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海外在住者にとっての、日本の魅力「湯治場」~鎌倉、箱根湯本、強羅、そして宮ノ下~

寒いのが苦手で、1年の半年(日本の冬の時期)をマレーシアで、その残りの半年を日本で過ごすご夫婦(60代)がいて、その方々や海外在住者が口を揃えて言うのは「日本で恋しいのは温泉!」ということ。飛行機の関係で、成田空港や羽田空港に戻っても、向かうのは東京ではなく、群馬県や静岡県、神奈川県などの温泉地。

日本では、都会と田舎を行き来する生活や多拠点で活動されている方々が特に若い人々の間で増えてきたけれど、私自身は、自分の体調や精神が良好なのは東南アジアの気候であり生活なのを知っているので、今後も生活の拠点はそちらにして、日本では主に「湯治」をメインに過ごす予定。

面白いのは、この鎌倉から箱根ルートを巡る中で、これらの地域は外交といった目的でも多くの老舗旅館やクラシックホテルに外国からの要人が招かれたり、交流が多かったので、昔から西洋の影響を色濃く受けており、「海外から見た日本」や「日本人の日本の誇り」といったものが、建築やデザイン、街の人々のメンタルなどにも見られるという点。そして、どの場所の過去を巡っても、たどり着くのは数百年前の単位なので、時間軸がすごく長くなるのだ。

鎌倉

古民家をリノベーションして作られた宿
静寂が広がる空間
パーソナルジム

こちらの古民家が非常に面白いことに、1階はもともとの家主が書斎として使っており、本が何冊あっても大丈夫なように、頑丈に、重厚に作られていたのでトレーニングルームとしてリノベーションされていた。「宿がメインというよりも、まずは私たちはパーソナル・トレーニングがしたかったんですね。そして、数年前この古民家に出会って。1棟貸しではなく、ドミトリーや個室に分けたのは、1棟貸しにしてしまうと、1階のトレーニングができなくなるので。古民家で、ドミトリーに泊まれるとのことで、コロナ禍の前は、ほとんどが海外からの観光客でした。」とのこと。

早朝の波音を聞きながら
長谷寺 

祈りの観音浄土本尊造立1300年記念行事が開催中。伝承によれば、当山本尊の観音さまが造られて1300年なのだという。

江ノ電の路線

鎌倉は、もはや土地が無いらしい。まだまだ、湾曲した道や鉄道沿線沿いの緑豊かな光景が残るけれど、ゲストハウスやホステルも増えて、お洒落なカフェはいつ行っても写真撮影に夢中な人々でいっぱいなのだ。七里ヶ浜にある鎌倉プリンスホテルの価格が基本と考えると、一軒家の一棟貸しだと、値段を15000円~25000円にあげるしかない、と宿の方は言っていた。

素敵な場所で、移住先に有名な鎌倉周辺だけれど、鎌倉に住みたいか?と聞かれると、答えはNO。単純に、津波が怖いのと、夜の海の音はどこか不気味。畏怖の念と言ったらいいのか。海の見える部屋というのは、ホテルで1泊で充分だ。そして、お店によると思うけれど、さすがサーフィンのメッカでもあってか、リモートで働くサーファーの父親たちと、子どもたちの集いの場でもある場所が多い気がしていて、私にとっては居心地が良い場所ではないと直観で思った。

それでも、久しぶりに大海原と背後に富士山を望み、朝の散歩、禅の世界に浸ることができた日々。

次回行きたい場所
鎌倉文学館(10月上旬まで休業)

箱根湯本

箱根から、まず小田原まで。そして、小田原から箱根湯本まで向かう。

須雲川

改めて、日本の川って清流だなぁ〜と思う。ちなみに「清流」って英語で伝えるのが難しくて、まぁ言っちゃえば "clear river (stream)" だけれど、清流には、clear 以上にもっと繊細な小石や川の流れや、そこに棲んでいる魚たちや背景の山々を含むような気もする。

寄木細工(よせぎざいく)
江戸時代末期、箱根町畑宿で始まった寄木細工。木材それぞれが持つ色や木目を生かして寄せ合わせ、日本の伝統的な幾何学模様を表現した木工芸品。箱根湯本の街中には、この寄木細工のアクセサリーやコースター、小物入れやお皿などで溢れている。

