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日々是徒然 『迷宮遊覧飛行』(山尾悠子)を読んで思う徒然のこと①

幻想のありか___身体の欠如/現実の朧気

 
注意書き。
ここで書いていることは、『夜想山尾悠子特集』『新編夢の棲む街』『迷宮遊覧飛行』を読んで、徒然に思ったことで、作品に対する分析です。価値観について語っている訳ではありません。こういう風になっているのか…ということです。しかも自身の個人的な見解です。

中川多理さんの人形に触れてはいるところもありますが、中川多理さんと[~について]話したことはないので、あくまでも自分の類推的判断、個人の意見です。

削除した文章に対して、多理さんが『迷宮遊覧飛行』を読んで何かの反応(たとえばでていないから悲しいとか…悔しいとか)をもっているかのような捉えた人がいますが、ここに書いている文章は、中川多理さんの気持ちを忖度した書いたとか…そういうことはまったくありません。関係なく、私が、思ったことです。

幻想のありか


 若くして小説を書きはじめたタイプの作者と小説を書くことが批評を書くことよりも遅い出発となったタイプの作家を比べてみると、若い時分に小説を書きはじめてしまう者…いわゆる怖い物知らず…山尾悠子の場合は、怖いもの好きでしょう。~(金井美恵子『夜想』山尾悠子特集)  
 金井美恵子さんは、『夜想』でそんなことを云っています。
 小説を書ける人が、小説を読めるとは限らない。批評家が小説を読めないのは論外だが(けっこうたくさんいらっしゃる)、小説家が批評もよくするかどうかは分からない。書けると読めるは、別の行為として存在している。しかし書くのに読むことがまったく必要ないということはあり得ない。
 執筆と読書と不可分のこととして、その関係はいろいろにある。本に読まれると云った須賀敦子は、文章を書きはじめるまでに長い時間を要した。山尾悠子は——二十歳のときに代表作『夢の棲む街』を出来している。十代に書くことを意識化して書きはじめたときに既にスタイルも、書き方もほぼ完成している。読むことは書くことであり、書くのに読書は必須のこととなる。晩年、蔵書を失って本を読まなくなったから書くものが駄目になったのだと切り棄てた作家がいるが、読書から自作を書くということは、必須のことだとされている。(夜想『山尾悠子特集』を組む最中にはじめて意識した)
 たとえば須賀敦子が読まれる自分を、書き手に変えるのに何らかのシステムか、何かを諦めるというような契機が必要なのではないか。チェーホフの翻訳者が、チェーホフの手紙を読みすぎて批評すら書けなくなったとか、創作ができなくなったとかの深い悩みを吐露する文章がけっこう残されている。書くのに読むは必要だが、読むと書くとにはだいぶの断絶がある。余談だが、踊りに言葉は必要だが、言葉で踊りはできない。表向き必要が無いくらいに言葉は踊りに見えてこない。人形もそうかもしれない。人形を作るのに言葉はいくつか必要だが、言葉はなかなか人形に関与出来ない、まして人形作家が言葉で創作するのは至難の業だ。
 山尾悠子と同じく、若くして小説を書きはじめた金井美恵子は、読むことは書くことだといっている。山尾悠子の『夢の棲む街』は、金井美恵子のある作品の影響を受けたと誰からか聞いた。早成の作家・山尾悠子も、読むことは書くことに直結している。そこに天才の賦を感じる。
 山尾悠子は云っている。「誰かが私に言ったのだ/世界は言葉でできている」
 山尾悠子作品を語る時に、よく引かれる言葉だ。比重は一行目にあると山尾が云う。二行目だけだと、言葉は現実に固定される、論理になる。主張になる。思い込みになる。一行目があることで、言葉はさらに幻想性をもつことになる。幻想の物語——すべては伝聞なのだ。幻想文学は、現実から幻想世界に入るゲートが必要な場合がある。鏡花の作品多くはそうなっている。澁澤龍彦もゲートを使う。山尾悠子は、現実のゲートを必要としない。何処からでも、入っていける。言葉でできた世界は、既に語られて、存在している物語なのだ。おそらく唐十郎もゲートを必要としない。読書がそのまま自作になっていく。唐十郎はそれを誤読と読んでいる。読んでいる最中から創作になるのだ。唐十郎も書く天才だ。
 朧気に存在する言葉は、変移自在に宙を舞い、花びらのように降ることも可能なうつろいの言葉だ。身体を、現実を想ってはならない。そこにあるのは今で云う『幻想世界』なのだ。
 読むことは書くこと。書くように読む。そんなことができる天才たちがいるのだと朧に知ったのは、山尾悠子の作を読み出してからだ。そして『迷宮遊覧飛行』が、それを確信に変えた。山尾悠子の読書遍歴にして、その読書が書くことにどう繋がっていたを見せてくれている。山尾小説の自選自註の書だ。読めばもっと山尾世界に入っていける。

