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他人と居心地のよい関係を築ける大人になりたい【山本文緒「日々是作文」】

人はひとりでは生きていけないくせに、人と生きていくのは難しい。
(え?私だけかや?)
人と関わって生きていくのが面倒になって、人を遠ざけることがあったとしても、完全には遮断出来ないのではないかと思う。
でもしばらくするとやっぱり誰かに関わりたくなって、また面倒になってくる、お前が一番めんどくせえわ!というのが人間なのかなと思う。
(え?私だけかや?)

山本文緒さんのエッセイ集、「日々是作文」を読んでとても思ったのが、
人と生きていくってまじでめんどくせ〜〜〜!!
でも
人と生きていくってめっちゃおもしれ〜〜〜〜!!
ということだ。
(どっちや)
恋をすりゃ苦しいし、久々に学生時代の友人とお茶することになったら些細なことでまた疎遠になって気まずくなるし、大人になっても親とは衝突するし、何かと色々めんどくさい。
でも、山本さんの人間関係の中に、いろんな人のいろんな生活感のあるリアルな感情が散らばっていて、そのリアルな感情こそが宝物であり、その宝物を他人とどう大切にしていくのが良いかが、このエッセイにしたためられていたと思う。

例えば年下の友達がはちゃめちゃに悲しんでいたらどうするのが一番良いのだろう。
年下なので、「あ〜ワイも同じようなことがあってな」みたいな勝手に100万年の思い出大公開(大迷惑)みたいな対応をぶつけてしまいがちな気がする。
勝手に他人の気持ちを踏みにじって、「それ私も経験したけど大したことじゃないよ」みたいなことを言ってしまいがちな気がする。
相談してくれた人からしたら死ねやババア(おっと)以外の感情が消滅するかと思うが、他人の気持ちはどれだけ生きようとも一生分からないものだと思う。
理解するのは無理だと分かった上で、その痛みを分かろうと努力する、そして自分も一緒に痛みたい。
無意味だけど、最高に温かい愛情表現が、人間臭くて不器用で非生産的だけど、それが出来るのは多分人間だからだし、それが人間の精一杯だと思う。
山本さんがまさにそうで、ああ、私もこれから素直にこう思ったらいいのだ、とすとんと落ちた。
(以下、山本さんが一回り下の大学生の女友達(冷静にどうやって知り合ったんですか羨ましい)が失恋して死にそうになっている絶体絶命の境地に向き合っている記述を引用しています)

だから、泣きながら電話をしてきた彼女の気持ちが、私にはとてもよく分かる。
「彼」を失ってしまったら、もう手元には何も残らないのだ。
楽しくて安定していたはずの毎日が、たった一本のつっかえ棒によって支えられていたことに、初めて気がつくのだ。
安定なんて気のせいなのだ。
それは相手の気持ちひとつでガラガラと崩れる、まったく不安定な楽しさだったのだ。
これが大人ならば「仕事」という逃げ道がある。
あるいは「趣味」という逃げ道がある。
(中略)
大人になるということは、逃げ道、あるいは何本もつっかえ棒を作ることなのだろう。
大学生の失恋は、社会人の失恋よりも打撃が大きいかもしれない。
”他にしなければならないこと”によって傷が治る時間を稼ぐことが出来ないのだ。
可哀想に。
痛いだろうね。
びっくりしただろうね。
どうやって明日から生きていったらいいか分からないだろうね。


例えば、自立について考えたとき。
誰かを幸せにしたい、という傲慢さや、ずっと一緒にいたい、と思う身勝手さは、いきすぎるといつの間にか依存になる。
困った時に助け合いたい、と願う心も、いつの間にか相手にとっては迷惑になっているかもしれない。
人はひとりでは生きてはいけない、でも、自分のせいで相手を傷つけたくない、両方の気持ちに板挟みにされると、どうしたら自分も他人も満足した自立が成立するのだろう。
山本さんの出した回答が私には最高に心地よかった。
私は初めて、納得出来る自立の意味を知ったし、この納得はずっとこれからも私に寄り添ってくれるだろうと思った。
(下記引用となります)

大人になって自立をする、ということは、一人きりで甘えずに生きていくことでは決してない。
自立とは、自分に心地よい人間関係を、他人とも、歳をとって昔とは違ってしまった親兄弟とも、築くことなのかもしれないと最近思うようになった。


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