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誰かを嫌えるということは今日までよく傷つき、よく学び、健やかに生きて来た勲章だと思う。

最近よくない生活しています。
スプラトゥーンハマりすぎて全然他のことに手がつかない。やばい、おもろすぎる。
(やってる人!いますか?おもろすぎませんか?)
ということで、今物理的にスプラトゥーンと距離を取るべく、近くのカフェに逃げて来ました笑
私の場合、好きなものへの興味を削ぐ方法は体調を壊すことです。
体調を壊すまでそれをやり続けると一気にシラケられるのですが、いい感じに体調崩れず困っています。
(ゲームの場合は数日続けて完徹してれば具合悪くなるのでおすすめです)
昔からこうなのですが、昔はここまでじゃなかった。
親の目があったのも一つでしょうが、それよりなにより今のゲームはやり込み要素が多すぎる。
アップデートは入るわ、オンラインだから決まりきった攻略法が無いんですよね、皆さんは夢中なものとどうやって距離を取っていますか?(やつれた目)


さて、嫌いな人や嫌いなものがある、ってことについて書きたいと思います。
(そうですか)
結論(早速)嫌いな人やものがある、って自覚していることは素晴らしいことですね、と私は思います。
いや私は幼い頃(幼稚園生とかの頃)、母親に「博愛主義者」って言われてたんですよ。(お母さん酷だな)
人を嫌う気持ちが分からないし、そもそも自分以外のことにそんなに興味が無かったんですね。
もちろん、ちゃんと私も人を嫌うきっかけみたいなのは経験してきました。
意地悪をされたり、自分の大好きな友達が意図的に傷つけられたり、理不尽をふっかけられたり…人並みに変なやつには出会って来たんだと思います。
(あんま覚えてないけど)
でも、嫌うってほどの人はいなかった。
でも、それを母親にはずっと「博愛主義者」って言われてたんですよね。
別にそれは違うと思うけど、まあいいやと思っていた中、私は大学生になりました。
私の大学には、(まあどこの大学にもいるだろうけど)まじで今までやりたいことが叶わなかった経験をしてない金持ちがめっちゃいっぱいいたんですよね。
幼稚園に入った時点でほぼ安泰な学生生活が決まってるから(大学までエスカレーターなので)、人を悪く言わないし、他人が怖くないって人が多かった。
やりたいことはなんでもしてきたし、欲しいものはなんでも持ってたから、常にメンタルが安定しているというか。
人と争ったり蹴落としたりが無いからなのか、「この世には結局いい人しかいないと思う」とか「本当に人に恵まれて来たから、誰とでも仲良くなれる気がする。悪い人ってほんとに存在するの?」みたいな人が多かった。
当時の私はそれが心底羨ましかったし、すんげえ都会的に見えた。
やっぱり子供ながらに、人のことをどうこう言う人は卑しく見えたし、悪口を言ってる子は程度が低いんだよと思っていたから。
やっぱり、世界って素晴らしいものだよね!素敵だよね!人って、本当は皆いい人なんだよね!ああなんて素晴らしいんだ!
って、その金持ちの子たちと一緒になって、思っていました。

そんな風にして私には「嫌いな人なんていない」スタンスがかっこいい期がやってきます。
でも、自分が傷ついたとか、あの人のああいう発言は受け付けないとか、そういう不快感から目を逸らしてたらそれこそ学びも進歩も無いということを、20代で学びました。
嫌い、みたいな拒否反応が出てるんだったら、それが自分にとっての自分専用の危険信号なわけだから、
自分がそうならないように、近づかないように、と対策できるわけです。
それなのに、「この世にはいい人しかいない」なんて思考停止状態になっていたら、根こそぎボコボコにされちゃうと思います。
人は分かり合えないので、「ここまでだったら傷つかないだろう」という無限の塩梅で傷付けられますし、搾取されるでしょう。

人を嫌っちゃダメよ、悪く言っちゃダメよ、と親や先生や世間は言うかもしれません。
言ってもカロリーが無駄なだけだとは思いますが、思った方がいい、と今の私は思います。
「これが嫌だ」とか「誰々が嫌い」とか思うことは、自分を守るために、自分の「好き」や「居心地がいい」を確保するために必要不可欠だと思います。
だって、何が自分を傷つけるのか、危険に晒すのかを知らなければ、自分で身を守ることは出来ません。
人類が皆最高で素敵だったら、なぜ戦争は起こり、親が子供を殺し、子供が親を騙し、女性が性被害に遭うんでしょうか?
この世に嘘がなく、全員が誠実だったら、なぜ当たり前のように不倫する人がいて、永遠の愛を誓ったくせに破って、また再婚する時に永遠の愛を誓うとかいうギャグが出来るのでしょうか?(最初から誓わなければいいのに)
この世はある意味地獄です。
(悲観的な意味では無いのですがもう2000字を超えているのでここでは弁解を書けませんすみません!!)
だから、自分の「好き」や「居心地がいい」を見つけて生き抜く武器が必要なのです。
その武器は知識です。
その武器を手に入れる方法は学びと経験です。

「これが嫌」「あれが嫌」という感覚は、自分で自分を守るための自分マニュアル、自ら経験して得た知識です。
誰かを嫌うこと(もちろんあなたが私を嫌うことも)は恥ずかしいことではありません。
むしろその嫌悪感はあなたの武器となってあなたを守ってくれる、と私は思います。
そして万物は常に変化し続けるので、今嫌いと思っていても時が経てば好きになる時もくるかもしれません。
その時柔軟に前言撤回できる私でいられたらいいなと思う次第です。

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