身体の欠如/現実の朧気

 『迷宮遊覧飛行』は、文章が書かれた順に並んではいない。山尾の云う復帰後の文章が冒頭の部分を占めている。そこには過去の[今]を、現在の今から見る視点が豊富にある。冒頭には、書下ろしの序が、初期の読書歴を俯瞰して書かれている。
序は、マニア読者の心を鷲掴むこそになるだろう。読者は、どうやってこの表現がでてきたのだろうかとか、どうやってこの作品が成立したのか、それは何の影響を受けたのかとか…少々下品な質問をぐっとこらえているものだから…序はその気持ちも満足させてくれる。
 かなりの深度まで自作成立の秘密を明かしながら、序を含めて、この本には山尾悠子がこう読まれたいと言う虚栄は、一切ない。潔いくらいに。作家は、自註とか解説をすると、自作を読まれたいように、その解説を書いたりする。作家の書く『文学入門』には自作の読み方を誘導する傾向がある。山尾にそれはない。制作秘話や秘密を明かしても、作品の密度や印象が弱くなったり、下世話に堕ちたりはしないという、文学者として自信がみなぎっている。
 山尾悠子という作家は二十歳の時に、現在の隆盛を見越して書きはじめ、一切ぶれないまま今日に至っているのだ。二十歳のときに作家として完成していたということは、山尾悠子は書く賦をもって書くために生まれてきたのだ。空白の期間が心から惜しまれる。
 
 さて、山尾悠子がすでに執筆も読書もスタイルを確立していたその頃に、ほぼ年齢変わらず少し年上の自分は、どうしていたかと。
 大学入学時に京大・全共闘のオルグメンバーに渡された『シュルレアリスム宣言』に四苦八苦していた。書いてあることがまったく分からなかった。ヌーベルヴァーグの映画に驚いたり…おずおずとシュルレアリスムの本を読んでみたりした。分からない。その中で澁澤龍彦や種村季弘の著作に惹かれていったりもした。時折、アルトーとかマンディアルグに出会って、驚いたりしていた。読みこなせない…。
 二十六歳でたまたま『夜想』をはじめて、やってみたら続きそうなので、気に入る幻想文学系の文学やオブジェに見つけては特集を組んでいった。『ベルメール』『夢野久作/竹中英太郎』『劇場・観客』『屍体』『アルトー』…。『夜想』が仮に幻想に近いところを歩いていたことがあるとして、それは、現実に存在しているもの/オブジェ、屍体/ボディというようなものに立脚していた。本からということはなく、どれだけ読書しないで雑誌を作るかだったような気がする。『夢野久作』の特集時に全集は読了したが、気に罹ったのは胎児でありチイの踊りであった。(そのことは三木成夫に褒められた。土方巽は『暗黒舞踏』を組む前に『夜想』は暗黒舞踏の雑誌だからなぁとこれまた褒めてもらった)読むことより、そこにある身体を如何に[見れるか]からはじめていた。見抜くというような大それたことは思っていなかった。より深く見ることでより深く愉しめる——そんな感じだ。