寄木細工

お遍路と巡礼を思い出す。

箱根登山電車

小田原駅から強羅駅まで標高差527mを結ぶ、日本有数の山岳鉄道。進行方向を入れ替えて進むスイッチバックスイス・レーティッシュ鉄道と新交が深い。強羅駅には、親交を記念して"友好のカウベル"が。

スイスのベルニナ鉄道を思い出した。景色は本当に素晴らしく、広大に広がる草原風景と背景に山々。ただ、めっち乗車料金が高かった記憶が・・・。ちなみに、こちらの箱根登山鉄道は、箱根湯本から強羅駅まで片道430円。この標高差を、40分ほどかけて行く交通手段にしては、とてもお手頃な気がする。通るトンネルも数多い。

天山湯治郷(かよい湯治)1100円~1300円
グループでの利用はお断り、とのこと。

強羅

強羅駅周辺は、箱根登山鉄道への乗り換え口という感じで、飲食店は少ない。ただ、ここを拠点として、バスや電車、鉄道、そしてロープウェーと交通網は細部に渡り発達している。旅館も点在している。

箱根登山鉄道

箱根登山鉄道

強羅駅を出発し、坂道を一直線に登っていく。早雲山までの道のりは約15分。距離はそんなに長くはないが、この道を歩こうと思うとゆるやかな傾斜が続くので体力がいる。そして、車社会なので、歩行者にはあまり容易な道ではない。

登山鉄道に乗っている際、隣りに座っていたご夫婦が、「箱根に住んだら(山道が多いから)、体力鍛えられそうだね」って話していたけれど、箱根に住んでいる友人からすると、「いや、車がないと生活できない。むしろ歩かない。」とのこと。ただ、私は、ここには一本道をそれると車だと通れない道も多い気がしていて、そーゆう場所を選びながら、坂道上りながら&下りながら、10kmは歩いて「これは、ハロン湾や那覇マラソンの準備だっ!」て思い切っている。きっと、天候が良くて気候が気持ち良くて人々が少ない時期の滞在だからできることなんだろうな。箱根の山々や緑は、軽井沢のトレランコースを思い出す。

箱根本箱 

その他、強羅周辺の場所
彫刻の森美術館(ピカソ館を含む)
箱根銀豆腐
強羅公園(550円、箱根フリーパスで無料)
HAKONE CRAFTHOUSE 

強羅メモ
・ほとんどの飲食店は16時〜19時に閉まる
・デリーヤマザキも19時閉店
・立ち寄り湯可能な場所は1400円〜1800円ほど(平日と休日でも異なる)

箱根ケーブルカー

大涌谷
芦ノ湖

芦ノ湖海賊船

海賊船
芦ノ湖をサイクリングで一周するのも良いかも
ほぼ誰も降りない姥子駅から、ハイキング

Bakery & Table 箱根
1937年にオープンした「朝倉観光ホテル」がプロデュースする

芦ノ湖を周っていると、突如、向こう岸に日本の竜宮城のような場所が見えた。後で調べてみると、ここは日帰り温泉施設(宿泊も可能)だったことを知る。

絶景日帰り温泉 龍宮殿本館(国登録有形文化財)1800円

昭和13年に、浜名湖に建てられた「浜名湖ホテル」。当時の日本屈指の高級ホテルとして評判になったが、戦争がはじまり創業からわずか1年半後の昭和14年10月に休業。その後、浜名湖から芦ノ湖畔への移築が決まり、箱根プリンスホテル和風別館「龍宮殿」として新しい歴史を歩み始めた。

その後、昭和32年「龍宮殿」が開業、湯治の外務省はインドのネール首相うあ西ドイツのアデナウアー首相を招いたことも。幾多の大規模な改修工事を経て、平成29年7月、龍宮殿本館は絶景日帰り温泉龍宮殿本館として生まれ変わる。

宮ノ下

宮ノ下駅

メインストリートはセピア通り。宮ノ下地域は、富士屋ホテルが開業した明治時代に外国人観光客向けに発展した為、レトロでエキゾチックな独特の風情を建築からも感じられる。

NARAYA CAFE 店主の安藤義和さん実家は江戸時代から続き2001年に閉館した老舗「奈良屋旅館」。2007年に従業員寮だった古民家をリノベーションし、足湯カフェNARAYA CAFEをオープン。

