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全ての女性が幸せであるために(20代OLが「ケイト・レディは負け犬じゃない」を読んで思ったこと)

ちょっとこの本は全女性に読んで欲しい。
(突然)
仕事、育児、夫婦関係…多くの女性が直面するであろう困難を、主人公のイギリス人女性、ケイトがどのように対処していくのかを、そして最終的に何を選び取るのかを描いた一冊である。
(サラ・ジェシカ・パーカー主演で映画化もされていますが、原作と内容は大きく異なります…けど、映画も大好きでサラ・ジェシカ・パーカーかわいいいいいいいいいいい)

なにそれ?
SEX AND THE CITYみたいな感じ?
と思ったかもしれない。
いやーちょっと違いますね、(誰だよ)この本はどこまでもリアルなのだ。
SEX AND THE CITYみたいに、ニューヨークとかいう物価高すぎエリアに住んでいながらコラム書いてあんな立派な一人暮らしが出来る、みたいなファンタジーは、描かれない。
(あっすみません、断っておきますが本書はフィクションです)
仕事内での当たり前のような女性差別、追い打ちをかけるように根こそぎ体力と気力を奪い取るような育児、最愛の夫とのすれ違い…
SEX AND THE CITYでは描かれない、リアルな女性の苦悩が痛いくらい生々しく描かれていて、
「わかる〜いやほんとわかる〜(子供いないけど)え?なにこれ私の話?」
というわかりみに浸りすぎて読み終わった瞬間からロス状態である。

舞台は経済の中心地、ロンドン。
主人公のケイトは幼い2児の母であり、ファンドマネージャーとして世界を飛び回るスーパーキャリアウーマンだ。
(これだけで日常の悪夢が思い浮かばれますな…)
ケイトは心の底から仕事と家族を愛しているが、自分のことを考える時間は1秒もなく、子供となかなか会えない毎日の中で、心と体がボロボロになっていくこの生活を続けてよいものかも、多少なりとも疑問を持っている。
そして、自分より稼ぎの少ない夫を心から愛するとともに、多少なりとも不満を持っている。
ケイトの悲しいこのセリフが、彼女の生活と苦悩を表している。

「お湯は出ない。ネズミは出る。家の中がごみ捨て場みたいなのに、掃除をしてくれる人はいない。
わたしは一時間前に寝ていなきゃいけなくて、何がなんでも熱いお湯につかりたくてたまらないのに、それができない。
わたしは神に与えられた時間を全部使って働いてて、しかも中世みたいな不潔さの中で暮らしているのよ。
お風呂に入りたいというのがそれほど贅沢なことかしら?」

ケイトの日常はあまりにも多忙で、(途方にくれるほどの大金を取り扱う責任重大な仕事をしているので、残業は当たり前、息をつく暇すらない感じです…)子供に会えず、ママに会えない不満を深夜に「泣きわめく」という方法でぶちまける子供をなだめるために睡眠もロクに取れない状態。(なにそれ死ぬの?)
当然夫婦関係も冷えていくのを感じている。

「すべては子どもたちのせいだ。
彼はパパであり、わたしはママ、時間があるときにだけ、わたしたちはケイトとリチャードになる。
セックスはいまや行動予定表のずっと下のほうになっている。」
「母親であることが彼女から華を奪い尽くしたことがよくわかる。
二人の息子が、文字どおり、彼女の生血を吸い尽くしたようだ。」


子供を持ったことが無いから分からないので想像でしかないが、このセリフはすごく正直で、リアルだと感じた。
じゃあ子供なんて産むなよ、と思う人も沢山いると思うのだが、最近本当に思うのが、誰もが親1年生で、右も左もわからない、何が起こるのか予想も出来ないので、じゃあ産むなよなんて言葉はあまりに無責任でなんの解決策もない暴言だ。(生んだこと無いけど)
そんな状態で、本音を話すと「頭いっちゃってんじゃねーかてめー」とサイコパス扱いをされる日本では、なかなか正直な意見は出てこない。
(眠れない、人前で恥をかかされる、一日中泣きわめく、汚物を片付けなくちゃならない、一瞬目を離したすきに自殺行為みたいなことするので目を話せない、そんな状況で頭おかしくならずに「子供?すっごいかわいいです」以外の感情が無かったらサイコパスか鋼メンタルか育児を委託出来るセレブだ)
子供にどんどん不満ぶつけよーぜ!とかそういう訳ではなく、親が自分の本音と向き合う時間というのは必要だよな、と心から思うのである。
だから、心の中だけでも、自分の本心から目をそむけないでほしいし、心の中だけでも、我慢しないでほしいなと思った。ケイトのように。(繰り返しますが、ケイトは心から子どもたちを愛しているんです…でも、本音も大切にしているということなのです、ママとしての自分だけでありたくない、というところがポイントだと思います。)

