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何者でもなかった私

ひどく疲れていた。

まだ慣れないテレワークの後、どうにも目の焦点が合わない。パソコンの画面よりも遠くを見たい。息を吸いたい。そんな気持ちで、ふらりと家を出た。

八月の残り香が寂しい、ひとりきりの夕暮れ。ふと、幼稚園、小学校と通った脇道へと、足を向ける。
青々と茂る緑の中から、虫の声が聞こえる。遠くからはかすかに鳥の歌。昼間とは打って変わった、静かで、ひんやりとした風が髪を揺らす。

雑草の生い茂る遊歩道を進み、坂をひたすらにくだれば、懐かしい母校。脇を流れる川を上流に向かってもう少し行けば、記憶も遠い幼稚園。
いつの間にか、園庭は砂ではなく芝生に覆われていて、園舎の壁も白からピンクに塗り替えられていて。それでも、私の遊んでいた滑り台や、どきどきしながら渡った太鼓橋はそのまま残っている。
周囲を囲むのは、子どもの時には稲穂の揺れる田んぼだったはずが、少し荒れた畑が増えている。飼い犬が存命の時には時折休憩した堤防には草が生い茂り、川の水だけが昔と変わらず、ただただ流れていく。

普通の幼稚園児だった。
友達と喧嘩ばかりしていて、早く小学生になりたかった。
小学生になってからも、決してクラスの中心人物ではなかったが、大切な友達はちゃんといて、ほどほどに大きな喧嘩もそれなりにして。
何も特別なところなどなかった。何者でもなかった。

それなのに、中学生になり、成績に順位がつけられるようになった頃からか、人の目を気にして「優等生」を演じるようになった。
地元の進学校に進み、偏差値の高い大学を目指し、大学院まで修了して、気づけば「一流」と称される大きな会社の社員になっていた。
私の内面は、幼稚園の時となにも変わらないはずなのに、気がつけば肩書きばかりがどんどん強く、重く、苦しいものになってしまった。
そうして、好奇心の赴くまま、小鳥のように跳ねまわっていた小さな私は、足かせをつけられ、羽を失い、気づけば身動きが取れなくなってしまったのだった。

…疲れたのだ、本当に。

本当は、見たことのないもの、知らないものを、ひたすらに追いかけていたいのに、「こんなこともわからないのか」と笑われたらどうしよう、馬鹿にされるかもしれないと、臆病風に足がすくむ。
肩書きに合わせて作った「虚構の私」は、ただ偉そうに中身のないタイトルを振りかざすだけで、その実自分では何もできないのだ。

先月末に仕事を辞めた同期の顔がちらつく。
新入社員として同時に配属され、一年間苦楽を共にした彼は、笑顔で新たな世界に飛び出していった。
安定した職を辞し、「やりたいことがあるんだ」と嬉しそうに夢を語った彼と、動けない私を比べる。
彼を愚かだと言う人もいた。それでも、その行動力がただただ羨ましく、そして、辛いときに慰め合っていた同期がいなくなってしまったことに、思いの外、私は心に深い傷を負っている。

寂しい。かなしい。
何よりも、私はこのままでいいんだろうか、何かをどこかで間違えたんじゃないかと、そう思いながらも動けない自分に焦りがつのる。
それとも、この焦燥も、今の仕事から逃げたいだけなのではないか。

突如、周囲が真っ赤に染まった。
思わず立ちすむ。振り返ると、大きな夕日が今にも沈もうとしていた。
幼き日の遊歩道。あの日の私が、大好きだったピンクのワンピースを着て、幼稚園の横を走っていく。

そう、あの頃の私は、まだ何者でもなかった。そして、何にでもなることができた。
ただただ生きているだけで楽しくて、目に映るものすべてが面白く、なんでも知りたかった。
歩いている、走っている、呼吸しているーーそれだけのことが楽しかった。他人の評価などどうでもいい、いや、そもそもそんな概念すら存在しない世界で、私はどこまでも自由で、無限の可能性をもっていたのだ。

戻れるだろうか、あの頃の私に。
知ってしまったものを、知らないことにはできないだろう。
それでも、一度きりしかないこの人生、幼き日の私のように、ただ生きていることを楽しむことができたならば。
私はもう一度、「何者でもない私」になれるのだろうかーー違う、なりたいのだ。

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