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「余白」への感受性:インド・チェンナイのアート展覧会への招待『WHITE Emptiness as Limitless Potential』

「日本のグラフィックデザイナーである、原研哉氏の著書『白』に影響を受けたデザイナーがいるから、個展を見に来てほしい」という連絡があった。その方はアート・コレクターの方で、以前別の展覧会でお会いしていた。

原研哉氏に影響を受けたというそのデザイナーさんは、現在14人の若い芸術家のメンターでもあるのだそうだ。

海外で、かつ文化に関わる者として、日本の文化や美学をより深く理解して、それを自らの芸術や精神、哲学として広めようとされている現地の方々の存在は非常に重要である。原研哉氏は、どちらかというと無印や蔦屋のデザインを手掛けているイメージだったけれど、今回の話を受けて、何冊もの本も出版されていたことを知った。今回、『白』のような、日本の芸術や文学の面でも活躍されている人々の著書がもっと読みたくなった。

そう、こうやって、自国の文化は、めぐりめぐって、私たちのもとへ届くのだ。時として、それは、全く異なる文化や言語を持つ人々から託されるものなのかもしれない。

そして、すべては、個人の好奇心から始まる。世の中で、より大きな組織の大きなプロジェクトが動くときも、何か新しいものが創造されるときも、すべては、一対一のコミュニケーションから始まるものだということに改めて気づかされた。

Kenya Hara is a Japanese graphic designer, curator and writer. 
Teaches Communication Design and Design Theory in Science on Design Faculty at Musashino Art University since 2003
He has been an art director of MUJI since 2001

“Emptiness is a creative receptacle" 空は、創造的な器


In this book, Kenya Hara elaborates on the importance of "emptiness" in both the visual and philosophical traditions of Japan, and its application to design.

"white is a color from which color has escaped, but its diversity is boundless."
the application of white is able to create a forceful energy for communication."

It’s a stance—a readiness to receive inspiration from outside. “To offer an empty vessel is to pose a single question and to be wholly ready to accept the huge variety of answers,” says Hara. ”Emptiness is itself a possibility of being filled.”

“coffee table”—MUJI prefers open-ended labels such as “oak table.” This gives users the creative freedom to designate the table’s ultimate purpose.

There’s also a mental way to channel this emptiness, which involves having the humility to listen to foreign ideas, Hara said, explaining, “Questioning is emptiness.”

“To create is not just to create objects,” he explained. “Coming up with a question is also creation—the very essence of a question is its power to elicit the possibilities of reply, to collect a variety of thoughts… I believe that the richness of thinking may be the critical resource needed to give this world a future.”

大量の情報が行き交い、全てがデジタル化された世の中だけれど、Emptiness「空」や「無」の存在意義を改めて考えさせられる瞬間だった。

「空」の語源もまた面白いのだ。そして、最初にゼロというものを定義したのは7世紀のインドの数学者・ブラーマグプタという人物。そんな関わりの中で、空を考えることができるのが、また面白い。そして、とりわけ南インドの芸術や文化関係の方々と話していると、自分の感性が磨かれるのを感じる日々。

仏教でいう空とは何か?

「空」は、仏教思想において最も重要な教えの一つである。空は無と有、否定と肯定の両方の意味をもつが、世間では「から、あき、むなしい」等の意味で把握され、「無」の面だけが強調される傾向にある。「空」はサンスクリット語の「シューニャ」の訳語で、よく「無」とも漢訳される。

MAISHA STUDIO代表のアイシュワヤさん

今回、お会いする前に何度か連絡をさせて頂いていていて、お会いした瞬間に”Your presence is so much meaningful to me.”と歓迎してくださった。彼女が、今回の個展を運営する起業家、アート・デザイン教育者、そしてシランバム(南インド、タミル・ナードゥ州で生まれたインドの格闘技)武道家でもある、アイシュワヤさん。

「以前、私が通っていた学校に、原研哉さんが来てくれた。そのとき、原さんは、グラフィックデザイナーというよりも、もう少し大きな次元の哲学者という印象を受けた。それから、原さんの『白(White)』という本を知って、英訳の本を探して、3か月待って手に入れたの。」ということを教えてくれた。

学生さんや、大勢のお客さんで賑わう会場

いつも我々は「招待される立場」となると、何かしらのスピーチを求められることが多く、今回も事前にいろいろ概念や考え方、日本の美学について考察していたけれど、あるひとつの質問にたどり着いた。

それは、「この土地で、日本の概念である”emptiness”(空、無)を意味するタミル語はあるのか」ということ。

Emptinessっていう英語では、西洋の価値観でいうと「物がない状態」で捉えられることが多いけれど、原氏も言っていたように、日本や東洋の価値観では、もう少し精神面、心の在り方、わびさび、生きがいにも広がっていくような気がしたから。

会場で皆さんに問いかけてみたものの、結局、その時に答えは出なかった。けれども、「考えるきっかけをありがとう」と言われた。そもそも、一つの答えは無いのかもしれないことを、こうやって、みんなが集まる機会に話し合えること場が、我々には必要だった。

アイシュワヤさんの学生のお母さん

アートは、人間性をも変えていく。とても強いエネルギーがあって、人前で話すことが苦手でも、描くことは得意な人もいれば、感情をアートで表現する人々もいる。みんなが話す機会を提供する彼女は、まさに、コミュニティーのキューレーターだった。非常に、居心地が良い空間だった。

とても感銘を受けたことが、もうひとつある。Whiteというテーマに沿って、学生さんが、それぞれのアートを説明してくれるのだけれど、みんなが、他のみんなのアートのことも深く理解していて、その人がいなかったら、別の人が説明してくれるのだ。

「私たちは、他のみんなのアートも、そのアートに対する想いも、全部知っている」と。

タミルのカレンダー

「これは、昔から伝わるタミル語のカレンダー。今の時代、日付はデジタルで簡単に知ることができるけれど、紙のカレンダーの良いところは、私とカレンダーの関係性の中にある。カレンダーをめくる動作によって、昨日を越えて、今日という日を生きることを教えてくれる。」

自分も、毎日のメモを紙面上で書いているため、「面白い!この紙質も素敵!」と言っていたら、「1部残っているので、プレゼントします」と。

もらった!笑 こういうタミル文字のお土産、素敵だと思うな。

「私の家族は全員医者なので、私自身も病院で過ごすことも多かった。その経験を、今のアートにも生かしている。この作品は、傷口が少しずつ治癒していくところを表現しているの。完全に治す最終形態ではなく、その過程、そして、その複雑さも取り入れた。」

「このアートは、一見、全て線で繋がっているようなアートだけれど、よく見ると、白い線で遮断されているの。これは、現代社会のconnectionとdisconnectionを表現しています。」

MAISHA STUDIOの皆さん モデルスタジオ風!

ちょうど最近、西洋のアート展にも参加していたので、ふと思ったことがある。それは全体的に、西洋のアート展は、彼らが伝えたい大きな価値観(例えばInclusionとかDiversity)があって、その傘下にアートがある、そんな感じがして。そうじゃなくて、日本の美学というか、東洋の感性って、もっと、より小さなもの(今回のでいうとWhiteという色)から、それぞれの表現をより広い方向性へ向けていく。そこには、まさに「余白」があるのだ。そして、過程、そして見えないもの、感受性、受容性、に価値を与えるのだ。ということ。

素敵な出会いに、ありがとう。
南インドで活躍する、日本のアーティストも増えたらよいな。

来印される方は、是非、ご連絡ください。

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