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私が思う、自分の「好き」を見つけて才能を発揮させまくって夢を叶える方法(前編)

才能という言葉があんまり好きでは無いです。
今までの世界(あくまで私の生誕以降の世界ですが)って、
「才能のある人 と 才能がない人」
に分けられていたような気がするんですよね。
例えば、芸能人と一般人、俳優と映画の観客、画家と凡人、とか、(そもそも凡人って何)なんだろう、特別な人と特別じゃない人に分けられていたと思うんです。
だから、何かを諦める時に「俺には才能がないから」というのがお決まりのセリフになると思うんですが、
そもそも才能ってなんやねん!!!!
(すみません、関東人なのに関西弁を使ったので関西の方にボコボコにされる覚悟を決めます)
今では簡単に誰もがクリエイターになってYouTubeとかInstagramとかTwitterとかで活躍しているので、才能のある人と無い人に二分化されていた世界は終焉を迎えたぜーと思っているのですが、
そもそも才能ってなんなん、才能があるとどういいの?才能をどう活かしたらいいの?と思いませんか?
(私は思いますキリッ)


みんなの才能研究所(みんラボ)というPodcastで、才能を「ついついやってしまいがちなこと」と定義していました。

才能というものが、みんラボの方々の言う通り、
「努力せず、ついついやってしまう性質のようなもの」であるならば、
才能は誰もがそれぞれ持ち合わせていて、無意識に発動させている、ということになりますよね。
つまり、この世に「才能のある人と無い人」という構図は存在しないということになりますよね!
(ヤッターぶち上げ↑↑)
じゃあ誰もが才能溢れる特別人だとしたら、それを活かせてる人とそうで無い人ってどう違うんでしょうか。


ここからはみんラボから離れて私の持論になります。
(みんラボはめっちゃ面白いので是非聴いてみて下さい!とても分かり易く、面白いです。)
そもそも、才能を活かせてるから必ず幸せ、活かせて無いから必ず不幸、とかそんなことは無いと思います。
でも、才能を活かせていると感じている人は幸せそうだなあという印象があります、というか、
自分の「好き」とか「やってみたい」みたいな素直な欲求に対して才能を発揮出来たら人って幸せを感じるのではないかなあみつをと思うのです。


じゃあ、自分の「好き」とか「やりたい」ことってどうやって見つけるの?
という疑問が生まれると思うのですが、それはまさしく
自分の声を聞く力をつけること、自分軸を鍛えること
が鍵になってくるんじゃないかな(あみつを)、と思うのです。
自分の「好き」とか「やりたい」みたいな感情って、きちんと自分の声に耳を澄まさないとすぐ消えていってしまうものだと思うんです。
だから、「あ、食べるの好き!」とか「あ、山登り好き!」とか「あ!人の話聞くの好き!」とかそういう尊い気づきを大切にしていく訓練が必要なんじゃないでしょうか。
本当に、なんでもいいんです。
私の好きなことは
旅に出ること、西日本に住むこと(関東を出てからまじで西日本に夢中になりました)、ゲームすること、本を読むこと、お笑いを見ること、絵を描くこと、人と話すこと(コミュ障なのに)、映画を見ること、山に入って迷子だもうお家に帰れないかもとビビること…(あとはちょっとここに書けないようなあれこれ…)
のように、何?転職先で自己紹介すんの?みたいな内容が並んでしまいました。

こんな具合に(ゆるすぎおつ)自分の「好き」が分かったら、もう簡単じゃ無いですかね。
ただそれをやるだけです。
(ちょ…すみません暴力はやめましょう)
それをやる過程で才能なんていくらでも発揮出来る、って思います。
例えば、「コツコツ取り組む」才能がある人で、ゲームが好きな人だったら、ガンシューティングとかの練習めっちゃコツコツ取り組んで、気づいたらオンラインで名だたるユーザーになってるかもしれません。
そしたら気づくはずです。
「あれ?俺ってコツコツやる天才じゃね?」みたいな具合に。
そしてそれをきっかけにゲーム配信者になって、「あの人はゲームの才能がある特別な人だ」って言われるかもしれません。


ここで、一回考えてみてほしいんです。
「あの人はゲームの才能がある特別な人だ」って言われたら、
「いや、ゲームの才能があるんじゃなくて、コツコツ取り組む才能があって、それを自分の「好き」なゲームに活かしたら上手くいったんだよ」
って具合に、才能がある人だ!っていう褒め言葉がいかに抽象的かが明確になりますよね。

自分は何が「好き」で何を「ついついやってしまう」のか
を明確にして、「好き」と「ついついやってしまう」を組み合わせることが、もしかしたら夢や目標を叶える方法になるのでは?と私は考えます。
「好き」さえあれば、もしかしたら自分の才能なんて気づけなくてもいいかもしれません。
私の大好きなSteve Lacyは(まだ20歳そこらの青年ですよ!)iPhoneひとつで素晴らしい楽曲を作りまくって世界的に有名になりましたし、(私のだいだいだいすきなthe internetというバンドのギタリストです)
もう「好き」を大切にすることこそが、夢を叶える大きな要素だと言えるんじゃないでしょうか。
(もちろん有名になることや評価されることだけが素晴らしい、と言っているわけではありません。彼の場合は自分の「好き」でビジネスチャンスを得たり、素敵な出会いや成長の機会を得た、という自信のステップアップにつがったことが素晴らしいと思います)

でも、同時にすごくすごくすごーーーーーーーく思うことがあるんです。
自分の「好き」を「好きのままでいる」ことって、努力が必要だって思うんです。
どんなに好きなものでも、
いくらでも自分自身の手で「好き」を壊すことは可能だし、
むしろぶっ壊して台無しにしがちなものだって思うんです。
(例えばイクラ好きすぎるから今日から1ヶ月イクラしか食わないぞ!なんてことしたら…ああ…そもそも私はイクラが苦手…)
…あの、ちょっと続きを書きたいんですけど、文字量半端なくて読むのだるい(もう思ってるとか言わない!)と思われちゃったら嫌なので次のnoteにしたためます!
つ、続きます!



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