 寺山修司は、「ぼくは不完全な死体として生まれ/何十年かかゝって/完全な死体となるのである」
 土方巽は、「命がけで突っ立った死体」
 
 その言葉は彼らの原点でもあり、彼らは藝術で現実を侵犯するための道具として武器として、身体を舞台に置いたのだ。彼らは本気で屍体になろうとしていた。夜想の『屍体』特集はそんなボディのさらに奥を見ようとするものだった。

 ぼくは表現する彼らの舞台のすぐ傍で、創作には関与せず舞台にも上がらず、そして純粋な観客でもなく、それらを目撃し続けていた。瞬間瞬間に事件は起きる。幻想が立ち上がる。舞台の表現はぼくにとっては驚くべき、そして人生の見方を変える事件だった。
 須賀敦子が本に読まれるように、ぼくは、きっと寺山修司の舞台の身体性に、土方巽の舞踏に、笠井叡というルシファーの眼に魅入られたのだ。身体がぼくのからだに捩り入り込んできたのだ。彼らの本を読んだのは、知り合いになり、少し冷静にもなった、だいぶ後のことである。観客でもない、演者でもない、演出家でもない、戯曲も書かない、それでいて舞台の最接近の位置にぼくは居続けた。
 そうしているうちに『幻想文学』という幻想文学専門誌が流布し、なんとなく『夜想』と幻想の場を分かつことになり、澁澤龍彦も種村季弘も『幻想文学』で、中井英夫は両方で書き…寺山修司、松田修、服部幸雄、郡司正勝、若桑みどり、中野美代子、笠井叡…そんな方々が『夜想』の書き手、登場作家になっていった。幻想文学とは一線を画していた。意識したのではなくなんとなくそうなった。(今、思えば身体を根においているか、文字をベースにしているかの区分けなのかもれいない。それは『迷宮遊覧飛行』を読み終わって思ったことだ。)
 その後、ぼくは雑誌を変えて現代美術にも歌舞伎にも踏み込み、ゆるゆると幻想文学から遠のいていった。『幻想文学』が再発見した山尾悠子をまったく読まないまま、つい最近まで来た。自分にとっては、さほどの不思議ではない。

 読んでこなかったものは、分からない。もちろん分かるが小説読みの必須ではないし、むしろ分かろうとして読む粗相をしてしまうことも多い。さらに山尾悠子に[分かろうとする]をもって読むのは無駄なことだと思う。
 『迷宮遊覧飛行』で、小説出来の履歴を読んで、こうなっているのか…は、少し摑めたが、では、滲みるように身体に入ってくるかどうかというと、自分の場合、そんなに簡単ではないような気がする。『迷宮遊覧飛行』にでてくる読書履歴を——ほぼ一冊も読んでいない。少なくとも山尾悠子が執筆に関してあげた本を読んでいない。ということは、人間の体質がだいぶに異っているのだろうし、山尾悠子の小説が入ってこないというのも普通のことだろう。
 
