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だから愛なんて、美しくなんかない。ただただ怖いものだって思う。(「愛が何だ」を観て20代OLが思ったこと)

今更ながら「愛がなんだ」を観た。
成田凌(神。頼むから裸を見せるな)と岸井ゆきの(とてもかわいい)が主演の(恋愛をベースとした)人間ドラマだ。
簡単にあらすじをまとめると、岸井ゆきの演じるテルコは、成田凌演じるマモちゃんに死ぬほどベタ惚れしていて、二人で朝まで呑んだり、セックスしたり、いわゆる普通の仲睦まじいカップルと変わり無いように見えるが、実際どうやってもテルコはマモちゃんの彼女になれない。なぜ?という話。
(なんじゃそりゃ)
マモちゃんは劇的にかっこよすぎてどうしようもないチャラ男というわけではなく、普通のどこにでもいる(という設定の)特に秀でた部分のない(という設定の)男だ。(成田凌がそんな男を演じるな〜〜)
テルコはどうしようもなくマモちゃんを好きなのに(執着しているのに)、マモちゃんに拒絶され、マモちゃんの片思い相手を紹介され、片思い相手に振り向いてもらえない寂しさからマモちゃんがテルコにセックスを求めても喜んで受け入れてしまう、ちょっと常軌を逸してるんじゃねえか大丈夫か?というような女の子だ。


と、言うのが多分、大人の男性が書くレビューだと思う。
(偏見です、ごめんなさい。私の偏見です!!)
テルコとまさに同年代のアラサーOLであるワイには共感出来るところが多すぎまん!だった。(何)
わかる。
好きになっても自分が破滅していくだけだと知っていても、どうしようもなく執着して、男に栄養を与えるだけ与えて、自分はすっからかんになってゆく。愛情を持った人間は、愛情に呪われるのだ。(同じような話を過去noteに書いたと思う)
だけどテルコは脱出しようだなんて全く思っていない。
一途に一生思い(執着し)続けていくつもりだ。
ゾウにバナナをあげて、拒否されてりんごをあげたら食べて…そんな風に機械のように永遠に巨大なゾウに至れり尽くせり餌を与え続けるのがこの映画の伝えたい事の象徴的なシーンだと思う。
分かっていてもやめられない。
テルコは愛情に見せかけた恐ろしいほどの執着心でマモちゃんというゾウに餌を与え続け、ますます巨大化させていくのだ。
そんなの見てられないよ、そんなことやめたらいいじゃん、と思うかもしれない。
でも、恋に落ちると頭がどうにもおかしくなってしまう。
それが愛に変わっていくとなおさらだ。
愛って美しいとか素晴らしいとか言われるけど、本当なの?って思う。
愛ってただひたすらに恐ろしい。
愛してしまったら最後、沈んで、沈んで、息継ぎしようと顔を上げても、頭からまた底の方に押し込まれて、息が出来なくて苦しくて、最終的に溺れて何かにすがるしかないのだ。


だから愛って、美しくなんかない。ただただ怖いものだって思う。


いや、あくまで私はそう思う。
この映画でも、テルコを恐ろしい化け物にして、マモちゃんを残酷なモンスターに仕立て上げた。
愛なんて、破滅の道具だ。

じゃあ、なんで人は愛することをやめないのか?
なんで愛は美しいと思うのか、思いたいのか?
私の見解でしかないけど、愛って快楽なんだと思う。何かを愛する時って、どうしようもなく幸せなんだと思う。幸せ物質脳内ブシャーなんだと思う。
愛情が体内に、脳内に存在している時って、どうしようもないくらい幸せだ。
だが一方で用法容量を守らなければすぐに愛が手のひらを返して私達を深い底なし沼に引きずり込む。
だから愛ってやっぱり怖いのだ。
だからむやみやたらに手を出さない方がいいし、コントロールする能力を身につけるのも、コントロールしながら愛するのも、それはそれで素晴らしい愛だと思うのだ。
テルコと同じように、相手に何から何まで尽くして、自分がすっからかんどころか飢えて、もうこれ以上自分として生きていけないという究極の時点で愛することをやめた男の子が出てくる(名前忘れちゃった)
彼は自分が限界を迎えて、自分と、愛する人のモンスター化を、愛することをやめることで止めた。
それも愛の形だと、本当にそう思う。
自分も、相手も、モンスターにしないように、愛をコントロール出来るようになりたい。
良き大人でありたいから。

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