また、ケイトは仕事を通して「自分」を保っている。
でも同時に、仕事をしている最中も子どもたちの事が頭から離れる事はない。
母親業は大変すぎるくらい大変だから、いつの間にか自分のための時間が失われ、自分の日常全てを子供に捧げかねない。
ケイトはそんな状態を恐れて、次のように言う。

「仕事をあきらめるのは、行方不明者になるようなものだと思う。
家庭内行方不明者。
イギリスの郵便局には、自分の子供のなかに埋没して自分をなくし、二度と姿を見せなくなった女たちを探す、行方不明者捜索ポスターがあふれていることだろう。
二人の子供が、自分たちが飛び出してきたわたしのおなかの上で跳ねながら、「あたし」「ぼく」と叫んでいる間中、わたしのなかではわが内なる声が「わたし、わたし、わたし」と繰り返している。」

子供を持つことがこんなに大変なのは、「育児は女が中心で行うもの」という謎の常識が大きな要因になっていると思う。
もし母親なみに育児をしてくれるパートナーがいたら、母親が2人みたいな状態だったら、もっと育児と結婚って、違ってくるんじゃないか。
少なくともこのようなケイトはこんな事言わずに済んだんじゃないか。

「実利的で非情熱的なもの、神がひとつに結び合わせたもうたものを引き離すもの、それが結婚というものなのだろうか。」

前もこちらのコラムで書いたが、育児を母親一人に任せっきりにすると、母親は簡単に死んでしまう。
(文字通り死ぬわけじゃなくとも、「自分」を失い、ケイトが言うように「行方不明者」になってしまうんじゃないかと思います)


私が強く思うのは、育児って本当に大変だということ。
(何度も言うけど生んだことない)
皆当たり前のようにやってるじゃんとか思うかもしれないが、他人のことはなにひとつわからない。
もし分かった気になっているなら、それは自分にとって都合のよい幻想を押し付けているだけにすぎないと思う。
育児はパートナーと協力して行うものであるべきだし、パートナーのいない人は、とにかく自分を大切に積極的に人のおせっかいに甘えるべきだと思う。
(それが出来ない人もいると思います。だからこそ、私のような子供のいない身としては、街で子供を連れているお母さんを見つけたら、自分が出来ることを考えるべきだと思います。子供が泣いていてもジロジロ見ないとか、そういうささいな事でもいいと思います、とにかく皆が積極的にサポートすべきだと多みます。)
子供を産んだことないし、産む予定も無いけれど、同じ女性として、同じ社会に属する者として、私の出来ることであればサポートしたいと思うのだ。
子供を持つことで母親が社会に苦しめられるなんて、悲しすぎる。

そして最後に、ケイトの親友が心の底から賛同したい事を言っていたので、その言葉で締めくくりたい。
全ての女性が自分を見失うことなく、幸せでいるために、どこかのクソバカ野郎に人生を台無しにされないように、次の言葉は本当に勇気づけられるものだ。

「むかしむかし、はるかなお国に、きれいで自立心旺盛で自信にあふれたお姫様がおりました。
お姫様はある日、エコロジー問題を深く考えているときに、一匹のカエルの出会いました。
そのときお姫様がいたのは、お城のそばの緑ゆたかな牧草地にある、汚染されていない池のほとりでした。
カエルはこう言いました。
「優しい姫よ、以前のわたしはハンサムな王子でしたが、魔女に呪いをかけられてこの姿になってしまいました。
けれども、一度だけ姫がくちづけをしてくださるなら、私は元の若くて小粋な王子に戻れるでしょう。
そうすれば私達は結婚して、あのお城に家庭を築く事が出来るのです。
そこで姫は私のために食事をつくり、
私の着るものを洗い、
私の子供をもうけ、
そしてそれを末永く感謝し、幸せを感じるでしょう。」
その夜、軽くソテーしたカエルの脚を食べながら、お姫様はひとり含み笑いをして思いました。
わたしはそんなことで幸せなんか感じるもんか。


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