さて。
 山尾悠子をぼくに寄せてきたのは、人形作家の中川多理だ。山尾悠子の作品からイメージした作品をつくりたい。ついては、その許可の取持を頼まれ、早速に、『幻想文学』の東雅夫に頼み、しばしの時間をおいて、それは実現することになった。最初は、中川多理の「小鳥たち」をフライングさせたことによる。それから『小鳥たち』『夢の棲む街』とコラボレーションが続いた。二冊の本と数多の展覧会の間に、様々なことが起きて面白かったりもやもやしたりもしたが、それはまた語る別の機会もあろう。
 『迷宮遊覧飛行』に話を戻そう。
 序の最初に挙げられている『タタール人の砂漠』の著者・ブッツアーティは、イタリア・ネオ・リアリスモの隆盛が収まった後、評価された作家だ。あるイメージからインスピレーションを得て、何枚のタブローをつなぎ合わせながら物語を作る——作家と評されている。
 読書で一行を見つければ短篇が書けると公言している日本の超有名作家もいる。彼も若い時に、小説の書き方を身につけた。作品には有名作品の言葉が引かれている。山尾悠子は、どういう引き込みかたをしているのだろう…。ボクにはそこまでは分からない。ボクは現実と身体とオブジェを見つめて生きてきたから。それを分かる資質をもっていない。もちろん知ろうとする興味もない。
 『迷宮遊覧飛行』に載っている執筆に関連しての読書、その本は虚構性の高い、所謂リアリズムから離れた小説、作品がほとんどだ。『夜想』が取り上げてきた小説が、『幻想文学』とほぼ重なりを見せないのと同じ、いやそれ以上に『夜想』と無縁の読書歴だ。さて『夜想』にあって、山尾作品にないのは、官能、性…これは山尾本人がこの本でそう語っている。あと、想像してあげつらうと、身体、屍体、エロス、耽美…そしてもしかしたら少女。もちろん男も出てこない。ハゲデブ的な嫌われ男。でるとしたら否定されるために登場する、そして嚆矢なのが人形。
 だから『迷宮遊覧飛行』に中川多理という文字はない。作品もない。人形もない。少女も、セクシャルもない。もちろん暴力的なパワーも、それを受ける被虐もない。納得もいくし腑にもしっかり落ちる。なるほどね。もやもやは霧散する。藝術の理が通ったら、それが一番。

 山尾悠子が人形を書くときは…このように書く。

 黒い背景から浮きあがった人形の映像——夜の鳥の眼のようなガラス質の眼を、刺客とでも向きあっているような無表情さで見ひらいている西洋人形の、その少女写真を眺めるうちに浮かんだ私の妄想なのだが。——
 と、こんな感じに表現される。つまり平面におとしこまれた映像としての人形、少女…そこから山尾悠子は、妄想も仮想も生むことができる。立体も本物も必要ないのだ。むしろあっちゃいけない。

 オブジェ性も高く、人形として言葉にしようもない不可思議なイマージュを発光させながら、なおかつコンセプトを胎動させている——中川多理の人形は、なかなか二次元におとしこむことは難しい。ゆえに山尾悠子の架空世界には棲み難い。
仮に入れるのだとすればどうすれば良いのか。

 意味と身体性を兌換して架空の塔を建築する煉瓦の一つにすればよい。それが作品を作る言葉になる。

 『新編夢の棲む街』の後記にもある。
〈巨大に肥満膨張した下半身+完全に干乾びて小さく縮んだ上半身〉~「SFマガジン」初出時の中村銀子氏イラスト・扉絵として描かれた〈薔薇色の脚〉がこの最終形の姿だったのだ。何とかこの姿の造形も是非と多理さんにお願いしてみたのだったが——
 コラボレーションするときの創作人形作家の[人形化へ向けての読み取り]こそが創作人形の[創作]たる由縁であることは、対談の中で伝えてもあるのだから、それを越えて、平面のイラストレーションを、これを最終形だからと伝えて、そしてそのことを後記に書くのだから…。
 もやもやが起きた、その当初は。しかし『迷宮遊覧飛行』を読んで、霧散した。現実に存在する人形の身体やその創作性のもつエロスや被虐から一気に聖なるものに転換するダイナミズムは、山尾悠子の小説に必要のない、入り得ないものなのだ。山尾悠子の作品成立に人形はいらない。『迷宮遊覧飛行』は、作品生成に関係する読書遍歴だから、中川多理はでてこない。きちんと納得できる編集だ。作家の矜持が見てとれる。