NARAYA CAFE

夫妻セレクションの本棚が 主に旅を中心とした本たち

富士屋ホテル

富士屋ホテル別館 旧御用邸「菊華荘」
1878年、日本で初めての本格的リゾートホテルとして箱根の地で開業した富士屋ホテル。ヘレンケラーやジョンレノンも宿泊したことも。ホテルミュージアムはビジターでも訪れることができる(無料)。戦火をのがれて、人々に愛されてきた名ホテルが、約2年間に及ぶ耐震補強と改修工事を終えた。

ここを訪れた際、改めて同じ日本のクラシックホテルと言われる軽井沢の万平ホテル、日光金谷ホテル、そしてベトナムのダラットにあるPalace Heritage Hotelを思い出した。どのホテルも、西洋文化の影響を多いに受け、建築や伝統文化、重厚な趣から、その歴史を紐解くと面白い。

レジスターブックの展示

ちなみに、1885年以降の宿泊客のレジスターブック(宿泊台帳)がミュージアム内にあって、思い出したのが、インドではまだこの巨大な台帳文化(?)が残っていて、いつも宿のスタッフが重たそうな本を開けていた光景。宿のスタッフに「なんで、こんなでかいの?」と聞いたら、苦笑いしながら、「これ、インド警察に登録しないといけないんだよね」とか何とか言って、結局、このでかさに対する根本的な理由は聞かれず。と思っていたら、どこの国でも、こうやって、宿泊者を記録していたのかな?

さて、湯治場といいながら、湯治場の写真や記録は無い。なぜなら、どこも写真撮影したり、記録をつける場所ではなく、ほぼ何も持たずに「治療する」ことが目的だったのだ。平日に時間がたっぷりあるというのは何て贅沢なのだ。ただ、最近の湯治場は、本来の目的で利用されるというよりも、美人の湯とか女子旅推しになっているから、なんだか値段も高いし、ゆっくりできない。静寂が売りの山奥の旅館は予算オーバー。そんな時に、例えばホステルやゲストハウスにある温泉を利用したり、ハイキングがてらに街の中心から離れた湯治場へ行くのをオススメする。

湯治場
湯治とは、古くから日本に伝わる治療法で、温泉宿に長期滞在をして温泉の効能によって体調を整え、病気治療や療養を行うこと。

効用:アトピー・湿疹:胃腸病・リウマチ・神経病・胃腸病

青森県の酸ヶ湯温泉旅館、群馬県の四万温泉積善館本館などが有名だけれど、本来の湯治場の温泉は、あまり大きくなく、部屋も休憩どころとして数時間単位での貸し切り制度を取っていることも多い。また食事を提供されている場所、自炊可能な場所、お弁当を持ち込む必要がある場所など、さまざまだ。ここ、箱根周辺には、そんな湯治場が数多くある。移動しながらも、実は結構滞在していた湯治場巡り。

次回行きたい場所(というか、宿泊にはハードルが高すぎるので、あくまでもメモ)

箱根吟遊(30000円~40000円)
ふふ河口湖(93000円ほど)
ホテルインディゴ箱根強羅40000円~
(小田原駅から無料シャトルバスあり)
箱根リトリート villa 1/f40000円

BAR天幕
COFFEE CAMP 

御殿場アウトレット
木の花の湯(休日1900円、13時まで1600円)
9時~彫刻の森美術館OPEN 1600円ネット購入待ち時間なし
富士山本宮浅間神社大社

箱根サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム(1600円)
フランス人作家サン=テグジュペリにより書かれた童話。1943年に出版。現在までに300以上の国と地域の言語に翻訳される世界的ベストセラー。砂漠に不時着した飛行士が小さな星からやってきた王子さまと出会い、王子さまが旅した星々の話から、人生で本当に大切なことを知る物語。

サン=テグジュペリ
作家、飛行家。1900年6月29日、フランスのリヨンに生まれた。郵便輸送パイロットとしての欧州ー南米間の飛行航路開拓や第二次世界大戦の偵察飛行の体験をもとに、『南方郵便機』『夜間飛行』『人間の大地(土地)』などの作品を執筆。行動主義文学の作家として活躍。『星の王子さま』が亡命先のニューヨークで出版された翌年(1944年)、地中海コルシカ島から偵察飛行に飛び立ったまま、消息を絶つ。

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