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モルディブで考えたビジネス幸福感:収入が高ければ高いほど、人は幸せになれるのか?

モルディブのフルマレの街を歩き(そして、マラソン完走し🥇😂)、在住邦人の方と話しながら、ふと思い出す『アメリカ人旅行者とメキシコ人漁師』の話。私たちがランチを頂いていたレストランの目の前はエメラルドの海が広がっていて、ヒジャブを着けたままの女性が泳いでいた。

以下は、モルディブのマラソン大会参加の#note(掲載に時差が・・・笑)

モルディブの住民は、ほとんど観光業で生計を立てているのもあり、閑散期は海辺でボケーっとしていたり、同じ場所をただひたすら散歩していたり、テラス席で1日中友人たちと話したりしていて、ふとこの物語に出てくるメキシコ人漁師を彷彿とさせた。

この物語『アメリカ人旅行者とメキシコ人漁師』とは、いつしか国籍を変えて、長年受け継がれている例え話であるが、いわゆる人生における幸せとは?ビジネス幸福感とは?を考えるのにあたってとても深い考察を与えてくれる。そして、もしかしたらこの例え話は、今の自分の立ち位置や環境に応じても、捉え方が変わってくるものなのかもしれないとふと思った。

話は大体こんな感じ。MBA卒のアメリカ人旅行者が旅先で出会ったメキシコ人漁師に、効率性を追求し、儲けて、ビジネスをでかくして、多くを所有して・・という資本主義の人生の在り方を強く推奨したのだけれど、「それで?」と聞き続ける漁師へのアメリカ人旅行者の回答の最終的に辿り着く先は、今既にメキシコ人漁師が持っているもの(家族愛、シエスタ、趣味、ビーチでのんびりと過ごす等)だったというオチ(?)がある。これこそが資本主義の皮肉であり、普段お金のためにあくせく働き収入を増やそうとする私たちの心を揺さぶる。

ただ、と思った。私が、もしこのモルディブという国に生まれていたとしたら。他の国のことすら知らず、観光客頼みの収入しか期待できず、何ができたのだろうかと。日本に留学して、その後米国へ渡り、今は国連に勤めるモルディブ人の友人のように、国を出ていただろうか。同時に思うのは、漁師や観光業(特に観光客相手の接客販売)といった、肉体労働に関して言うと、健康が全てなので、そこに保険や補償が無いと、もしかしたらあのアメリカ人旅行者が物語で推奨した人生と、メキシコ人漁師の人生の両方を得る戦略がVUCA時代に必要なのかもしれないとも思った。

「わからない」のだ。よく日本社会の文脈では、収入はいくらあったら安心、老後にはこのくらいの貯蓄が必要、結婚相手には年収いくらを求める等など、数にこだわっている風潮があるけれど、そりゃあ、お金はあるほうがいい。収入は高いほうがいい。その前提ではなかなか埒が明かないというか、永久に求めることになる。幸福感は、年収いくらで頭打ちする等という研究結果もあるけれど、そんな頭使って考えることではないのかもしれない。それよりも、自分の「幸福」の定義を決めることが大事なんだと思う。自分の価値観や信念に沿った、意義のある仕事に携われている今が、私にとっての幸福感はとても高い状態なのかもしれない。

モルディブの人々にとって、今の環境の幸福度が高いのかはわからないけれど、そしてそれぞれの幸福の定義は、それぞれが決めていくしかないのだと思ったけれど、はっきり言えることは、モルディブの方々はめっちゃ親切で、ご飯(特に海鮮料理)が美味しくて、デザインや建築センス(この建築美!!✨)も素敵だということだ。

そうやって私は、また学歴・競争社会であり、最速で発展を遂げるインドへと戻っていく。



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