ところが人形——は… 電子幽霊(SNSに生起した)にも掠め取られず…

 ところが創作人形は、その創作性の強さ、オリジナリティの高さによって、意外にも根底から掠め取らることはないのだということに気がついた。
 SNSに生起する電子幽霊(ゴースト)は、繁殖するために、ひとつのオリジンを必要とする。あとは劣化、劣悪化しながら勝手に増殖していく。しかしオリジンの位置にあるものは消去し切れない。しきれないことで逆に、魅力も執着性も発揮する。人形は昔云われていたような霊力をもっていないが、今だからこその[魔]も[ひとがた]も保有している。

 創作人形大好きな押井守、その『イノセンス』の中で、アニメに落とし込んだはずのシモンドールが、四谷シモンのアイデンティーテーを強烈に発揮し、吉田良の人形が球体関節をくねくねとさせているのを見た時に、創作人形の不可侵性をつくづく思い知った。『夜想』2号の付録作品、土井典の人形を押井は映画を作る際に、強烈に希求したと伝えられるが、だからと云って、『イノセンス』が創作人形を使いこなしたともリスペクトした表現になっているとはとても言えない。作家が好きだったり執着したりすることと、その作家が表現するものの中で、それが[生きる]かということはまた別の問題であるし、むしろ離反することが多い。創作人形は魔を含もうとして作られたものではないが、不可思議以上の怖いなにかを胎蔵してしまうこともまた確かなことである。

 中川多理の人形を文字にする不可能性を、あっさりと実現する作家はもちろんいる。耽美にセクシャルにフリークスを厭わない、いや厭わないのではなくその肉体に触れ込みたい作家。異形の愛も少年の愛も物語の中で、メジャーエンターテイメントの中で描ききる。もちろんその作家の名前も『迷宮遊覧飛行』に出てこない、中川多理と同様に。
 必要のないものを載せず、作家の姿勢をきちんと通すように、編集する。それは当然のことで、それが作家と編集者の矜持というものだ。小説の体質として、小説家の嗜好として鋳れてこなかった[もの]を載せてはいけない。この『迷宮湯遊覧飛行』は、統一がとれてすっきりしている。それ故に、僕は山尾悠子小説の読みかたを手に入れることができた。山尾悠子の世界をより愉しむことができる。

コーダ。幻想の彼方

 さらに山尾悠子世界を思う時——『文学界』の[幻想の短歌]特集で、若手の歌人たちが幻想を語って、身体から距離のあるもの…と定義したときに、自分の生き様的には異和感をもちながら…現在の[幻想]表現は身体をより剥奪した架空に存在するものだと気がついた。現実からも遥かに遠く、そこに幻想世界がある。そういう感覚なのだろう。だからこそ山尾悠子は、今、そうした感覚をもつ若い人の支持もあつめて勢力をもって復活している。
 二十歳の作は、いま、瑞々しく受け止められ、共感されているのだ。身体をもって(オブジェも人形も)立ち上げる幻想は、かつてもそうだったのかもしれないが、超少数派だったのだ。今は絶滅危惧種なのだろうか?たぶんそうなのだと思う。

 ぼくは、現実世界で、身体表現やオブジェや人形をリアルに見ることで幻想を体験してきた。文学の愛好者でもその世界に居るわけでもない。文字の中で何かを表現するわけでもない。だから——おそらくこのままの姿勢で滅んでいくのだろう。『迷宮遊覧飛行』がぼくにそれを宣告しているように思える。

『薔薇色の脚』中川多理人形作品展
https://note.com/pkonno/n/n753b65fde619
『迷宮遊覧飛行』を読む限り、山尾悠子は、読書と執筆は重なり縺れて密着している。

#わたしの本棚
 書下ろしの序は、潔いほどに自作を腑分けする。書くように読んできた、その読み手を見せれば、それはすなわち山尾悠子の書き手の様子をあからさまにすることになる。山尾悠子の書くようにを司どる作品の数々との出会い…それが初期からの自作解説へと連なっていく。何を書いたかではなく、どう書いたかが山尾悠子作品なのだと、念を押す構成。


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