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ナイン・ストーリーズ

"『君はとにかく目を開けて、バナナフィッシュがいないか見張っていてくれたまえ。今日は絶好のバナナフィッシュ日和だからね』"1953年発刊の9編の短編集である本書はイノセンスさと社会の細やかな対話がそれぞれに在ることを、禅の公案「隻手の声」と共に時間を超越して伝えてくれる。


個人的には2019年が著者の生誕100周年という事で映画公開や様々なキャンペーンが書店で行われてきた中、新海誠監督の『天気の子』でもまさかの追い打ちをかけるかのように『ライ麦畑でつかまえて』が登場しているのを受け、どこか観念するかの様に?随分と久しぶりに(今回は親しみやすさでお馴染み、柴田元幸訳にて)手にとりました。


さて、本書は小説に【起承転結オチ的な伏線回収物語】を求める人だとおそらくはモヤモヤしてしまうと思われる、どこかイライラとした傷やストレスを抱えた個性的かつ不安定な人たちが登場しては【会話劇の様に展開し突然終息する】作品が繰り返されわけですが。全てにせっかちだった若かりし時は、当然の様にその事に対してモヤモヤはもちろん【文字外の描かれない余白】を楽しむ余裕もなく、率直に言って【よくわからない】といった消化不良な印象だったのですが。年は重ねるもので、今回の何十年ぶりの再読では、むしろ、ただ【登場人物がそこに在ること】に五感を預ける事が、これほど豊かに世界を感じられるのか!という悦びが全編にわたる新鮮な驚きでした。(=全作品お気に入りへ)

そして個別には、それでも魅力的な物語性があって、某有名SFアニメにも引用されていることでも有名な甘酸っぱい野球少年たちの青春物語『笑い男』そして『ライ麦畑でつかまえて』と同じような生意気で独りよがりな主人公が語り手となる『ド・ドーミエ=スミスの青の時代』の2作品。グラス家の始まりにして、その唐突な死がなぜか私には【ぼんやりした不安】で自殺した芥川龍之介を思い出させる『バナナフィッシュ日和』そして、あまりの天才少年の悟り具合と著者の東洋思想へのハマり具合が透けてみえる『テディ』が中でも特に印象的でお気に入りとなりました。(いや、だから。全部好きなんですけどね)

イノセンスさ成長の狭間に存在する、それでいて『言葉にすると色あせてしまう何か』を感じたい誰か。あるいは小さな物語のさえずりが世界をつくっていると実感したい誰かにオススメ。

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