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“人生にピーマン”の法則

子供の頃、ピーマンが嫌いな人って多いですよね?

だって苦いから。それを嫌うのは本能だし当然なこと。でも、大人になって食べられる、好きになった、あの苦みがイイ!など様々な味覚を楽しむ事ができるようになる。

そもそも、昔のピーマンより今のピーマンの方が苦みが少なく感じるのは感覚が鈍感になったせいだろうか?万人に食べてもらえるように品種改良されたからでしょうか?私はどちらでも構わないのだけど…。

「食べ物」って教えてくれる事がたくさんあって。いつかの主人との会話でこれを書こうと決めてました。


主人は好き嫌いが多くて、嫌いな食材は殆ど使わないようにしている。だから変わった料理を作る事もあまりなく、料理が得意でも好きでもないテヌッキーな私としては非常に助かる。

私は食べるけど、ピーマンが好きではないし、主人はもっと好きではない。ただ焼きそばに入っているくらいなら、「食べられる」に近い。

「これ、おいしいけど、ピーマンがあった方が全体がなんか整うよね?なくてもおいしいけど…(うん、この味)」

締まる、整う、まとまる、ピシッと。ピーマンが好きでもない主人に言ってみた。

「そうだね、分かる気がする。なんかおいしい味じゃないけど、バランスがいい?一味欲しくなる?感じ…。」

主人も同じ感覚を持っていた。

好きじゃなくても「ある」と整う。私は物事を大きく捉えるのが得意なので、すぐに同じだ、と思った。

人生。

嬉しい、楽しい人生が誰にとっても理想的、と思う。できるだけ苦い経験なんかしたくない。辛い事が好きな人はそうそういないんじゃないかと。

でも、魂ってどうだろう?

どんなモノコトでも経験してみたいんじゃないかしら?って。人間の思ってる事と魂の感じる事が、多くは一致してないと思うのね。人間が思う程、「安定している事」が好きとは限らないし、みんなと同じ事が嬉しいとも限らない。

同じ事だけの中で生きてると、それ自体がどういう事かも自分で分からなくなってしまったり、習慣化されてマヒしてくる。

毎日食事を摂る事もできる、お風呂に入る事もできる…。そんな生活を当たり前にしか思えず過ごしていた私は、口では言っても心から感謝する事は少なかったかもしれない。

それを「苦み」を経験して、その他の所が引き立ち「感謝」に気づき、感情的には嫌う「苦み」もスパイスになって、全体調和に一役買ってくれている事に気づいていった。

意地でも「ピーマンは避けたい!」という本気の意気込みもまた味わいがありそうだけど、私自身は結局、色んなものが合わさっての調和、に向かって人生を整えているのだと思う。


材料も自分で選んだつもりでも、予期せずどんどん放り込まれる各種様々なモノたちを、「どう料理したらおいしくなるかな?」と試行錯誤しながら、時に目が沁みて涙しながら仕上げていってるんでしょうね。

あの人より私の方がうまい・へた。そんな事は関係ないですね。各家庭にオリジナルの料理があったり、調理方法があるから。

そうだな、私はアレンジするのが得意だと思ってる。普通の使い方じゃつまらないから、違う使い方はないかな~、とよく考えたりします。

あ。

私そもそもあまり料理しない人間だったこと、忘れてました…。こりゃ、失礼。

私って、こんな「いいカゲン」な人間です。でも、でも、でも。

きっと魂はこんな私をかなり祝福してて、結構好きだと思います。



「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!