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食べる事は幸せで、特別な事なんだって改めて気づいた【20代OLが「ようこそポルトガル食堂へ」を読んで思ったこと】

先日Twitterで誰かがつぶやいていた。
(記憶に基づくものなので、完全に正確ではありません)
「私達に必要なのはDHAであって、魚ではない。
私達に必要なのはタンパク質であって、鶏肉ではない。
私達に必要なのはカルシウムであって、牛乳ではない。
・・・
私達はそれらを皆、今やサプリメントや健康補助食品で補える。
動物をこれ以上私達の生命維持のために殺すべきではない。」

このツイートに激しく同意すると共に、ひそかに疑問を覚えた。
私も昨今唱えられているヴィーガン精神には心から賛同し、出来る限りのゼロウェイストを実践しつつ、なるべく食肉を避けるようにしている。
しかしながら、人間は完全に食肉を避けて生きていけるのだろうか?という大きな疑問が残るのであった。
私が母からずっと言われてきたことではあるが、
「食べ物があなたを作るのよ。適当なものを食べていたら、性格も悪くなって、顔もかわいくなくなっちゃうよ(母的視点のかわいい私に向けた発言です、お母さんありがとう)」
この言葉通りだと私も本当に思うし、お肉やお魚が我々の体にもたらしてくれる効果は計り知れない。
たしかに冒頭で紹介したツイートは的を得ているし、心のこもったツイートだと思うから賛同したいし、私も必要以上の食肉は避けるべきだと声を大にして言いたい。
ただ、お肉やお魚が我々に与えてくれるのは、単なる栄養価だけではなく、なにか言葉で言い表せない幸せの要素が含まれていると私は思うのである。


はい、今回も前置きがクソ長ですみませんでした。
(やめられない止まらない○っぱえびせんということで・・・黙ります)
先日、素敵な本を読んだので語らせていただきたい!
「ようこそポルトガル食堂へ」(馬田草織著)である。
(著者の方のお名前、「さおり」さんと読むらしいのですが、素敵なお名前ですよね…草を織る…若草物語みたい)
読めば読むほど「ぐ…!な、なんてワイルドなんだポルトガル料理…!」と思わされる料理の数々に、よだれたらりなものもあれば、え…こんなところまで食べるの?と、ちょっとうっとなってしまうようなものまで、日本の食文化とはかけ離れた内容が面白い。
例えば、「アローシュ・デ・ランプレイア」(ヤツメウナギのリゾット)なのだが、とれたてのヤツメウナギ(いやそもそもヤツメウナギって何?)をぶつ切にして、血(!?)と米、赤ワインと一緒にドロドロに煮込むリゾット風のメニュー。
もう、すごくないですか?
たくましさムンムンのこの料理。
血まで食べてしまうらしく、どんなお味なのか気になるような恐ろしいような…
というか、ポルトガル人はよく血を食べる!
(多分「アローシュ・デ」という名前が来たら血の料理だと思います)
他にも「アローシュ・デ・カビデラ」(鶏の血のリゾット)(待ってくれよ、リゾットって、チーズとか牛乳でコトコト煮た白くて優しい食べ物じゃなかったっけ…?)、「パシュコア(キリスト復活祭)で食べる子羊の丸焼き」(絶対子羊じゃなきゃダメらしい。子羊はくさみがなくてやわらか…いや、分かるんだけど、もう、ダメ…力抜けちゃう(サバイバル生活で一番最初に死ぬ自信あります)、「パッパシュ・ドーセシュ・デ・ポルコ」(豚の血入り蒸し菓子)(スイーツにまで血!!??!なぜに!!?!??)などなど…。
とにかく血、臓物、なんでも食べる!食べ尽くす!
自分で食べる食材は自分で調達!庭で買っている鶏も、食べるために自分で絞める!(ぐぇぇ)
たくましく食材を調達し、手間をかけて料理を作り、もりもり食べまくる元気あふれる国!それがポルトガル!
本書を読んでポルトガルという国にはそのようなイメージを持った。

もちろんその地域地域で臓物を好んで食べたり食べなかったりとかそういう事情はあると思うのだが、全体的によく食べそのメニューはとてもたくましい!
(そしてすごくおいしそう…血のお料理は勇気いるけど…)
本書を読んでいると、ヴィーガンのヴィの字も無くて逆に新しさを感じてしまう。
ただ、ふと気づいたことがある。
そもそも、「食」ってめちゃくちゃ楽しい事ではないか。
小さい頃、お母さんが作ってくれたハンバーグ…お父さんが作ってくれた餃子…どれもたまらなく美味しく(限り無く食べる姿を両親が喜んでくれていたので素直に受け取って食べまくっていたら肥満になりました)、晩ごはんの時間はとても楽しかった。
(なぜかうちでは夜ご飯の時間に音楽(なんか給食の時間にかかってそうな有名なクラシックなど)をかける習慣があって、子供のリクエストが通りやすかったので、年がら年中クリスマスの曲がかかっていたような気がします。子育てって大変ですね)
そう、食って楽しいのだ。
食について、昨今様々な視点から色んな考え方が散らばっていて、自分はヴィーガン、自分はペスカトリアン、いやいや自分はお肉ももりもり食べるぜ…など、色んなチョイスが出来るし、自らの意見を持って、チョイスしていく必要があると思う。
でも、食を通して自身の姿勢を表現するという昨今の風潮に飲み込まれすぎて、ついつい食自体を楽しむ事を忘れてしまってはいないだろうか。
(私は時々忘れます。ダイエットや菜食を休憩して、たまに好きなものを食べると、「ぬ!?!?!?こ…これは…うまい…ゴクリ…ご飯ってこんなに美味しかったっけ…」となったりします。もうちょっとダイエットや菜食を楽しめるような工夫が必要ということですね)


ヴィーガンだろうが、お肉だろうが、ごはんを食べるって楽しくて、忘れがちだけど特別なことのだ。
私は今、環境保全に非常に興味があるし、ヴィーガンの精神に心から賛同出来るからこそ、子供の頃から私に、科学的に解明されている栄養価だけでなく、喜びや幸せを与えてくれる「食べる」という行為をもう一度考え直し、より一層大切にしていきたいと思うのである。

本書に登場する伝統的なポルトガル料理も、地元の人が丹精込めて、暮らしの中で守ったり、進化させながら大切にされてきた文化そのものだ。
昨今のヴィーガンブームで、もしそれが無くなってしまうのだとしたら、とても悲しいし、ナンセンスだ。
ヴィーガンやエコの精神は、我々の選択肢を狭めるものではなくて、むしろ選択の幅を、食の可能性を広げるものだと思う。
ヴィーガンと、伝統が共存して、環境保全の面でも、文化保護の面でも、我々人間が柔軟に食をさらに楽しめる時代にもう、入っているのだと考えると、なんだかワクワクする。
私もいつか、血の料理食べてみたい。
(ちょっと怖いけど)

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