「優しい」意味の掛け違い、適切さのズレとは

 こんにちは!赤ちゃんの寝返り・ズリバイ等の行動発達を支援しています。赤ちゃんへの触れ方、動きやすさや動き方を支援しているのですが、「赤ちゃんだから優しく」の優しい意味のかけ違いって結構あるのです。(自己紹介はココ)


自分が思う適量と、人が思う適量は違う。




 まさにこの言葉で尽きるところですが、赤ちゃんであっても、赤ちゃんでなくても、人と人。自分が欲しい量・欲しい匙加減をもらえると、うれしいし、優しいなと感じることです。



 それは対等な人通しだと成り立ちやすいのです。ところが、相手が「かよわいものである」と自覚している時こそ、遠慮しがちになり、思った以上に適量を減らしてしまうことがあります。そこで、適量かどうか確かめもせず、これぐらいだろうという「思い込み」によって、優しくしているのに拒否されるといった掛け違いが生まれ始めます。



 ひとこと「確認しながら行えばいい」です



 これだけのことなのに、やってはいけない、やりすぎてはいけないと、そもそも、やりすぎるつもりもないのに控えめにすることで、効果的な援助ができずに空回りするのです。人と人とのコミュニケーションにおいては、遠慮することもあるかもしれませんが、少なくとも親子の間で遠慮を平常にしてしまうと、我が子なのにわからない、そこに行きついてしまうのです。



 我が子だから遠慮せず、確認していく



 パートナーさんだって、遠慮せず、確認していく



 ちょうどいい「優しい」を手に入れると、お互いがハッピーになりますよね


▼ぴよままオカンが運営するレッスンでは雑談が面白い。こんな話もサクッと聞けたりします。


赤ちゃんの行動発達を学ぶベビータッチはココ



 当方の得意は、個別性対応できることです。うつ伏せ苦手、寝返り、ズリバイなど赤ちゃんの動作を支援しています。赤ちゃんの行動を読み解くと、今赤ちゃんが困っていること、克服していきたいことなど目標が見えてきます。赤ちゃんの仕草がみえてくることで、子育ての細やかな視点を学ばれる方が多いですよ。 



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