕は携帯を起動し、震える手で119を入力する。3つの番号を入力するだけなのに上手く入力できず、想像の20倍ほど時間がかかったのを覚えている。

入力し終わり緑の発信ボタンを押そうとした次の瞬間、母親の目が開いた。その場は一瞬で静まり返るが、僕の心臓はまだ動悸がしていた。

「あっ………寝ちゃってた…。」

母親は笑った。


その日も某9%簡単に酔える悪魔のアルコール飲料を飲んでいたらしい。酔って就寝、途中で記憶が無いままトイレに向かい、息子の名前を呼び、そしてトイレでまた眠りについたようだった。

今回はただ寝てしまっただけだったが、母親もいつぶっ倒れてもおかしくない年齢ではある。その事実がとにかく悲しかった。いくら母親の過干渉にうんざりしても、母親からの呼びかけには気を張らないといけない。当たり前なのだが、完全に忘れていた。悔しい。情けない。

僕も20代になって、お酒は全然好きではなく飲まないものの、某9%簡単に酔える悪魔のアルコール飲料のその凶暴さは知っていた。その凶暴さはこの日、僕の鳩尾を5発ほどグーパンチした。

僕は母親に某9%簡単に酔える悪魔のアルコール飲料禁止令を出した。それ以来3ヶ月、母親があれを飲んでいる姿を目にしてはいない。軽く酔う姿はよく見るが、ベロンベロンになって息子娘たちにダル絡みはしてこない。


6/13、僕は久しぶりに鬱状態に至っていた。(とはいっても、鬱病と診断されるほどでは無いが)

週6ある部活動の折角のオフの日、僕は一日中部屋のベッドにいた。

10時に起き、朝ごはんを食べ、少しギターを弾き、YouTubeをみて、昼ごはんを食べ、ベッドで天井を眺め、いつのまにか眠りにつき、20:30にやっと起きて夜ご飯を食べた。

母親は言った。

「明後日人間ドックなの。」

母親の手には、「健康」の文字が入ったアルコール飲料の缶。僕は返答する。

「何かあったら怖いね。」

「あったほうがいいじゃん。」

「あぁまぁ、早期発見の方がいいか。」

何も良くない。何もないのが一番良いに決まってる。辞めてくれ。そして僕の返答も矛盾している。

「あの管を口から突っ込むの?」

「バリウム飲む。」

「あー気持ち悪いやつだ…。」

これは何も矛盾してない。


「母さん、携帯はなるべく目線と同じ高さまで持ってきて使わないとダメだよ。首を下に曲げてる時って想像以上に負担がかかってるからそんなところで携帯見ちゃダメ。おばあちゃんになった時、こういう風に背骨曲がったままになっちゃうよ。」

早口でスラスラと言葉が出てくる。

「そんな状態になるくらいだったら、美しい間に死ぬわよ。」

「ははは、それはいいね。」

これは半分矛盾してない。半分矛盾している。彼女の死を考えるだけで寒気がした。

母親は今年の始め、旦那(僕の父)から、外で不倫して子供を妊娠させたこと、その子供を堕ろすつもりはないこと、その他もろもろの事実を突きつけられ、HSP強めな母親は強烈なストレスに晒されている。何か病気があってもおかしくない。

世界は悲しみでできている。いつかは終わりを迎えるという悲しみが土台にあって、その上にその他の感情が複雑に乗っかっている。

それらが透けて、土台を見てしまう時、人の心は強烈な嵐に見舞われ、涙を流す。その災害に精一杯抗うも、後に儚く散る。


「僕たちの人生は、何故か忘れられなかった小さな思い出の集合体でできている」


過干渉、過保護、心配性な母親と共有した断片に記憶を巡らす。





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